(九州筑肥の旅 2:佐賀よりつづく)

今日は憧れの長崎市内を、一日全力で観光する。
諫早と長崎の往来は、ごく近距離だが18きっぷを1回分使用する。この区間は市布経由の新線と、長与経由の旧線に分かれており、往復別々にして両線を乗るつもり(長崎滞在時間の都合に合わせ、帰りの電車は固定しない)。行きは山側の新線、トンネル抜けると長崎市。
長崎市
JR浦上駅でまず最初に、長崎路面電車1日乗車券(600円)を購入。長崎電気軌道のきっぷなのに、JR駅で発行するとマルス原紙なのは違和感ある。真っ先に買っときながら、すぐには乗らない。
浦上
午前中は長崎原爆中心地、浦上に点在する被爆遺構や資料館をめぐる。長崎原爆は広島と違い、市中心部からやや離れたところに投下された、という。それで相対的に広島より被害が少ないのだと思ってきた。しかし、歩き始めて気づくのは平坦な土地が少なく、すぐに急斜面が迫ること。この狭隘さは湾内の津波のように、爆弾の威力を増幅させるのではないかと思った(実際には逆に減殺されるらしい)。効果の大小はともあれ、核兵器の凄まじい破壊力が当時の長崎に甚大な被害をもたらしたことは事実だ。随所にその爪痕は深々と刻まれている。



倒れるのでなく一部が吹き飛ぶとは、極めて瞬時に激烈な風圧が襲ったと想像できる。無惨に砕けた残骸が痛々しい。

この辺りはよく猫に遭遇する。地域猫を見守る旨の掲示がある。


熱線を浴びた遺留品などを目の当たりにして、悲惨さが心に刺さる。ここは被爆を知るとともに、死没者を慰霊する場でもある。



このあと訪れる浦上天主堂の、南壁の一部が爆心地に移築されている。原爆ドームのような象徴的建造物が爆心地直近に見当たらない長崎で、恐ろしい破壊力に触れることのできる貴重な遺壁。








スポット間はなるべく勾配を上下しないよう山裾を伝っていくのだが、長崎がこれほどの起伏に富んだ街だとは思わなかった。とくにこの平和公園の丘から浦上天主堂へは一つの谷を越えているとさえ錯覚した。

キリシタン弾圧の禁制をとかれ自由を得た信徒達によって建設が計画された浦上教会(浦上天主堂)。資金難の苦労を乗り越え、1914年に東洋一を誇るレンガ造りのロマネスク様式大聖堂として完成。しかし、原爆投下により堂壁の一部を残して全壊した。



江戸時代から残ると伝わる浦上天主堂の石垣は、もともとこの地区の庄屋屋敷のものであった。明治時代になり、浦上地区のカトリック信者は、江戸時代に毎年この庄屋屋敷で絵踏させられていたこの地に教会を建設した。川底に崩れ落ちた鐘楼は動かすことができず、川の流れを変える工事を行ったそうだ。
昼どきの長崎路面電車&めがね橋
暑さが増すまえに被爆地探訪を終え、路面電車の旅へ。幼いころ、『チンチンでんしゃのはしるまち』という絵本で、写真のごとく仔細に描かれた長崎路面電車に親しんでおり、描写当時と車両や沿線は異なるだろうけどリアルを見られるのは楽しみだ。専用軌道区間の大橋停留所よりデビューし、終点を丁寧に折り返しながら市中を目指す。



乗ってきた電車の出発を見送り、二番目は回送に切り替わって停留、さらに追ってきたのが折り返し蛍茶屋行きとなる。まだ路線と系統を把握してないが、めがね橋へはこの電車が良いとみた。

西九州新幹線開業とともに再開発の進む長崎駅前から、バイパスの桜町支線へ入り市役所。1駅分乗り継いで、めがね橋。

市街東部を流れる中島川に架かる、二連アーチの石橋、眼鏡橋。架橋時、日本初の石造アーチ橋で、1634年(寛永11年)、中国から来日して興福寺の2代目住職となった黙子如定(もくすにょじょう)によって架けられた。国の重要文化財。



天気は良いものの、水量のせいか、遠近のせいか、なかなか映える眼鏡姿は撮れない。


ほか、中島川にはいくつもの石橋が架かっている。原爆投下照準点となった常盤橋もその一つ。




川を軸にして、電車通りとは反対側に飲食店などが並ぶ小路(アルコア中通りという)がある。その中の地元の定食屋さん、お食事処 かんざきにて長崎名物、皿うどんをいただく。

近所の方が定番メニュー頼む傍で、観光客がカウンターに座って良心的な低価格で皿うどんやちゃんぽんを食べられるお店。パリパリの麺に素朴な野菜炒めのあんかけ。


大浦
大浦天主堂やグラバー園といった、長崎を代表する名所エリア。適度に涼を求めつつも、午前につづき坂道ばかりをよく歩いたもので正直終盤はバテ気味。


電車を終点まで乗ったぶん、天主堂へはやや迂回することとなる。これをグラバー園→大浦天主堂とすると、オランダ坂への経路が乱れる。


弱雨をしのぎながら旧ラテン神学校内のキリシタン博物館を見学。
occ-museum.jp



1858年にアメリカをはじめ5カ国と結ばれた修好通商条約により開港都市となった長崎には居留地がつくられ、外国商人が集まった。長崎のランドマーク稲佐山を背景に、長崎港を一望できる丘陵地に洋風建築が建ち並んだ。グラバー園は、イギリス商人グラバーをはじめとする旧邸の敷地に、長崎市内に残っていた歴史建造物が移築されている。





2015年に登録された世界遺産、「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」を構成する。北向きの温室は印象的。



戦時中グラバー邸が長崎造船所に買収されたのは、戦艦武蔵の建造を秘匿するため。








1896年(明治29)、三菱造船所(現三菱重工業株式会社長崎造船所)の第2ドックの建設時に建てられた外国人乗組員用の宿舎。1972年まで同造船所で使用されたのち、三菱重工業から長崎市に寄贈されグラバー園の高台に移築された。


ガントリークレーンが目立つという香焼島は、さきのリンガー邸付近からの眺望で女神大橋の奥に覗いている。


垂直エレベーターと斜行エレベーターのスカイロードで、一気に斜面を下って石橋停留所へ戻る。エレベーターの乗り継ぎ広場には猫が戯れている。
江戸時代日本で唯一貿易が行われていた長崎では、出島に住むオランダ人の影響か開国後も東洋人以外の人を「オランダさん」と呼んでいました。そのため当時「オランダさんが通る坂」という意味で外国人居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼んでいたと考えられています。
オランダ坂 | 観光スポット | 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット


オランダ坂から枝分かれする人幅くらいの路地も踏み入ると面白い。




浦上や大浦に比べ、傾斜はやや緩やかとはいえ、名所のために丘を一つ越えるような格好となって一段と歩き疲れた。路面電車も大浦支線をショートカットする形になり、出島まではほんの1駅だけど脚を労って乗る。
出島
1634年、江戸幕府が対外政策の一環として長崎に築造した扇型の人工島。1636年から1639年までは対ポルトガル貿易、1641年から1859年まではオランダ東インド会社を通して対オランダ貿易が行われた。明治以降は周辺の埋立等により扇形の面影は失われたが、長崎市の復元整備事業により往事の建物が順次修復されている。また、周囲(おそらく外側の円弧部分)に堀をめぐらし、扇型の輪郭を取り戻す計画だという。





もとは中島川変流工事により削られた、川の中央部にあったという表門。対岸の江戸町側から出島へ出入りする人を改めていた。ミニチュア出島では、すっかり都会に埋もれた出島へ飛び込んでしまった視点を、全貌把握に立ち返らせてくれる。



復元建物の多くは展示館となっており、出島を通じた貿易や文化交流、主要な輸出品であった銅に関するものなど多岐にわたる。途中からは弱雨も降りだし、情緒ある明かりを灯し始めた軒先を伝いながら見学してまわる。


営業時間が21時までと遅いことからラストの夕刻に持ってきた出島。閉場に急かされることなく、ゆったりと見学できた。
夕暮れの長電&トルコライス
今日一日の表題は『路面電車(トラム)に乗って』。被爆地、開国に伴う外国人居留地、そして江戸時代の対外貿易拠点と、長崎の歴史を順に遡ってきた。夕飯前に、(現代へ戻りつつ?)長崎電軌乗りつぶしを仕上げる。


1系統に乗り、終点の崇福寺へ。支線区間に入るとアーケード街(浜町アーケード)を横切る。
jaike.hatenablog.jp


何とも不安定な構造極まりないが、思案橋から延伸する際当地を流れていた玉帯川を暗渠化し道幅を拡幅して敷設されたという。留置スペースも奥に1両分と限られている。

さて、長崎といえば皿うどんやちゃんぽんといった名物もさることながら、佐賀のシシリアンライスのような聞き馴染みのないご当地グルメも試してみたい。旅の道中検索で目をつけていたのが、トルコライス。
kyoudo.kankoujp.com
「ライス+スパゲッティ+揚げ物」をワンプレートにまとめた、長崎発祥の”大人のお子様ランチ”。トルコ料理とは直接関係のない呼び名の由来には諸説あるようだ。おそらく開国以来つぎつぎと上陸する異文化を朝食バイキングのようにプレートへ盛り合わせていって、一つの料理に整えたんだと思う。
幸い、帰路の長崎駅前にトルコライスを食べられるレストランがあった。長崎駅前は大規模工事中(ショッピングモールアミュプラザ長崎が建つ)。長崎駅前停留場歩道橋からやっと駅ビルと広場が望める。JR長崎駅改札前の長崎街道かもめ市場内に所在する洋食レストラン、ニッキー・アースティン。メニューブックを見ると相当数のバリエーションがあり、ナンバリングされている。掲示されたおすすめの中から、”ニッキー定番のトルコライス”301番を選ぶ。

取り合わせは、白いご飯にカレー,ドライカレースパゲッティーにデミソース,コーンサラダ。まるでハワイのロコモコを思わせるビジュアルとともに、栄養価も高めなグルメで美味しかった。長崎市中を一日歩き通した身体が旨いもので満たされるのは快感。
冒頭に記したとおり、長与経由の長崎本線旧線で諫早へ帰る。トンネル中心の新線と違って一部区間は沿岸部を走るが、すでに20時台で車窓は真っ暗。昨夕も合わせて、今旅で大村湾とは縁がなかったな。グリーンホテルの大浴場で両脚を癒して休む。
(九州筑肥の旅 4:三県道草帰りへつづく)