南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

国慶節梁山の旅 2:水泊梁山景区

旅游专线を待ったが、無駄っぽいので歩く。昨日、遊覧車みたいなのがひょろーんと動いているのを見かけた。地図で見るとかなり遠め(火车站までぐらい)に感じたが、実際歩いていってみると30分程度。バスターミナルから駅と逆方向に5分ほど行くと、大きな梁山泊景区の入り口に迎えられる。数百メートルにわたる物産店街は、古風な造りの町並み。それが自然に途切れていって、いつのまにか雑木林に挟まれた上り坂。左手に、また武校を発見。少年たちが武芸を磨いている。気長に歩いていけば、バスやタクシーを求めるほど苦にはならない。最後に右へカーブすると、そこが梁山のゲートになる。近い近い。
入り口でしつこいカメラ屋に3枚撮られる。執拗に誘われても無視し続けるのが普段だが、梁山に来られた感動が先行。つい気を許した15元。安い安い。記念は欲しいし。
入場は50元。アレッ、200元とか想定していたので気が抜け落ちた。「多少高いけど...」って交通費かよ。少林寺に比べりゃ激安で、もう何枚写真撮られても良いと思った。が、こういう時に限ってもう誘われなくなるから虚しい。聚義庁の前なんか声かけ待ってたのに。かなり馬鹿。
梁山泊というのは青風塞(とりで)なのであって、両側を崖・岩場に挟まれた標高300m位の尾根部分に石像やら建造物がある。この尾根上の僅かな水滸の森で英傑たちに会う楽しみと、両側の白い絶景を眺める楽しみの2つがこの景点の特色。
まぁ詳しくたどってみよう。售票处から鬱蒼と茂る森を登っていくと水泊梁山广场。ここも記念撮影スポットの一つで、群雄の彫刻がそびえる。園内の一つの大きな分岐点で、私は右手を入って左手から帰ってくることになった。石刻の裏へ回るように、また暫く登ると断金亭。二胡のような伝統的な楽器を掻き鳴らす方がある。馬(ロバ)がつながれていて、此処から先の分军岭まで乗馬して登ることもできる。たぶん左手の宋江马道を行くのだろう。私はまた右を選んで、宋江便道。確か石畳のような道だったと思う。
分水岭。ここまで来てはじめて思い知ったが、景区内にレストランがない。ゆっくり夕方まで楽しもうと思ったので、これはひどい。代替として、景区中心部に当たる分水岭で菓子や飲料、そしてカップ麺を売っている。お湯も注してくれるんだろうか。ここでちょうど尾根を登りきってきた形になる。分水とあるように?、Y字型に分かれており、Yの脚のほうへ進むことになる。ちなみにここは4つの分かれ道で、あと一本は戻ってきたくもないほど急な階段下り坂である。のちほど頑張る。
号令台。四方を森に囲まれた三階建ての見晴台といったところ。銅鑼と太鼓を自由に鳴らせる。ここと忠义堂に最も入場者が集まる。忠义堂へ向かう人があまりに多いので、敢えて人気のない右の道を行くと、マジで寂しい自然歩道といった感じ。右军寨と示意図には描かれているが、むしろ草木に埋もれた遺構かなんかである。このあたりも廃れ感を誘うのだろうか。
号令台に引き返し、さらに登っていく。途中、黒旋風李逵と小李広花栄に会うことができる。李逵とは昨日火车站でもお目にかかったが、こっちのほうが断然ご立派である。108も英傑がいながら、園内でほとんど会えないのはなかなか興がないもんである。この辺は岩肌がむき出しの尾根づたいで、特に左手(示意図によると東側)など一歩誤れば滑落しそうである。そういうところに花栄は立っている。花栄も小説のイメージに合った勇壮さを漂わせる。
その突き当たりが忠义堂。「替天行道(天に替わって道を行う)」の旗が翻る。ここも一度撮影屋にお声をかけられたが、無視ってしまう。勿論衣装を着て撮ることもできる。けれど、ほとんどの将が半裸に近い姿だったのだから、あんまりそぐわない気もする。三方を回廊で囲み、中庭を経て奥が堂である。樹の造りなのか、涼しげでありながら奥深い温かみを感じる、観光地化された堂としては珍しい建築ではなかろうかと思った。大抵は、ガサガサした土かコンクリの模造建築で、コテコテと赤や黄に塗ったのだからだ。真正面に宋江,智多星,盧俊義の指導者各位、そして左右に天罡星、地煞星二手に分かれて108将すべて各々字(あざ)と名が付された椅子が置かれている。みな簡体字表記のため、一時期は暗記もした彼らの名を脳裏から呼び起こすのに少々時間を要した。不必要な人形を立てるよりも、こうして椅子を並べるほうが各将の気分に浸れていいものである。大道最前列の魯智深花栄などは、座って写真を撮ってもらうこともできる。私なんか全員分108枚撮りたい気分で、誰と選ぶのに1日かかりそうであるが。回廊の上もぐるりと一周できる構造になっていて、堂の上部には何か食べられるところがあるようだ。忠义堂の奥は靖忠庙。こちらには賽銭を投げてお参りする。
いい加減空腹がつらくなったので、売店で饼干を買って花栄の背中で食べる。これが全然食えたものでなくて、変な臭いまである。2,3個も食べたら嫌気が差した。「干」というだけあってカサカサで、まったく口に合わない。以来、ビスケットを買うときは特にこの食感に注意して、滅多に買わなくなった。
分水岭まで戻って、覚悟を決めて莲台寺へ向かって思いっきり下る。農作業の帰りなのか、荷を担いだ女性が数名これを登ってくる。道が道だけに、ここを降りて寺まで足を運ぶ者は少ない。背広姿のおっさんが喘ぎながら登ってくるのとすれ違う。下ってきた崖を穿ったような莲台寺。焼香を売る方はいらっしゃるけれども、なるべく目をそらして高台へ登る。なんか凄い地形だよな。また饼干をかじってお腹をなだめると、今度は腹痛が襲ってきた。これはいけない、顔が青ざめてくる。トイレは今の坂を登らねばなく、間に合わない。ここは隠れる場所を、とさらに法兴寺のほうへ向かう。途中大きな窪みにうっすら水の溜まった場所を発見。これが石井甘泉なのか分からないが、身を紛らせて用を足す。目の前には小さな畑、眼下に農道が続いている。別のほうに目をやれば家畜小屋だろうか、昼飯を食う人民が見える。観覧者より農民のほうが出没されたら怖いところだった。こちらも道なき道だし、法兴寺は向かう先の崖の上に堂らしきものが望めるので、いい加減に引き返した。これでも隅から隅まで歩いているのである。
あげくに水滸の森を冒険までしてしまう。これは図中でいうところの练武场から点将台に当たる辺りで、各スポット名称など表記されていないため、少し探して踏み込もうなら、それは道であっても遊覧路ではなくなるらしい。しばらくは団体客ともすれ違ったりしたものだが、いつの間にか道は続けど人には会わず。けれどそんな状況は他でもあったし、道があるならと進んでしまう。そしてついに、道そのものが途切れるのである。暫く思案していると、私と同様に迷い込んできた親子連れが後方から私に尋ねてきた。勿論分かるはずもなく、またその中国語すらマトモに理解していなかった。相手方も、こんなところまで疑いなく踏み込んでくる私がまさか異国人だとは思わず、無言の私に相当気味が悪かったに違いない。偶然付近に折り返すような分岐を見つけ、それを進む。家族連れは元の道を引き返したように思う。しかし、この道も途中で切れ、道なき道を滑落だけ気をつけながら掻き分ける。開けた眼下に、景区内の林道と梁山广场らしき広場が遠くに望めたので、ほっとして下れる部分を探す。幸い誰にも見咎められることなく、第二关付近から園内に潜り込むことができた。日本ならまだしも異国で山野を冒険してはいけない。
第二关まで正常に回ってこられた人は通るのだろうか*1宋江战船というスポットがある。舟形の見晴台的なものや、轟天雷の大砲がある。阮兄弟など水軍の将のために造られているのか。小さな碑林らしきコーナーもある。
9時に入って16時まで存分愉しみ、門を出ると例のカメラ屋に山東語を浴びせられる。さきほどは少し怖かった彼らも、あらためて顔あわせれば友人なのである。书法の作品を開いて売る爺さんも寄ってきた。土産屋は値切るまでもなく激安。扇子を品定めして2元。出版年からしてもはや古本の『水浒英雄谱』を5元。木製の杓丈や二丁斧などは、玩具ではあるが持ち主の風格を思い起こさせる品々だ。ただ、かなり埃被ってるしヤバい。高額でも10〜20元だもの。
バスターミナルに帰って、ひとまず水餃でも食うか、と思ったところを昨晩のおじさんに捕まって宿へ戻る。200余元かかるかと思いきや、100元にも達していないメインエベント。朝落花生、昼饼干、夜方便面とまともな食事をしていないのだけが傷。
つづく

(Map:水泊梁山景区)

*1:異常に回ってきた私も通れた(笑)。