南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

中山道 鳥居本~醒井

今年は月一で鉄旅をやって、東海地方を(記録上)全線乗りつぶそうと思う。「記録上」というのは、とくにJR東海路線に関してはほぼ達成しているはずなのだが、レイルラボさんが一向に2005年以前のレコ登録を解禁してくれないので2003~2005年に完乗を自負している分は反映されない。まぁ解禁を待ちつつももう一度乗り直して、乗車記録にしつつ魅力を再発見していこうという話。先月はJR武豊線をやった。
それで今日はJR名松線にするつもりだったのを、朝が間に合わなくて別プランに変更。先月買った新しいウォーキングシューズを試したくて、ちょっと本格的な距離を歩く。

新垂井支線

名駅に出て、青空フリーパスと、大垣から米原までの自由席特急券(760円)を購入する。ふだんの乗り鉄なら絶対にしないJR特急券購入が、今日一番の目的。東海道本線の大垣~関ヶ原間で、下り特急列車および貨物列車しか通らない支線。在来線快速と普通ばかり乗り遊んでいると、唯一クリアできない区間だ。もちろんこれも「記録上」であって、家族旅行で北陸行ったとき特急しらさぎで通っており、新垂井駅跡も父にチラッと示されている。自分で赴くのは初めて。
去年の今頃チャリで関ヶ原越えをして身に染みているが、旧東海道に並行して関ヶ原の峠を越えるのは結構きつい。現在の本線より迂回路の当線のほうが勾配が緩かったんかな。
ともかく今回は初めて、青空フリーパスを対人窓口でなく、指定席券売機で買った。特急券については乗車券抜きで購入する操作を誤り、一度想定価格と違って焦った。あとでしらさぎ車内検札でも購入でき、また岐阜~米原でも同じ760円だと知る。たまにしか乗らんなら長く、とは悔やんだね。
大垣までは新快速、今日はやけノロく感じられた。そんな強風でもないはずだけどな。枇杷島陸橋を架け替え工事中なのに驚く。岐阜駅では高山線接続に3分遅れ、一瞬ヤバいと思った。大垣での乗継が3分だからだ。しらさぎがこの新快速を追ってくるのだから、向こうも遅れるだけだと安堵した。終点大垣へ着く際、しらさぎ乗換を一切アナウンスしないのは驚いた。降りてから判断し足早に跨線橋を渡るも、自由席乗車位置へ移動するのと同時にしらさぎがホームに迫ってきた。撮る暇なし。
滅多に乗らないJR特急、いやぁ座席広々、足元ゆったり、車窓はワイドビュー、たまには良いもんだね。自由席は思ったより空いていた。大事なイベントはすぐに始まる。美濃赤坂線を過ぎると間もなく減速、大きく右へカーブし東海道本線を離脱。これだよ、これこれ、ワクワクする。東海道線を行くのに特急が単線を走ってるって不思議な感じだよなぁ。本線の特快・新快や普通列車では見られない、池田の山裾の車窓。と、そこへ車掌が「切符を拝見いたします」、もう一番美味しいところでやるなよ。新垂井駅探しの気が散る。前述のとおり特急券の車内購入が多くて、自席へ回ってくるころ関ヶ原(本線)合流。
しらさぎは本線でもトンネルやカーブ付近は徐行し、あまりスピード感がない。実際所要時間でみても、同区間を走る特別快速(中間駅停車)と大差ないのも頷ける。雲をかぶった伊吹山が間近に見えるところで減速したときは、撮影サービスかな、と広い窓の恩恵にあずかる。

雲を帯びる伊吹山

結局岐阜からそのまま3分遅れで米原着。新垂井支線ふくめ、貴重なしらさぎの寸旅を楽しませてもらいました。

北国街道

jaike.hatenablog.jp
上の関ヶ原チャリン行(復路)で端折った箇所、北国街道と中山道の分岐点。今回は改めて分岐点を確かめつつ、鳥居本宿から番場宿を経て、醒井宿に至る旧道を歩く。行程およそ12km、昼過ぎスタートでも4時間あれば踏破可能と読んだ。

米原湊跡

干拓前は琵琶湖からの入り江だったという。逆光を嫌がってたところ、ちょうど近江鉄道の電車が映り込んでくれた。米原駅東口は著しく整備され、近江鉄道駅もJRと一体化した。
まずは、分岐点の道標を見に、少し北へ。鉄道線と並行して、北国街道米原宿を偲ばせる町並みが残っている。

米原宿の町並み

ゆるい坂道に古い旅館もあって、いい雰囲気。

北陸道中山道分岐点(道標)

分岐する道筋が分かりやすいように撮ってみた。尤も、ここが正確な分岐ではなくて目印みたいなもの。鳥居本と番場の間に位置する、本当の分かれ目へこれから向かう。
今回の路程で一番しんどかったのが、この米原鳥居本米原の町並みが途切れると、ひたすら国道8号線の路肩を車に煽られながら歩く。風は追い風気味だけど、なかなか進まなくてだるかった。フジテックとラブホと、頻繁に往来する新幹線くらいしか見るものないし。米原を悠長に発した分、歩き通せるか不安もよぎる。近江鉄道の新駅、フジテック前も寂しい駅だな。

鳥居本宿

小一時間ほどで漸く中山道本筋に合流(摺針峠口)。そこから鳥居本宿入口が近くてホッとした。

鳥居本宿入口

いつしか彦根市境も越えてたのか。江戸から63番目の宿場町、鳥居本は南北に細長く枡形も残っている。

鳥居本宿の町並み

左画像はちょうど枡形に位置する、赤玉新教丸(薬屋)。多賀大社の新教によって調製されたといわれ、食欲不振や胃もたれなど胃の症状に効くらしい。また、この赤玉新教丸、合羽、すいかは「鳥居本の三赤」として知られていた。江戸後期には街道沿いに10数軒の合羽屋があったという。鳥居本合羽が赤いのは、柿渋を塗布するときに紅殻(弁柄、赤色顔料)を入れたことによるといわれる。そいえば、今日歩いた米原から醒ヶ井にかけての一帯では、街道沿いの家屋や町屋が一様に柱や格子が赤く塗られていた。魔除けの一種なのか、美しくも異様にも映る。

鳥居本合羽屋の看板と、倉庫に転用された本陣門扉

本陣跡に建てられた和装洋館は、近代化遺産と評価されている。

近江鉄道鳥居本駅

国道をひっきりなしに往来する車の合間を縫って、瞬撮した。

摺針峠

やっとこさ15時前にして、中山道をマジに歩き始める。摺針(すりはり)峠登り口。

摺針峠望湖堂碑

林道と絡み合うように自然歩道の急登をぐいぐい登る。北国街道をダラダラ歩いたあとのつづら折りはきつかった。が、意外と呆気なく峠の頂上へ。中山道の難所の一つであり、まぁこの峠道をチャリで越えるのは無理だろうな。
静かな集落を下り一里塚を過ぎたあたりで、数十メートル前方に小さな2匹の四つ足が歩いているのに気づく。子犬?いや飼い主の姿は見えない。尻が赤い...サルだ。思わず呟いたとき、追い抜いていったバイクのライダーが茂みを指さしていた。幸い、人を見ると山林深く逃げていき、対峙したり襲いかかってくることはなかった。初めて間近で見たな、野ザル。

番場宿

緩~い下り坂に宿場の情緒漂う番場(ばんば)。なだらかな傾斜と、鉄道沿線から離れている点で、今須宿に似ているな。

番場宿の町並み

民家の合間にちょこっと面影があるくらいで通り過ぎてしまいそうだったが、番場資料館(泉亮之記念館)が目に留まり、醒ヶ井までの時間も見通せてきたので立ち寄る。当地出身の彫刻家、泉亮之(すけゆき)生家を改修して番場の資料を展示している。木彫りとは思えぬほどリアルな蛙や蛇の作品には度肝を抜かれる。また、続日本百名城に選定されたという鎌刃(かまは)城跡を、発掘調査の様子などをパネル展示して一際PRしている。番場と鎌刃城は、当時近江国を二分した湖北と湖南の国境に位置し、戦国時代には大名同士の激しい攻防があったという。興味が湧いて、スタッフの方に城跡までの道のりを尋ねると、ここから2kmほど登るので時間的に厳しいでしょう、といわれる。またの機会に。

中山道 番場宿

前後に脇本陣跡もあり、この石碑は宿場の真っ只中。けれど、1611年に番場宿から米原湊まで設けられた切り通しの近道の分岐点にあたる。じつはウォーキングの冒頭で見に行った米原北陸道中山道分岐点は、この近道(深坂道)との分かれ道だったのだ。深坂道の詳細は以下を参照。
guide.isekinotabi.com
しっかり遠回りはしながらも、分岐点はちゃんと繋がって伏線回収。峠の苦難を知った後だからこそ、高低差なしに琵琶湖へ出られて水運に引き継げる近道の重要性が理解できる。

醒ヶ井へ

摺針峠からずーっと付き纏ってきた名神高速道路も、現代の分岐点、米原ジャンクションを迎える。傍らに一里塚跡。今日はJR米原駅ふくめ分岐点巡りやな。
そうして古い寺の前などを通ってゆくと、ついに出た、国道21号樋口交差点。一年前の関ヶ原越えルートに合流した。見覚えある道に出たからか、もう終盤だというのに歩みにリズムが出てきた。
鳥居本より凡そ2時間で醒井宿到達。またも時間の都合で資料館は見学できない。二度訪れて二度も逸するのは御嵩宿に次ぐ。

醒井郵便局

モダンな洋風建築で際立つ醒井郵便局局舎醒井宿資料館)。米国人建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計と知り、すぐに思い出した。鳥居本宿の本陣跡に建ってた和風洋館も、ヴォーリズ設計でしたね。来日後おもに滋賀県と深い関わりを持ったことから、同県に数多く現存するらしい。また、その近くの明治時代の醒井小学校の玄関(移築)も去年は気づかなかった史跡。
半日だけで宿駅2つ分歩き、米原を取り巻く古道と歴史を知ることができた。つぎは醒井の資料館見学を果たし、深坂道を抜けて米原に出、国道8号の苦行を近江鉄道でとばして鳥居本から高宮を目指したい。高宮が「多賀宮」だと今頃気づいた。また鳥居本宿のはずれには、小野小町の郷があるという。楽しみだ。