南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

じっくり小浜線 2

じっくり小浜線 1よりつづく)
最新の予報より、小浜市から舞鶴市までの一帯は概ね午前中は曇りで過ごせそうだ。東舞鶴行き07:25発の電車に十分余裕をもってホテルを出る。曇り空だが降ってないのは今日明日合わせても貴重と思い、まず海を見に行く。

小浜湾(人魚の浜)の眺め

ゆうべ台湾料理からホテルまで暗闇のなか歩いた道を、一夜明けて目の当たりにする。

くねくねと細かなクランク道が街道ぽい
白鳥会館(明治期に建てられた薬品製造販売の店蔵)

こうした近代建築物も入り混じる。

旭座の面する通り(濱参道)

道路が拡幅されて移築あるいは復元されたような町屋が並ぶ。

駅前へつづく、はまかぜ通り

夕飯どころこそ乏しいがアーケード街は歩きやすい。このはまかぜ通りと、駅を挟んで反対(東側)に、コンビニやドラッグストア、バロー、コメダなどがあって買い物に困らないことが判明。

小浜線の車窓(小浜~東舞鶴


小浜駅2・3番線ホーム西端に、SL用給水塔跡が残る(レンガ積みの塔のみ。10年ほど前はタンクもあったようだ)。朝食を摂りながら海側の車窓を眺めていく。小浜線は思ったほど若狭湾の海岸線を走らない。海面が間近に感じられるとすぐ撮りたくなる。

小浜~勢浜の車窓(トリミング済)

じつはそんなに慌てる必要はない。加斗~若狭本郷間に国道一本はさんで海面、という絶好の撮影スポット(区間)がある。停車駅こそないが、サービスなのか対象区間を1分程度徐行してくれる。

加斗~若狭本郷間の小浜湾絶景スポット
幸いのささやかな晴れ間で、青みのある海面に

この貴重な一瞬を見られただけでも、悪天候をめげずに小浜線乗りに来てよかったと思う。

舞鶴

起点の敦賀越前国なら、舞鶴線に繋がるここ東舞鶴丹波国京都府)。島根、鳥取山口県日本海側を指し、縁遠いと思いがちな山陰の端っこでもある。人生初めて山陰踏んだ。11時くらいまでは降らない予報だったのに、到着するや小雨から間もなく本降りに。

舞鶴線

かつて舞鶴線より分岐し、軍港・舞鶴港まで伸びていた国鉄舞鶴線(1972年廃止)。廃線跡は遊歩道に整備されており、赤れんがパークまで辿ってゆく。強雨のなか、スイッチバックだったという分岐点から律儀に始める。舞鶴共済病院前からは、歩行者専用道路(舞鶴市道)となる。

線路を明示する緩いカーブ
国の登録有形文化財北吸隧道
雨露しのぎながら、内壁をじっくり観賞できる


トンネルの向こうは弱雨。開業時、旧帝国海軍工廠東門に近かったという、東門駅(戦後、北吸駅に改称)跡。駅名板の裏面が「きたすい」なのは気づかず。また、舞鶴市役所最寄り駅でもあった。この先、終点中舞鶴駅まで工廠内(現:ジャパン マリンユナイテッド舞鶴事業所)を進むほか、赤レンガ倉庫への引き込み線が幾筋も分岐する。

赤れんがパーク

赤れんが倉庫は、舞鶴鎮守府の軍需品等の保管庫として 明治34年(1901年)から大正10年(1921年)までに次々と建てられた。

舞鶴赤れんがパーク(2・3・4・5号棟エリア)

地下道を渡ってしまい、廃線跡からの分岐を確かめなかったレール痕が倉庫群の間を敷かれている。

赤れんがロード(旧舞鶴鎮守府軍需部倉庫横)

先の2~5号棟と違って目立った補修がなされず、朽ち様をそのままに見ることができる。
舞鶴は、大日本帝国海軍鎮守府が置かれた4軍港の一つ(ほか横須賀・呉・佐世保)。対ロシア防衛の戦略上、日本海側への設置は悲願であった。当初は呉と佐世保の整備が優先されたため、日清戦争における清国からの賠償金が建設費に充てられた。1901年鎮守府開庁、初代司令長官には東郷平八郎が任命された。
赤れんが3号棟のまいづる知恵蔵企画展示室に、鎮守府が置かれた歴史や海軍関連、鎮守府とともに発展した舞鶴の町が解説されている。赤れんが2号棟(旧舞鶴海軍兵器廠維品庫備艦兵器庫)の舞鶴市政記念館では、舞鶴鎮守府海軍工廠の模型のほか、ベルリン五輪で銀・銅2色のメダルを分け合った陸上選手大江季雄ら、舞鶴出身のスポーツ功労者が紹介されている。

軍港めぐりクルーズもある舞鶴港

市役所と体育館を挟んでポツリと離れた1号棟は、赤れんが博物館。中東や中国では現在も使われている日干しレンガに始まる、世界各地のレンガ建築の種類や特性と歴史を展示。中国留学中、河南大学の校舎や宿舎はもとより、日に日にレンガ積み積み体育館が建設されていくのを目の当たりにしている。農村部は紛れもなくレンガ積み家屋だった。中国の塼(せん)と呼ばれたものが日本へ伝わり、文明開化とともに西洋建築へ多くのレンガが用いられた。海軍関連施設を建設するために大量の赤レンガを要した舞鶴では、ホフマン窯も残っている。窯内部を再現した一角は、台湾鶯歌の陶瓷博物館をも思い出させる。

赤れんが博物館(旧海軍魚雷倉庫)

同館は現存する最古級の鉄骨レンガ建造物といわれ、内部も補強しながら往時を偲ばせる造りを残している。市役所前より京都交通バスで東舞鶴駅へ。

若狭高浜

7文字全部ア行の若狭高浜駅小浜線車中で駅近の飲食店を検索してきたけど、あまり惹かない。駅からまっすぐ漁港へ出ると、魚市場に併設する道の駅風なマーケット、うみから食堂を見つけた。時季柄混んでそうだけど、獲れたての海鮮丼とか食べられそう。
umikara.co.jp
案の定席案内待ちの様相だったが、幸い一人モンだけにカウンター席へ即ありつけた。PayPayで食券購入。

季節の漬け丼

レシートのGという記号以外魚の種類は通知されず、メニュー写真と照らし合わせるかぎり、鯛だと思う。新鮮な食感がたまらない。アラ入りのみそ汁も美味い。紙コップのを最後まで温かいお茶だと思ってたら、だし汁だった。漬け丼にかけるのかもしれなかったけど、そのまま飲んでもスッキリして旨い。

高浜漁港界隈を散策

小湾にポコンと浮かぶのは、稲根島。漁村文化伝承館は閉まってる。でも海岸より一歩裏道を入れば、いかにも漁村の雰囲気が伝わってくる家々が密集している。浜から家まで漁船を引き込めそうな建屋もいくつかある。

恒例の、旅先での戦国史ゲームとの出会い、今回は若狭高浜を築いた逸見昌経(へんみ まさつね)。戦国時代から安土桃山時代にかけての武将で、若狭武田氏、三好氏、織田氏の家臣。史実とは関係ないものの、初期設定では逸見家は若狭武田家に臣従し、プレイ次第で概ね三好や織田へ主君を変える。ただし居城は田辺城(舞鶴)となっている。高浜城は3方を海に囲まれた平山城で、現在城下は海水浴場となっている。城山周辺には波に侵食された奇観、八穴の奇勝が点在する。

名勝・明鏡洞

穴の彼方に見える水平線が美しく、その水平線が鏡に映った別の景色のように見えることから名づけられたという。あいにくの曇天で映りはしないが、

入江の海水は澄んでキレイ
高浜城山灯台から望む外海
外ヶ洞、鋏み岩方向
乙女ヶ洞(直感どおり、まんまの名称だった)
城山から漁港一望
出島のような形の天王山を、濱見神社(天守台跡)より望む

子生川に道を惑わされかけながら駅へ帰る。思ってたより、”海”満喫!

東小浜

天橋立メインの「若狭・丹後プラン」で小浜線唯一の途中下車スポットになってた東小浜。公共施設を併せて一際大きく新装された駅舎なのは、将来北陸新幹線との接続駅になるのを見越してか。岐阜県美乃坂本リニア中央新幹線接続予定駅)もこうなるのかな。
昨日ご挨拶した氣比神宮は越前國一宮。今日は若狭國一宮、若狭姫神(若狭彦神社下社)をお参りする。一宮参拝よりも、男根を祀る(地元愛知の)田縣神社と対をなして姫の宮とよばれる、大縣神社のような祀り物に淡く期待してやってきた。

杉の巨木が際立つ姫神
乳神さま(豊満な乳房のごとき乳根が垂れ下がる大銀杏)


姫神社一の鳥居から丹後街道に入る。さっき駅から姫神社までの沿道に、ここ遠敷(おにゅう)の街道の賑わいを伝える案内板があった。たしかに風情漂う町並みが残る。心安らいで歩きやすく、沿道からは少しそれる国分寺も何かが教えてくれるだろう。しかし変わった地名の読み方だな、「おんじき」ならまだ御食と重なって納得いくのに。

若狭国分寺跡(南大門跡、金堂跡、塔跡)

南大門の背後は国分寺古墳で、寺域内に古墳をふくむ珍しい例。ふたたび遠敷川を渡って、当駅一番目当ての福井県立若狭歴史博物館を見学(避暑目的)。暗室に異様なオーラを放つ仏像群を観賞し、直後に明転して色彩豊かな若狭の伝統芸能を知る。若狭と都を結んだ海産物や製塩をここで初めて学ぶ。鯖街道プロジェクションマッピングがイメージしやすくて脳に残る。また若狭湾で陸揚げして、琵琶湖を経由して淀川水系で難波津に至る内陸水運ルートの発達により、日本海の東西を結ぶ要所を担ったことから文化交流も栄える。『解体新書』を著した杉田玄白小浜藩医なのは驚きだった。
この後みかた温泉へ行くつもりが、昨日の上中駅の発時刻を念頭に悠長に見学していて、ウッカリ乗り逃した。館を出て踏切の音を聞いた瞬間、過ちに気づいて愕然とした。本数の少ない小浜線では再調整は効かない。やむなく東舞鶴行き(わりと早く来た)で小浜に帰り、今宵は濱の湯へ赴くことに。

小浜

ゆうべはホテルへ急ぐあまり左手のはまかぜ通りへ進み難民となりかけてしまったが、駅前正面方向の通りにはご飯屋さんがあることを地図アプリで知る。その名も食祭海道国道162号線)。なかでも目をつけたのが、海鮮料理のはまがわ。本旅のキーワードでもある鯖街道にちなみ、焼き鯖定食に強く惹かれる。

焼さば定食@はまがわ

自分で鯖焼くときは1食に片方しか食べない2切分が皿にのり、一方は醤油、もう一方は塩だという。大根おろしを加減しながら食べていく、その身も焼き具合も絶妙。メニューや掲示に見られる、ぐじ若狭焼というのも気になる。明日昼はもう寄れないな。
お腹は存分に満たされたが、外は土砂降り。如何せん、濱の湯(御食国若狭おばま食文化館)のある小浜漁港方面へは終日運行のバス交通がない。アーケードが途切れれば雨にさらされ、国道をそれれば街灯も乏しく心もとない。ウォーキングシューズは水吸って重く、本旅で一番つらい道のりだった。お魚センターや加工場が建ち並ぶ両側暗い道路で、一般車の往来も少なく、濱の湯営業してんのか不安にさえなる。
hamanoyu.biz
みかた温泉と同じ、650円。再三の雨で湿ったままの靴を履きっぱなしで蒸さりかけ、強烈な悪臭に電車内で脱ぐこともままならない。今とどめのぐしょ濡れを喰らった足をようやく解放し、湯に浸かる。空いてから向かった露天風呂は、緑色に染まった海草(あまも)の湯。内湯にも同色の湯池はあった。不老長寿の湯といわれる海草風呂はぬる湯で、雨粒落ちてこない箇所を選べば、時を忘れて浸かっていられる。最後に熱めの漢方薬草風呂へ浸かって肌を締めてあがる。ホテルまでの道を裸足履きで我慢して歩く。幸い雨はあがっており、海岸通りは散歩やランニングの住民も目立つ。靴の数から今夜の宿泊客は少なげだが、臭い靴を並べて置いとくのは誠に申し訳なかった。

じっくり小浜線 3へつづく)