南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

あらしのよるに

不定期だから週に何回とか1日に何稿とか定まっていないんだけれども、1週間以上も休んだり毎日連続して書くのはどうなんだろう?と迷ってみたりしている。
あらしのよるに」は、絵本を原作とするアニメーション映画なのらしい。家にパンフレットが転がっていたので、あらすじを眺めていて大変興味をもった。12月10日東宝系公開らしい。
あらすじ
原作について―信じるということ
の二つをあらためて読んでみる。昨夜も思ったが、ちょうどこれと似た構図の物語を、小学校時代に読んだことがある。その物語は、今日のゼミ報告テーマでもあったパレスチナ問題を背景としていた。あまりはっきり覚えていないが、小6?の読書感想文に使ったこともあって、非常に印象に残っている。題は『ぼくたちは国境の森で出会った』(たぶんこんな形だったと思う)で、イスラエル北部の町に住む少年ウーリーは、学校の仲間と国境近くの森にハイキングに来ていて、友人とはぐれてしまう。雨が降っていたんだっけな、ある小さな洞窟で一晩明かそうとヘルメットで湯を沸かしてスープを作っていたところへ、敵意を剥き出しにした同年齢頃のアラブの少年サリームが現れる。ウーリーは若干戸惑いつつも、寒そうにしているサリームを中へ誘い、頑なに断る彼にスープを勧め、何とか心をほぐそうとする。そうして互いに森で迷った二人は、雨降る夜を一つの洞穴で過ごす。一晩明けて少し打ち解けた二人は、お互いになぜここへ来て迷ったのか、知り合い、同時に心境をぶつけ、時には喧嘩もしながら、交じり合っていく。この後どういう事情だったか忘れたけど、たしかウーリーが怪我をして、サリームが自分の親戚の住む村(レバノン)まで背負っていくようなシーンがあった気がする。そこでやっぱり、イスラエル人に対するサリームの親類やサリーム自身の敵対感情が擡げてきて、介抱の際に心が揺れ動く。でも初めてサリームがウーリーと出会ったときに、もしかするとその瞬間自分が殺されていたかもしれない(確かな記憶じゃないけど、サリームは殺す敵を探していたような記述があった気がする)のに、初対面のサリームを信じて暖かく迎え入れた、その事実に、やはり裏切れないものを感じた。やがてウーリーはサリームの親類の船を借りて、海路国境を越え、レバノンからイスラエルに帰る。そのときの切っても切れない友情と別れのつらさは、非常に感動させるものがあった。
当時文章を書くのが下手で苦手だった(今でもそうかな)南蛇井は、この感動をうまく言葉にしきれなかったが、互いに森の中で迷い、寂しさに襲われているときには、普段なら打ち解けあうことなど考えられないような間柄でも、互いに求め合い、それがかけがえのない友情を生み出すような感動を、世界中で多くの人々が経験してくれれば、きっと空疎な平和運動よりも、確実なうねりになると思う。心から誰かを求めるとき、どんな恐ろしく醜い相手でも、それを信じ、動じない。そして、それは相手をも動かし、信じる心とその友情のためなら外圧にも耐え抜く冷静さを与えるだろう。

あの...、日米同盟には通じませんから。あれは、どちらも心から求めていないし、信じていないし、いつでも動じうる可能性と、冷静でなく冷酷な外圧排除を行うでしょうから。