南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

喩えがよくない

トルコ・シリア国境付近を震源とする巨大地震で、
まるでスーパーひとしくん人形が没収されるかの如く、
真下に沈むように崩れ落ちるビルにはショックを受ける。阪神淡路大震災でもビルや都市高速の倒壊は目立ったが、押しつぶされる1階部分はともかく、殆どは前後左右に傾ぐか隣に寄りかかるなどしていた。瓦礫の山になるまで完全に崩れ去るほどではなかったと思う。東日本大震災の大津波で壊滅した太平洋岸の都市を見たときもそうだけど、まさに『日本沈没』の映画の世界をリアルで目の当たりにしている錯覚に陥った。まぁ傾いたり靠れたりしないだけ、隣接物を巻き添えにはしにくいかなと。それでもあれだけの建造物が崩壊すれば、地震に因らずとも隣接物にも衝撃波が及んでドミノ連鎖しそう。平静には美しい街並みも、いかに耐震性がなく脆いものだと思い知らされる。
ところで、トルコ・シリア国境地帯といえば、一時期はISの活発な地域でもあった。今も救助活動を妨げるほどの治安悪化が懸念されているという。政情が不安定なところに(追い打ちのように)大地震が起きる、のじゃなくて、もともと地殻が不安定だから政情も落ち着かない、のだと思う。人間はじめ多くの生物は普段から、(自覚はない)第六感みたいなもので地殻変動を常に感じながら生きていると思う。その変動が不規則というか異常を帯びたとき、自覚はないけども多くの人々が不安を煽られて社会を乱すようになる。それで大地震の前後の時期になると、政情が不安定になったり争乱や騒乱が起きやすくなったりする。日本は昔から地震大国で結構落ち着いて制御できるようになってきたけど、やはり阪神淡路大震災東日本大震災の前には政権交代で非自民政権ができたり、オウム真理教がテロを起こしたりしているから日本人も地殻からの波動には抗いきれないものと思われる。逆にいえば、人間が自然を須らく把握し制御しようとするのを抑止し、嫌でも生物的本能を維持させる魔力を常に発する地震はなくなってはならぬ。地震との臨戦状態における緊張と恐怖が、世界平和を永遠に幻想とさせる最大の要因かもしれない。
(ひとしくん人形どうでもいいよな。とーく書いていくと大抵こうなる)