南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

开封大相国寺

(お断り:この記事は、当日を初回とする2009年2月までの数度の入場を元に、総合的に記述しております。)
解説
中国の著名な仏教寺院である。開封市の中心部にあり、北斉の天保6年(555年)に築かれた。もともとは建国寺と呼ばれたが、唐の延和元年(712年)、唐の睿宗は自らの相王から皇帝になったことを記念して、大相国寺と賜名した。北宋時代に、相国寺は皇帝からかなり崇められ、何回もの増改築が繰り返され、敷地面積も34haまでに拡大され、64の禅と律院を管轄し、1000人のラマ僧が修行する東京・開封最大の寺院と当時中国最大の仏教活動の中心となった。清の康熙10年(1671年)に再築されたことがある。
購入したのが10月の半ばごろであるから、なんと4ヶ月以上も未使用のまま放置されていた年票を初めて使用したのが、この相国寺である。通常の入場料は30元。
開封市において、相国寺は重要な位置づけであり、名古屋の大須観音、東京の浅草のように、この周囲に大きな市場が開けている古い繁華街の一角である。この相国寺大市場は、雑貨や衣服用品を中心として、細い細い路地に何百ともいえる商店がひしめき、その賑わいは若干縮小・整理された現在でも衰えることはない。寺院のある南側を除く三方が、現代的なショッピングモールなどに改変されていく中、煩雑なこの市場は欠くことのできない開封のシンボルとして、まだまだ受け継がれ守られていくと思われる。そんな開封にとって大切な中心部であるため、交通も比較的便利である。火车站より5路、9路、29路が門前へアクセスし、中山路にある相国寺のバス停も含めれば、他の景区へも割と容易につなぐことができる。勿論相国寺も国家最重点保護文物(4A)の一つであり、開封観光の優先項目に値する。

山門内には、阿吽の仁王像。抜けて左手に鼓楼、右手に鐘楼。水滸伝に登場する花和尚魯智深は、この寺と関わりがあるらしい。そりゃそうだ、私が水滸伝で読まなければ、相国寺の名がここへ来る前から脳裏に残っているはずがないじゃないか。
まず四天王像に護られた仏殿、天王殿。仏様も東西南北四方を向いておられる。池を渡って、両側に千仏塔を配した先が大雄寳殿。金色の大仏が三体。ここを本堂と言うこともできる。時折ここで仏事が営まれており、熱心な信者と僧侶が読経している。その際は見学がしばし制約されるが、大抵全体を見ることができる。両脇には羅漢様が幾人も並んでいる。これらは模型ではあるが、なかなか表情が激しくて、その空気に圧倒されることがある。この相国寺の最高の見所ともいえるのが、次の羅漢殿または八角堂と呼ばれるお堂に収められた、四方向を向く千手観音像である。すべての拝殿の入口に、撮影禁止の旨が記されているが、ここは中でもかなり厳重で、また見学者もここだけはある程度遠慮する姿が見受けられる。多少修復の手が加えられているにせよ、これだけの形を数多の動乱の中維持してこられたのは幸運であるというべきである。ぐるりと囲む回廊には何かの模型が展示されてあったはずだが、08年夏以降撤去されている模様。左右対称に造られた境内の最北端、最奥の本殿が蔵経楼。玉の真っ白な仏の像と、お布施を払い灯明をともすピラミッド状の台がある。この布施は相当な額で、老百姓には容易ではないと思っていたが、案外そうでもないらしい。
そして、忘れてはならない日本人観光客必見の場所。蔵経楼左手にある大師堂。これは弘法大師空海長安への留学の際、道中立ち寄った寺である相国寺において、日中友好の礎として築かれた記念堂である。空海のたどった道のりや帰国後の日本における仏教の発展、そして仏教を通じた日中間の交流をささやかながら展示している。また、空海を通じて香川県の寺院や仏教関係者ともつながる石碑が置かれている。
境内の東西両側は、玉などの工芸品、とくに仏像をかたどった玉などを販売する店が多い。高級なものが多いので、敢えて入ってみることも少ない。

(map:开封大相国寺