南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

平和ボケについて

Nanjai2004-12-16
 先稿のフォーラムに続いて、昨日には同サークルのミーティングが行われた。映画鑑賞を契機として、戦争について話し合うというものだ。事前に資料が配布されていたが、いつのまにか「有事関連法」や「靖国参拝」の発言が目立ち始め、もっと心に響く意見が聞かれるかという期待は外れた。筆者にとっては関心の高いテーマなので、便乗して聞いていたが、知識量は筆者と変わらず見解も事実発表の傾向にとどまった。社会学的には事実認識が重要だが、独創性が欲しい。同サークルに対して感じていた反戦志向にそぐわない会員もいるので、何か意表をつくものが出るかと、今後期待してみる。
 有事関連法について述べたかどうか定かではないが、靖国問題は頻繁に稿に出ているはずなので、両者は置いておいて、筆者は資料に挙がっていた「平和ボケ」について論じてみる。資料の趣旨は、《日本は、世界で唯一の伝統的な平和ボケ継承国である。日本人はこれを誇り、他国に自慢しよう》というものだ。平和ボケという言葉は、ノンポリの一種に対する呼称として使われている。筆者は戦争は政策の一種と捉える為、市民活動程度で戦争を食い止めることや批判することはおよそ困難であると考えている。しかし、テロもデモ行進も、行動であると同時に積極的に何かを伝える表現技法である。平和ボケを称することは、戦争という現実と向き合わない精神の肯定、また平和環境での自己満足なのではないか。
 ちなみにイラクに派遣されている自衛隊も、名目的・実質的に平和ボケなんである。非戦闘地域に派遣され、厳重な警備の下で人道的な復興支援を行っているかに見せかけて、実際は基地の修復やNGOにも劣る給水活動を行う一方で、現地で活動するNGOを警護するといった積極性は見られない。NGO保護は突発的発言であるとしても、他者が簡単に転ずることのできる「非戦闘地域」−即ち明らかな戦闘地域であるということ−で自衛隊を活動させることの意義は、国民に日本人のすべてが平和ボケでないことを示し、日本人の模範とすることにある。しかし、自衛隊も実は平和ボケの一種であることがこうして明かされる。
結:自衛隊は公僕として働くので、私的活動とは異なるが、いずれが平和に貢献し平和を意識しているかは断定できない。少なくとも、平和とは落ち着くことではなく、志向して活動することを言うのである。【2004/12/16/PM】