南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

多々謝々!台湾の旅(2):花蓮

出発準備

ゲストハウスには、トイレとバスと洗面所が一体となった部屋が一つしかないので、異性に占領されるとなかなか使えない。それで顔も洗えなかったが、待ちくたびれて外に出た。宿の周りを散歩してみる。ガラの悪そうな地区と思いきや、確かに裏通りだけれど生活感のある町だった。バイクの修理工場や準備を始めた食べ物屋さんを覗きながら、しばらくして表通りに出た。そこは原付天国。一つの交差点に車が一台とまっているとすると、その前には10台の原付がいなければ交差点とはいえない。それが台湾であると実感した。話に聞いていたとおり、通りの歩道は一軒一軒の店が一部一部を所有し、タイルの模様から段の高さまで自由に決められている。それで、猛烈に歩きにくい。これでは車椅子は生活できない。歩道を降りれば、原付と自動車の暴運転と警笛に曝される。2,3ブロック歩いて、疲れたので再び裏道に戻った。
外に出たついでなので、このまま旅の現地準備を進めてしまう。まず台北駅前の「台北國際ユースホステル」へ。新光三越のとなりにあるNOVAと書かれたビルに入る。ここの13階(最初22階と間違えて迷った)にあるYHで、10日から5泊分の予約をする。初め日本語が通じると思って話しかけたら、分からないと言われ、ぎこちない英語で進めた。最初は不審に思ったかもしれないが、拙い英語を理解して予約処理してくれた彼に謝謝!
これで当初の計画通り前半を東部で、後半を台北で過ごすことが固まった。次に、花蓮へ行くための切符を買わねばならない。台北駅構内のど真ん中にある売り場で、まず乗る列車を決める。時間的に、昨夜決めた自強号が厳しかったので、やや停車数が多いが値段の安い莒光号を選んだ。これをどう買うかだが、私は紙を使うことにした。混雑しているので、もたつくのは迷惑だ。端的に「台北→花蓮 莒光号 10:04発」と書いて、窓口に提示した。このとき試しに、2割引が施されるという国際学生証も出した。対応した女性は、スムーズに扱ってくれたが、No seat OK?と聞いてきた。私は乗れればいいや、と思ってOKと言ったのだが、台湾の自強号と莒光号は全車指定席で、No seatとは指定席と同じ金額を払いながらも座席は保証されないということだ。でも2割引は効いたし、何より切符を発行してくれたことに謝謝!275元で、「学生」と「無座」の表記がされた切符を渡された。やったぁ、鉄道に乗れるぞ。

いざ、花蓮へ

 発車まで残り15分。「おおしろ」へ駆け戻りチェックアウト。駅構内の7-11で饅頭(因みに芋餡1つ、肉餡1つ、計15元)を買って、気づいた。改札はどこ?ここで既に5分前。四角な駅内を半周くらいして、地下の改札へ降りる階段を見つけた。脇目もふらずダッシュで降りて、改札機を通そうとしたら、裏面は磁気でなかった。監視の女性が気付いてこっちへ来い、と示すので、行って改札が済んだ。で、ここで初めてプラットホーム(月台)を確認すべく、電光掲示板を見た。
 「晩15分」
 列車は遅れていた。ほっ。因みに、このとき既に時刻は10:05で、発車時刻を1分過ぎている。それでよく改札が通れたものだと思ったが、遅れていたのだった。それでは、とトイレを探した。何せ、異性に占領されていて、起きてから一度も行ってない。ところが、現在台北駅構内(改札付近)は工事中で、女性用は改札内にあるが、男性用は外にあった。うわ〜ん。
 月台に降りて、さっき買った肉饅頭(台湾の肉まんは明らかに日本のより大振りで、食感がある)を頬張って朝ごはん。ここで水も買っておこうと、月台の自販で「高山烏龍茶(商品名は就是茶だったと思う)」を買う。噂に聞いていたが、台湾の飲料は非常に甘いというのは事実で、烏龍茶にまで甘味料が入っている。日本で言うと、「午後ティー・ストレート」レベルの甘みでさすがに微弱なので、これくらいなら寧ろ入っていて欲しいと思った。後日台北駅にて、無糖の同製品を見つけ買ったが、意外と無糖のほうが不味かった。
 「晩15分」が「晩18分」に変わった後、やっと列車が現れた。連結部にある少ない乗降口から、大勢の老若男女が乗り込んでいく。これで停車時間がゼロなのは考え物で、最低2分は要す。おまけに無座の私は別として、大半が自分の席のある車両に乗ろうとするから、混雑は激しさを増す。無座なので、最後尾に並んでいると、若い男性が何やら話しかけてくるも不知道。そのうちジリリリリと発車のベル(元祖発車のベルとはこういうものか)が鳴り響き、慌てて乗降口を替えて飛び乗ると、何気にゆっくりと列車は動き出す。乗降ドアは手動。閉まらないでも発車。
 ここで少し台湾の鉄道について話そう。台湾の鉄道は、九州よりやや小さな全島を一周する環状幹線と4,5本の支線によって構成され、全線を台湾鉄路管理局が運営する国鉄だ。おおまかに自強号(特急格)、莒光号(急行格)、そして復興号や電車などの底辺種別が走る。乗車時はすべて、行き先によって(自強や莒光に乗るときは列車も固定される)切符を購入し、乗り換え時はまた切符を買いなおす。人口の多い西部は各駅停車の数も多く、去年11月までに新幹線も開通予定だったが、1年見送りとなった。一方、今回利用する東部幹線は、台北から遠ざかるにつれて各駅停車の数は激減し(1日2本程度の区間も有)、まだほんの2,3年前まで非電化であった。しかし幹線ということで、一応複線化されており、次が不思議なところだが、左側通行である。後日利用する台北MRTも、自動車道路もすべて右側通行で、車両は左ハンドルとなっている。が、台鉄は左側通行である。これは恐らく、日本統治時代に建設された鉄道であることを物語るような気がする。まずはこのくらいにして、花蓮へ向かおう。
 列車は、次の松山駅で地上に出る。私は無座を購入したことを非常に後悔していた。地上に出ると多少和らいだが、連結部の走行音の喧しいこと、喧しいこと。そして扉の前に座っているので、景色は見えて良いが、停車時には狭いながらも客を避けたり、扉を開けてやらねばならない。文句を言っても始まらないので、景色を眺め、通過する駅名を読んで楽しむ。読むというのは、ピンインを読むのだ。一番に覚えたのが八堵(Badu)で、この駅から基隆へ行く支線が分かれていく。台北を出てしばらくは、「近代化・現代化の進む都市近郊」という風景画が描かれている。高層マンション、高速道路などが建設中で、鄙びた集合住宅や南国風の寺院と交互に現れ、消えていく。そして八堵付近を境に、本格的な東部田園地帯に突入する。福隆付近では、ホームで駅弁を売っている女性がいて、停車時刻になると100元をもって乗降口に乗客が集まる。そして、発車間際や発車後までも開いた扉から女性を呼びつけ、駅弁を買う有様は何とも面白いが、さすがに自分ができる芸当ではない。(100元で売っているのではなくて、瞬時に掴みやすい紙幣の最小単位が100元だからだと思う。日本なら千円札のような。) 福隆を過ぎると、両側山の世界から、右手山・左手海の世界に変わる。曇り空が惜しいが、沖縄よりも南の世界にいる感じがとても出ている本格的南国風景が広がる。
 車内はまだ春節ムードで、家族連れが多い。宜蘭付近で客が幾分減った。いい加減無座に疲れたので、空いてきた頃を見計らって、座席と壁の間に嵌ってみた。ここなら文句を言われないし、トイレや乗降の客に避けさせられることも無い。莒光号では各車両に水コーナーがあるが、セルフサービスだ。また主要停車駅の到着が迫ると、ゴミ回収が行われる。乗降口よりもリラックスして車窓を愉しんでいると、一人の男性が何かを配りながら通路を歩いてくる。初め、彼はツアーの添乗員で、関係者に限定して配っているのだと思った。しかし、さっきの駅で舞い込んできたような若者にも配っているし、寝ている客以外は分け隔てない。そして彼は、座席でもない車両最後尾の空間に収まっている私のところへも来て、「歓迎(と言ったように私の耳は記憶している)」と言いながら、一掴みの何がしかの実を私の手に載せて行った。これは車内サービスなのか!! 謝謝!! 無座とはいえ同じ料金を払っているんだから貰う権利がある、というのはこの国では通じない考え方だとすれば、これは有り難い恵みである。もし、あのまま乗降口に留まっていれば得られなかっただろう。碌な昼食をとっていなかったので、早速戴く。実は、銀杏ほどの大きさで、形は丸(やや楕円か)、薄くも硬い殻で覆われ、咬むとすぐ割れる。味は、マカダミアナッツが最も近い気がした。20粒ほどだが、分け隔てない温かみを感じた。改めて、謝謝!!

出会い

 13時45分、花蓮到着。時刻表より22分遅れ。降車して初めて、この列車が電気機関車に牽引されていたことを知る。だから下等種別に「電車」があるのだ。さて、このシリーズは紀行文を通して、出会った方々、接した方々にお礼を言う展開となっており、ここまでにも幾度となく謝謝!!と言ってきたが、今回の旅で最も心に残った方の一人が、この花蓮で会ったタクシー運転手呂来福さんである。この出会いなくば、花蓮観光はどう左右されていたか知れない。
 花蓮駅前の鉄道記念公園に佇んで、どう旧駅前バスターミナルに向かおうか思案していた私に、呂氏は中国語で話しかけてきた。私は早口の台湾語に戸惑い、何とか「我是日本人」とだけ呟くと、すぐさま「私、日本語できますよ」と切り替えてきた。気さくな話し方で、あっという間に話がついて、いつの間にか彼のタクシーの中。明日太魯閣に行こうと思っている、と伝えるとすぐにパンフを出して見せてくれるし、今すぐにも案内できると言う。旧駅前まで、と行き先を伝えてあったが、目的は勿論今夜の宿。その付近に目星の宿があると言うと、彼はすぐに金龍大旅社を挙げた。それはまさにビンゴで私の目星だった。車内で明日の太魯閣観光チャーターを契約して、車は金龍大旅社の前に停まる。運賃は110元だが、これはガイドブックにあった料金と同じで、ボッタクリではない。しかも、私と一緒に旅社に入り、チェックインまでスムーズに誘導してくれる。そしてここの女主人がまた日本語流暢な方で、とても親切。曇りが残念だが、海の見えるいい部屋を提供してくれた。呂氏がこれから花蓮を案内する、と私を誘ったが、彼女は「またお金儲けするんでしょ」と呂氏を嗜め、自転車を貸すといってくれた。こうして、列車を降りてから30分程度で、今夜の宿も明日の日程も決まってしまったのだった。お二方には、本当に感謝します。

花蓮(Hualien)観光

安心したら、お腹が空いてきた。花蓮の町に出てみよう。傘を貸してくれたので、小雨振る中、外に出る。どの辺りで、どういうものが食べられるか教わったが、まず飛び込む勇気が出ない。空腹を抑え彷徨っていると、心配だったのか、宿の女将さんが出てきていた。台湾の食べ物屋が初めてで戸惑っていることを伝えると、一軒の麺屋に連れて行ってくれた。ここで初めて、私は台湾庶民の味、排骨麺を食べることになる。店先で注文し、奥の席で待つ。彼女は自分のを持ち帰りで買って、運ばれてきた排骨麺に私が代金を支払うのを見届けて帰っていった。ほんとにありがとう。謝謝!! プラスチックのレンゲと割り箸を取って頂く。骨付き肉の載ったラーメン(麺が焼きソバやラーメンのタイプ)といった感じだ。空腹と有り難さで美味しかった。これで、台湾の店の要領がほぼ分かった。この店の名は忘れたが、ご馳走様!!、そして謝謝!!
トントン拍子で調子に乗って市場で買ったのが、列車内で子供たちが齧っていた牛奶蜜棗という実。少し寂しげだけれど、何だか大阪の高麗市場に似ていて、つい釣られた。指差しで3斤100元と書いてあったのを買ったが、まさか3kgだったとは。しかも、傍に1斤50元があったのに。30個くらい袋に入れられ、渡されたときには後の祭り。でも、これが瑞々しくてとても美味しいので、一気に7個くらい食べた。レモン弱ほどの大きさで、小さな青リンゴをイメージすると良いだろう。中は名のとおりミルクのような白い果肉で、食感もほぼリンゴ。しかし、3斤はやられた。近くの河原で休んで1斤食べて、1斤忠烈祠に献じて、1斤は宿に持ち帰った。ま、量はともかく、美味しいので謝謝!!、市場の小母さん。(1斤は500gですた。勉強不足や)
忠烈祠というのは、日本で言えば護国神社みたいなもの(と思うよ)で、台湾の大きな町ならどこかにはある。数年前の大地震で崩れた階段がまだ修復されていないが、荘厳な造りの寺院風建築物だ。右手階段脇にひっそりと置かれた馬の像は、日本統治時代に作られたものらしい。花蓮市街を一望できる忠烈祠の丘で観光客らしい人に、何か尋ねられたが、日本人だと言ったら離れていった。「地方difang」という言葉だけ聞き取れた。海岸に近い寺院の前で、京劇らしいものをやっており、中高年が大勢見入っていた。花蓮の観光名所は郊外に分散しているので、市内で見れるのはこの程度だ。

扁食の店

一旦宿に戻ると、部屋の鍵を返してくれながら、「この近くで、アミ族の民族舞踊を夜8時から9時まで上演する」のだと教えてくれた。阿美文化村まで行くつもりだっただけに、これは好都合だった。これに合わせて、しばらく休んだ後、夕食をとりに再び外へ出る。今度はガイドブックに載っていた扁食(ワンタン)の店へ行く。華やかだけれど台北より田舎染みた繁華街を抜けると、大盛況のこの店があった。若者が原付を並べて屯している。彼らも持ち帰りで注文しているのだ。先に勘定して、番号札を貰う。心配だったのか、店員が私が席に着くのを見守っていた。謝謝。目の前で手際よく包まれていくワンタンを見ていると、順番が巡ってきた。ワンタンというより、餃子が7,8個入ったスープだ。薄味なので、胡椒を軽く振って食べる。旨い、旨い、幸せ。台湾美食界の有名人と言われる店長も現れた。液香扁食店、謝謝!!

アミ族の舞踊

さっそく旧駅前バスターミナルから徒歩5分ほどの、会場へ行ってみる。既に中国語圏の観光客が集まっている。アミ族というのは、台湾東部の原住民で、台湾で最も人口の多い原住民だ。秋学期、大学の文化人類学講義にて、「アミ族の母系制社会」について学習したので、今回台湾へ行くに当たってアミ族の文化に直接接してきたいと考えていた。計画通り花蓮に着き、阿美文化村まで足労することなく舞踊を見ることができるのは幸運だと思う。民族舞踊は、私と同世代の若者が中心になって、余興も交え観客も参加できる形で演じられた。北海道の「白老ポロトコタン」で見た舞踊を思い出した。あれも、地元の若者が中心になって、文化を残していく意気込みが感じられたものだ。顔立ちも掛け合う声もどこか日本人に似た彼らの舞は、アイヌと重なって余計に身近な民族に感じられた。1時間ほどで終わったが、客の去った舞台で彼らは今の踊りを再考、練習していた。(尤も、男子は爆竹を鳴らして女子を冷やかしていたが) 舞踊の内容は、話している台湾語が分からないので理解できなかったけど、生き生きとしていて感動した。謝謝!!
この会場は、「石藝大街」といい、大理石の高級藝術を販売する観光施設である。ここ花蓮周辺、特に明日訪れることになる太魯閣峡谷は大理石を豊富に産出し、石の芸術を生産販売する事業が盛んだ。買えないので見るだけ。

そうけのもち

花蓮の夜市と繁華街を廻って、平仮名の看板に惹かれた。「そうけのもち」って何だろう? 入って即、分かった。市内至る所で売っている、サツマイモ、サトイモ、タロイモなどの芋を練って作った餅状のお菓子だ。品を眺めていると、店員さんが寄ってきた。最初中国語でいろいろ話しかけてきたが、分からない。気付いて、一つ品を切って試食させてくれ、「餅」だと言う。なるほど、「きなこ団子」というのが分かりやすい。さらに二つ・三つ試食させてくれ、全部「餅」だと教えてくれる。まんじゅうに餅状の芋が入っているものだ。次に、今度は「餅クッキー」だという飴で固めたようなのを食べさせてくれる。「ポン菓子」と言うんだったか、日本でも時々見る。親戚で中国や台湾によく行く人が、買ってくるものと同じ。これも数種類味見した。ここで彼女は一旦離れる。看板は日本語なのに、中の人は日本語ができない。それで店員たちは戸惑っているようだ。私はというと、いくつか味見したはいいけれど、まだ台湾2日目でお土産を買うには早すぎるので、どう退散しようか思案しながら再び品定め。漸く、もう一人の娘が今度は英語で話しかけてきた。「餅」と「餅クッキー」どちらがいいか、と聞く。私は「餅」と答えながら、これは買うしかないと決めた。それで、また拙い英語だけれども、もっと容量の小さいものは無いか、と尋ねた。かさ張る箱物や大パックは移動に困る。残念ながら、ここにあるのが限界だと言う。仕方ないので、賞味期限などを見せてもらいながら、比較的かさ張らない「餅」を選んだ。中国語も英語もまともに通じないような客に、懸命に「曾家之餅」を伝えようとしてくれた店員さんに謝謝!!謝謝!!

(プラス・コラム)旧駅前バスターミナルという所について

出発前に読んだガイドブックと、実際に見たものから推測するに、現在の花蓮駅から台北方面に5km弱の位置から花蓮市街に向けて支線の様なものがあったらしい。いつ頃現在の花蓮駅が主要駅となったか分からないが、台東や蘇澳でも新站というものが郊外に造られて鉄道運営の効率化が図られているため、花蓮もこのような処置がなされたものと思われる。花蓮旧駅は太平洋を望む海岸にあり、現在は広大な更地で、片隅に太魯閣や台北などの方面から発着するバスの事業所がある。この更地はまだ新しげで、また市内各所に踏切跡や寸断された架線、線路跡を舗装した道路が見られることから、支線と旧駅を廃止したのはそれほど以前ではないようだ。花蓮の古い市街地はこの旧駅を中心に広がり、また交通の要所としても旧駅の役割は依然として大きい気がする。
続く