次稿で述べると言っておきながら、随分遅れてしまったが、先々延ばす割には書かないと気がすまない性質というのは聊か面倒である。
さて、いきなり圏域などと始めても分かりづらいであろうから、もはや3週間程前に公開されたレジュメを元に、概略を記してみよう。田中明彦著の『新しい中世』によると、「三つの圏域論」とは、自由主義的民主制・市場経済というイデオロギーで世界の各地域を分類したらどうなるか、というものである。巷でいう、東と西と第三世界のような分類が、冷戦終結と共に有効でなくなり、また第三世界と十把一絡げに扱い切れなくなった事を背景に、生まれたもののようである。当然ながら、ここでは筆者の考案している新型共産主義へ中国や日本が移行するという可能性は全く考慮されていない。ものさしは、冷戦終結と共に全世界に定着しつつある自由主義的民主制と市場主義経済なのだ。このことが分かっていれば、筆者の論ずる方向性においてはフェアなはずである。
まず第一圏域とは、自由主義的民主制が定着し、市場経済の制度がほぼ確立した国々である。アメリカ、西欧諸国、豪州、日本などが挙げられる。要するに、新しい中世の優等生だ。国家間の交通・通信網の発達、国際関係は良好、国境を感じさせないほどの密接な関わりを持つ。第二圏域は、自由主義的民主制と市場経済の一方あるいは双方がともに成熟するまでには至っていない国々である。中国、ロシア、インド、韓国、東南アジア諸国などかなりの国地域が含まれる。近代圏とも言われ、古典的な政治パターンが健在、国情の不安定さや軍事行動を依然回避しない体制が目立つ。そして第三圏域は、秩序すらほとんど崩壊し、内戦や難民の発生などがみられる。「新しい中世」どころか近代すら失われようとしている。
全ての国や地域が産業構造のように、常に第一圏域の形へ向かっていくとは限らない。近代の形が我らの頂点である、と主張し続けることもあり得る。しかしながら、同書の展開としては第一から第三までの夫々の圏域が世界で共存していく中で、相互依存が進み様々な過程を伴いつつ「新しい中世」へと転換していくものと見ている。尤も、その過程が第一圏域の外交にとって非常に難しいのであるが。
結:筆者が逆流させてみよう。【2005/07/13/AM】