南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

大飯原発再稼動決定

これは国民に対する戒めだね。節電を嘗めるな、と。いくら節電ブームだって原発ゼロに敵うものか。絆、絆と騒ぐけれども、現代日本人の結束力・団結力は通用するレベルにない。震災復興が急務のときに、野党勢力に散々足を引っ張られてきた民主党はよう身に染みて分かっとるわい。反原発運動家と原発の恩恵に与る人々の対立もあり、みんなが節電しとるけ自分はエエだろと大量消費する人間もおろうし、今の世の中それだけ多様化して、一致団結原発ゼロを克服したろうなんて夢物語の時代。野田政権の支持率も低迷しとるし、政府も国民を信用できん。そういう相互不信と国民の多様性による目標拡散を見越した政策。世相全体を象徴する政策だわな。これを機に、信じられんならやったろやないか、てな反骨精神がみなぎるところまで想定内なんだろうか。
その上で、今は1だけど最終的にはゼロなんや、ということを一国の長がはっきりと言うたらええ。54から1にするだけでも大きな衝撃だということがまだ国民一人一人に実感されてない。たしかに巨大地震と原発事故は日本人に深刻な打撃をもたらしたけれども、じゃあ54をゼロにして、その代替エネルギー捻出だけでなく原発によって育まれてきた様々な生活を全て短時間で保障できますか? 津波は天災だから一瞬にして東北沿岸部の人々の生活を奪った。原発停止が一瞬にして原発に依存してきた人々の生活を奪ったら、これは人災。原発事故で不自由な生活を余儀なくされる方々の気持ちを与し、廃炉にかかる年月と将来的負担を考慮すれば全基即廃止は分かるけれども、物事を単純化しすぎて極端な行動に走ってはいけない。政府は民意を与しつつ、ときにはそれに反するような政策を以て冷静に舵を切らねばならない。しかし、そうした決定を下す際は一層の説明が求められる。
今は先ず1、2基稼動させるけれども、最終的にはゼロなんだと。これは電力会社の圧力で言わされるのではない。プロセスを追って原発に携わり恩恵を受ける民の諸問題を解決して、徐々に脱原発するためなんだと。国民ももう少し冷静に真剣に多様な角度から脱原発を考えて、原発の利益に拘る人々の圧力から首相を引き離せるくらいのアピールを示し、首相をして段階的脱原発宣言せしめるような活動をしてほしい。短絡的で散発的なデモンストレーションは未だ、政を握る者には響かない。「今は増税、明日は減税」というのはないかもしれないが、「今は資本主義を導入するけれど最終的には社会主義を完成させる」という近隣諸国の発想を学び模しても良いのではなかろうか。
国民総出で節電をきわめて拙速な脱原発を成功させるのも、政策を後援し総理に段階的脱原発を自信溢れる強い口調で宣言させるのも、いずれも一丸となった民意のパワーに懸かっている。俺は後者に賭けたいね。