平成18年12月8日午後5時5分。いま、私は一つの不法投棄現場に来ている。ここで、電源の持つ限り、30分ほどモノを書いていこうと思う。手元にあるのは、ノートパソコンと、ホットで買ったのに冷め切った烏龍茶のペットボトルである。時間を見て分かるように、もはや辺りは真っ暗に限りなく近く、あと30分もすれば初めての人は帰り道を失うだろう。
さて、私は只今、投棄されたコンクリートのブロックに腰掛け、さらに同じ高さに積まれたブロックの上にPCを置いている。このブロックは今回初めて発見したものであるが、同類のものはこれまで幾度と無く、この土地で見かけている。ここはいったいどこなのだろうか?実は結構皆さん知っている名所だ。ここは、知られざるもう一つの「海上の森」。あの万博で騒がれた海上の森の、普通の人が足を踏み入れない部分である。なぜ人が入らないかというと、入口が分かりにくい、というのがある。どことなく、人家に入りそうな雰囲気が人を寄せ付けない。ところが、万博以前からある海上の森案内図には、ここを入るコースは示されている。そして。ここにはもう一つ、大事なものがある。実は、ココ、史跡なのだ。周りには一応、幟が立っていて、武田信玄が築いた砦であるとされている。詳しくは分からないが、実際歩いてみると、石垣状のものが崩れた雰囲気を感じ取ることができる。土地は三段階に分かれ、それぞれ平らな部分があって、建物を造ったらしい石も散在する。入ってみた人しか分からない、史跡である。
マジで真っ暗。もぅPCが最大の明かりになったぞ。目立っちゃうなぁ。ここは今日初めて足を踏み入れた場所なので、無事に抜けられるか分からない。史跡なのに、地元民すら知ってるかどうか。わが大学はここから徒歩15分だが、海上の森をしていても、研究対象にしていても、ここがその一部で、しかも不法投棄の現場であることなど知る由も無いだろう。第一、私がこの4年間砦の中をうろついたが、一度として人にあったことは無い。時折すれ違いで、犬の散歩やキノコ狩りの人々の車両等を見かける程度だ。ここが一本の散策道である事など認識されていないだろう。それをよいことに、かなりの投棄が見られる。ブロック類、古タイヤ、成人雑誌、プラスチック類が大量に捨てられている。人の入った痕跡の多くはそれらである、といっても過言ではない。さらに、もう一種、人間の踏み入った形跡がある。それは、モトクロスバイクの侵入である。これは、投棄もそうだけど、史跡の直接的破壊にあたる。バイクの侵入は、道の荒れ方で分かる。かつて山歩きをした経験から見て、道の中央部がV字型にえぐれている場合、それはバイクの走行跡である。特に斜面などはこれが現れる。散策道だけならまだしも、石垣状になった斜面にもこの形跡が見られ、無残なものである。
マズイ。そろそろ脱出だ。PC画面が明るいので、電源を落としたあと、しばらく目を慣らさないといけない。ともかく、身近な投棄現場に目もくれず、グローバルな環境問題を議論している某大学の学生どもに、ひどく憤りを覚え、ちょっと書いてみたまでである。では失礼。
補足(あとがき)
備蓄電源を2割も使ってしまったらしい。野場でまともにモノを書くのは初めてだったかもしれない。帰宅後に加筆する。
この場所は、愛環山口駅から徒歩10分。アスファルトの林道から、コンクリート滑り止め付の側道に数十メートル入ったところが入口だ。尤も、この側道前にはトラ柵が置かれていたこともあるから、車は入れないで欲しいし、たぶん不法投棄者は入れていたんだろうと思う。案内板は一つもないが、きちんと踏み跡のある道を歩いていけば、巷で知られている物見山などにつながっている。これはちゃんと私が歩いて確認しているから、間違いない。人の入れる場所は、ほとんど踏破した私が言うのだ。
けれども滅多に人の入らぬ場所であるから、一人きりになって物思いに耽りたいときや、現実逃避がしたいとき、本当に4年間お世話になった場所である。自然の音を収録したり、奇行をするのにもってこいの空間であった。おそらく今後卒業まで、足を踏み入れる時間はないであろうから、別れの意を含めて、ここに記したものである。この場所が、今後廃棄物に汚染され続けることなく、地域住民あるいはここを訪れる数多の自然愛好者によって、有意義な存在と生まれ変わることを祈るのみである。