南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

じっくり小浜線 3

じっくり小浜線 2よりつづく)
前日18時までに申し込めば朝食を出していただけるのらしい。クチコミで好評なので、次ゆとりあるときに泊まれたら頂きたい。フロントで小浜西組の散策マップを入手し、出発。

小浜

昨朝と同じように海を一望しながらコーヒーを嗜んだ後、小浜公園より散策開始。

小浜西組伝統的建造物群保存地区

小浜西組は、後瀬山城と小浜湾に挟まれた、商家町・茶屋町・寺町で構成される町並み。中世より湊町として繁栄していたが、江戸期に京極氏が小浜城を築き城下町を東・中・西の三組に分けて整備した。度重なる大火により明治期以降の建物も多いが、丹後街道沿いに伝統的建造物が残る。
一昨日から、駅や濱の湯との往来で幾度も真っ只中を歩いているが、ちょうどホテル ナガタの背後に位置する、三丁町は今日が初めて。

茶屋町、三丁町

料亭が軒をつらねる、まさに京都の風情。

がったり(折り畳み式の商品陳列台)やベンガラ格子

ベンガラ格子米原でも多かった。また玄関先に吊るされた身代わり申は、飛騨地方のさるぼぼを思わせる風習だ。

丹後街道の風景

街道筋を歩くのも今日が初。山側(小浜線沿い)に寺が並ぶ。

後瀬山城(守護館跡、後方に城山)と、八百比丘尼入定洞

八百比丘尼は、人魚の肉を食べたことで不老不死を得て、800歳まで生きても少女のように若々しかったといわれる伝説。健康長寿につながる豊かな食文化の象徴か。

八幡神社の界隈


大正14年築の高鳥歯科医院。昨朝の白鳥会館とならぶ、西洋風建物で国の登録文化財。大火を教訓に防火を意図した建築。ちなみに、町並み保存資料館は火曜休館(お盆休みでも順守)により見学できず。ここのみならず、旭座・鯖街道ミュージアム・山川登美子記念館も悉く定休で、立ち寄りどころを失う。若干持て余すも、後瀬山城は登らず。

川崎地区へ

マーメイドテラスと、旭座

小浜滞在中、街と浜の大事なランドマーク。

小浜市中央公園のC58 171

昭和14年につくられ、同46年まで小浜線で活躍した蒸気機関車。昭和43年秋の福井国体に際してのお召列車や、小浜線最後の蒸気機関車として「さよなら列車」を牽引したという。公園の対面には、杉田玄白記念公立小浜病院。昨日歴史博物館で学んだから、その冠名に驚かない。
ゆうべずぶ濡れの足を引きずって歩いた夜道も、丹後街道との交点など明るいときだと見え方も変わる。ちなみに小浜城跡は川の中州にあり、この辺りが東組にあたるのだろうか。
若狭周遊の総仕上げ、御食国(みけつくに)若狭おばま食文化館(濱の湯と同じ建物)。日本食の代表、すしの発展。日本全国の雑煮のかたち。若狭の郷土料理などを、食欲そそる鮮やかな再現料理レプリカをふんだんに用いて紹介する。調味料の匂いを嗅げるコーナーもある。塩漬けして背負った鯖が都につくころイイ塩加減となる、鯖街道。視覚が味覚・嗅覚を刺激する3Dなミュージアム
悠長に観覧していると腹も減るが、別館レストランやフィッシャーマンズワーフなど、川崎地区エリアの飲食店で昼食を摂る余裕はなさそう。駅前のバローにて、昨日から気になってた特大ソースカツ(カツ丼弁当だと思い込んでた)とおにぎりを買い、小浜線車中でいただく。福井といえば、ソースカツかな。

敦賀

敦賀は初日と今日ともども、傘さし必須の雨模様。アーケード伝いに行けた氣比神宮、港まではその倍の距離を有するためバスで行く。(もともと足の疲れから)小浜線車中で急きょ時刻を調べた、敦賀市コミュニティバスぐるっと敦賀周遊バスで金ケ崎緑地へ。途中、金崎宮バス停前後で線路を横切り、バス停奥に駅舎が見える。2019年に廃止となった北陸本線貨物支線(通称:敦賀港線)と敦賀港駅であり、天候と体力次第では昨日の中舞鶴線と同様に敦賀駅から沿線を辿ってくるつもりだった。
北陸本線は、長浜から柳ケ瀬トンネルを経て敦賀港(当時は金ケ崎)に至る官設鉄道として1884年に開通した。敦賀港が1899年に国際港として開かれると、敦賀ウラジオストク間航路と連絡した欧亜国際列車が運行された。北陸線の福井方面への建設と延伸が進むにつれ、スイッチバックの不便さ解消のため敦賀駅は金ケ崎を徐々に離れて移転してゆき、現在の位置に落ち着いた。これらの資料や鉄道部品、国際連絡列車の時刻表や切符などが、旧敦賀港驛舎の敦賀鉄道資料館に展示されている。D51と国際列車の切符が浮かび上がるトリックアートの記念写真コーナーが良い。

敦賀港驛舎


また、敦賀港といえば、第二次大戦当時のリトアニア領事杉原千畝さんに命のビザを発給されたユダヤ人がシベリアを横断し日本へ上陸したところ。人道の港 敦賀ムゼウムでは、欧亜をつなぐ要衝としてヨーロッパの人々を受け入れた、ポーランド孤児とユダヤ難民、2つの史実について紹介している。シアターでの概略、小刻みなストーリー展開によるそれぞれの避難者救済や温かく受け入れ見守った敦賀市民の証言などがわかりやすい。千畝さんは岐阜県八百津町の記念館や伝記で学んでいるが、ポーランド孤児受け入れは初めて知った。

急行”わかさ”として小浜線を力走した、キハ28形
敦賀の赤レンガ倉庫

敦賀駅周辺でも若狭土産を買える。珍しく、菓子でなく魚にしたい。小鯛ささ漬かへしこで迷い、へしこを採った。へしことは、鯖を塩漬けにし、糠漬けにした郷土料理で、保存食として重宝されている。酒の肴に合うらしく、地酒コーナーで保冷販売している。日持ち等を考慮して、ふりかけとも選択を悩んだ。購入した半身のほか、2切れほど真空パックした、それこそ車中やホテルで呑みながら楽しめる少量もある。後日、実家で糠を落として食べた。塩辛く、ほんの一切れで茶碗一杯飯が食えそう。また、糠を軽く炒ってふりかけにしてもらった。こちらも少量で飯旨。

帰り道

18きっぷ利用としては乗車距離が物足りなく、敦賀から湖西線を流して帰る。湖西線琵琶湖線とも新快速をうまく活用すれば、山科経由の大回りでもそれほど時間を食わない。湖西線完乗は2003年夏以来で、レイルラボに記録できてなかったからな。
jaike.hatenablog.jp
旅の満足感こそあれど、道中再三の雨対応につかれたか、湖西線は粗方寝て過ごした。せっかくの往路とあわせて琵琶湖一周ルートなのだからと、たまに琵琶湖を遠望した。湖西線は休んでおいて正解で、今日は平日、退勤ラッシュに巻き込まれ、琵琶湖線含め東海道線はほとんど座れずに名古屋まで帰った。山科での待ち時間(暑さ対策)と車中の空き具合を考慮して、野洲まで普通を選んだものの空席はなかった。
今回小浜線を存分に途中下車してしまったうえ、小浜線はIC利用不可(通り抜けもふくむ)なことが判明したので、丹後・天橋立プランは山陰本線ルートで再編することになろう。全日程を断続的な雨に悩まされながらも、都に食材を供給した海の幸豊かな若狭国を学べて楽しかった。