伊豆から帰る電車の中、何気なく見た知人のFacebookで知る。2日深夜のことらしい。めちゃくちゃ悲しいし、一瞬にして顔面蒼白、言葉を失う。せっかく楽しかった旅行の帰りなのに、ショックに全部吹き飛んで呆然と電車に揺られていた。
Baidu.comにて火災を報じるニュースや映像に触れると、いっそう辛くなる。全国重点文物保护单位に指定されているだけに、中国全土でも歴史的遺産の喪失として大きく報道されているようだ。とくに、大礼堂を包み込んで大きく燃え上がる炎や、屋根が崩れ落ちる瞬間を捉えた映像を目の当たりにすると、2019年10月に起きた首里城正殿火災を思い出し、河南大学の魂や拠所ともいえる大礼堂と重なって当時の沖縄人に通ずるような心持になる。
河南大学大礼堂着火 - @椒哥微记录 的视频 - 视频 - 微博
ドローンで撮影したものだろうか。数ある映像のなかで、燃焼するさまを最も鮮明に捉えていた。BGMが無念さを助長するとともに、形あるものは儚くいつかは失われるのだと諭すようにも響く。こうした映像を見るかぎり、また中国の大多数の建築物が外壁はレンガ積み積みであることから、天頂部だけが焼け落ちたものと一縷の望みを抱いてもいた。しかし、鎮火後の惨状を見れば、やはり全焼と言わざるを得なかった。
你知道河南大学“失火的大礼堂”,有多重要嘛!|河大|东北大学|中山大学_网易订阅
後日、日本メディアにもニュースが出た。新聞にまで載ったかどうかは定かでない。
news.goo.ne.jp
文中にもあるとおり、大礼堂は1931年に着工して34年に完成し、敷地面積3932平方メートル、延床面積4687平方メートルで、3000人を収容可能。当時4カ月余にわたる修繕工事中で、外壁を囲んでいた防護フェンスが類焼を防いだとも見える。火災直後の報道では、出火当時、堂内で休憩していた作業員に疑いがかけられていた。その後、大学と消防などによる出火原因調査で、修繕過程における電気系統の老化が関係しているとの見方を公表した。この点も電気系統設備が出火元とされる首里城火災とダブる。
コロナ禍や日本人へのビザ免除措置停止で行きづらくなるなか、河南旅游集を更新する水増し作戦の一つで、河南大学明伦校区古建筑群を書こうと思ってた*1矢先の悲劇に心傷む。早く形に残してやればとも悔やまれるし、もし既成でも同項の今後の処遇に困るけど。2年ほど前、明伦校区に隣接する铁塔公园の大規模改修、明伦街(旧商店街および旧住宅地)の撤去、河南大学本部の郑州移転と、矢継ぎ早に明伦校区を取り巻く環境の激変が起こり、キャンパスもろとも観光地化されるのではないかという予感と懸念がよぎった。既に学生身分(留学生)でさえない私は、学校関係者以外出入りの厳しくなったキャンパスを覗くことも叶わない。廃校(廃キャンパス)は不本意だけども、そうして一般公開されるときを見越して記事にしようと思ったまでだ。贡院(科挙の試験場)も置かれた由緒ある土地なので、無闇に放棄してほしくはない。この失火を機に大学の郑州移転加速を望む声もあるようだが、支持は出来ない。

この一枚しかないのが不思議でならない。スマホでは一度も撮ってない。南門は帰郷のたびに毎回撮ってるのに。キャンパスのほぼ中心に位置する大礼堂は、在学中は四六時中拝むものだ。南門間近の学生寮(留学生楼)に住んでいた我々は、教室と校外へ行く以外はまず大礼堂に向かっていき、それを仰いでから東西に分かれる場合が多かった。こんな象徴的な建造物が、こんな呆気ない形で崩れ去るとは誰が想像しただろうか。
中に入ったのは一度だけ。2007年9月の入学時に式典出席した。半年延長した2年目はこの式典に出ていない。また、学園祭にも参加しなかった*2。ありし日の大ホールの写真も見られるけど、入学式のときは緊張してて「こんな感じだったよな」としかいえない。
落ち着いて淡々と綴っているように見えるけど、悲報に接して1ヶ月はショックで想いがまとまらず服喪期間を過ごしていた。また一つ、第二の故郷の心の拠り所を失い、歴史文化遺産においても計り知れない喪失だと思う。