南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

多々謝々!台湾の旅(3):太魯閣

金龍大旅社をあとに

 呂さんとの約束は9時。時間があれば朝食を取っておこうと思ったが、相変わらずの曇天だったので布団を出るのが億劫になって辞め。昨日の蜜棗を数個齧って(嵩減らしでもある)済ませた。「そうけのもち」を詰めるのに苦労したが、何とか荷物整理を終えて階下に降りると、もぅ呂さんはロビーで女将さんと話していた。よく海外では時間を守らない人が多くて観光客が苦い思いをする話があり、それを想定していたのだが、10分前に既に階下に彼はいた。そして彼の笑顔は、絶対に世の中の8割以上の人を爽快にするだろう。女将さんが「明日はどこに行くの」と尋ねると、呂氏が先走って「宜蘭」と言うのを遮り、私は太魯閣に泊まろうと思っていることを伝えた。時間があれば宜蘭や蘇澳に向かえれば、と言うと、「それは充分ある」と彼女は言い切り、私が予定していた民宿*1よりも礁渓温泉に行くといい、と薦めてくれた。宜蘭からもバスが出ていて、泊まるところが充分にあると言う。この日には泊まらなかったが、後日この情報はとても参考になった。行き当たりばったりになってしまっている私の旅において、宿の信頼できる情報は本当に有り難いし嬉しい。呂さんとも打ち合わせてくれて、タクシーに乗り込んだ私を外まで見送ってくれた姿を忘れることができない。「また来てください」という言葉とともに。
おばさん、謝謝!!謝謝!!

朝ごはんの店で

海岸で花蓮港を一望した後、小吃の店に連れてってくれる。自分はもう朝食を済ませたと言うのに、私のために、だ。それでも「ゆっくりね」と言って、嫌な顔一つせず、電話したりして待っていてくれた。物凄く甘いお粥(だとこの時は思ったが、奶茶だったらしい)と軽い焦げ目の付いた肉まん(お焼きのようだが油濃い)を二つほど選んだ。食べている私に、店のおばさんがしきりに話しかけてくる。日本のどこから来たと聞くから、名古屋というと、呂さんと同じようにやはり名古屋という町が分からない。それで、漢字を書いてあげたら、思い出したように「彫刻」の話をしきりに持ち出す。“超”要約すると、どうやらこの店の主人(店頭にいた)が昔、名古屋でレリーフらしい物を製作したらしいのだ。それほど歳の方でもないから戦後のことだろうが、読者の方で台湾人製作の有名な彫刻が名古屋にあると聞いたことがある方は、知らせて欲しい。おばさんも、見たこと無いでしょ、と言って笑っていた。真偽は知らんが、意外なところで興味深い話に出会った。
その後、地元の高年夫婦が来店した。おばさんが私を日本人だと紹介してくれる。それで婦人が夫のほうを見たので、何か日本語を話すのかな、と思って彼のほうを見たら、野太い台湾語が返ってきた。通じなかったので彼は諦めてしまったが、こういう場面で聞き取れないのは惜しい。でも、店の人も来客夫婦も積極的に話してくれたのが、美味しい小吃の朝食を一層美味しくしてくれた。ほんのわずかな時間だったけど、謝謝!!

大陸から来た人

呂さんは気さくで親切なので、いろんな出会いがある。花蓮市街の外れで、一人の男性がタクシーを止めた。同じ方向だから、と乗せていく。普通なら「満車」ということで止めてももらえない。さて、呂さんは私を「他是日本人(ズーペンレンというのを初めて聴いた)」と紹介し、「日本語ができるか」と聞いた。70~80くらいのお爺さんで、半世紀にわたる日本統治時代を考えれば間違いなく話せるだろう。ところが、彼は「話せない」と断言し、ここからは呂さんの通訳だが、「戦後、軍人(兵士)として大陸から渡ってきた中国人」だという。花蓮市郊外には国内線空港と隣接して、大きな軍施設がある。現在は共産中国との海峡問題で対峙する為の軍備だが、嘗ては蒋介石率いる国民党が台湾現地人を圧政の下に支配する為の手段として、中共支配の大陸から逃れるように渡ってきた兵力が置かれた。そのため、空港や軍施設周辺には、所謂外省人兵士とその家族の居住地区が点在する。タクシーは、いかにも寂しげで環境もあまり良くなさそうな住宅地に入って停まった。今や国民党も李登輝氏による大転換を遂げ「台湾人による台湾」が叫ばれる中、外省人と呼ばれる人々は、観光に来る日本人とも話せず、軍施設の片隅に侘しい生活を送っていた。ほとんど呂さんとの会話だけだったが、私のことが話題になっていた。これまたわずかな時間だったけれど、思いがけない出会いとして心に残った。お爺さん、謝謝、そしてお達者で。

いよいよ太魯閣峡谷へ

清水断崖へ向かう道との分岐でもある、東西横貫公路ゲートに立って、写真を撮る。ここがいわゆる太魯閣峡谷の入り口。誰でも撮れそうな普通の写真を、10枚綴りで売っている片言日本語のおばさんがいる。押売り気味なので、ここは強めに断らねばならない。さて、ここからは太魯閣の名所や印象に残る場所をコメントしながら進めていく。

神秘谷歩道

大理石の獅子が荘厳なほど贅沢に施された橋から、川上に向かって遊歩道が設けられている。まだ、この奥ほどゴツゴツした岩肌オンリーの河原でなく、緑の混じった美しい渓谷で、夏場には水泳ができそうな綺麗な水が流れている(呂さんは実際に泳ぐらしい)。しかし、下の渓谷の美しさに気をとられていると、歩道の頭上には今にも崩れそうなほど張り出した岩があり、足元も舗装とは言いがたいほど妙に歩きにくいので、怪我をしないように。ここでも気さくな呂さんは、すれ違う観光客と声を掛け合うので、こっちも気兼ねなく景色を楽しめる。

燕子口

太魯閣の超見所の一つ。ツバメの嘴のように川幅の狭くなった峡谷、という意味なんだろう。タクシーは出口まで廻っていてくれたので、右岸の岸壁を掘られたトンネルから覗くような形になっている観光用歩道を歩く。歩道と言っても、東西横貫公路の一部だから交通量に注意する。トンネルの入り口で、トンネルと燕子口を入れたアングルで写真を撮ろうと思ったら、別の観光客の車が邪魔で撮りにくいので暫く待っていた。ところが、その車が去った途端、別の団体車両が進入したので諦めざるを得なくなったのが今でも惜しい。向こう岸の岸壁が今にも手に届きそうなほど近く、双方が垂直に切り立っている様は、なかなか日本でも見たことがない。遅いのが気にかかったのか、呂さんが迎えに来てくれた。

首長岩

インディアンの頭部に似た形の大理石がある岸。どうも呂さんの話では、近年の増水などによって首や顎の部分が崩れて流され、変形しているとのこと。付近には、日本統治時代に残されたダムもあり、水量の変動は激しそうだ。公路からはやや遠い位置になるので、写真を撮っても望遠設定がないと小さすぎる。

九曲洞

太魯閣の名所。太魯閣が大理石で形作られていることを最も間近に感じるスポット、と言えるだろう。もう一度燕子口のような狭い谷を真っ暗なトンネルで越えると、そこは手前と別世界。真っ白な巨石と、そこに流れ落ちる滝。あれだけ白いと人間様も傷をつけられないので、厳重に保護されているのだろう。ただ地震の跡なのか、台風の襲来があったか、所々に大規模な崖崩れが見られ、自然界の恐ろしさを煽る。それでも写真スポットには最適で、呂さんにも何枚か撮ってもらった。

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太魯閣峡谷

緑水地質景観展示館

「最も綺麗な写真」と呂さんが笑う、太魯閣の絶景写真が展示されている。そして太魯閣の成り立ち、台湾の地形と地殻変動などがビジュアルに解説されている。台湾語も英語も程々にわかるので、展示内容も程々に分かる。

天祥

太魯閣観光の中心地。ここで昼食。いわゆる「自助餐」と呼ばれるセルフサービスを主体とした(団体で囲む料理には決まったメニューがある模様)店で、ご飯とスープ(湯)は好きなだけ、おかずは肉魚・野菜の10数種類からこれも好みに合わせて皿に盛る。勘定は盛った後か、食後。このスタイルは初めてなので戸惑ったが、呂さんに倣う。それでも何だか数種類のおかずを食べるのは久しぶりなので、結構盛った(特に野菜類)。そして、久しぶりに食べる真っ白のご飯!台湾東部は米の産地で、名ブランドもあるらしい。温かいご飯は食欲をそそる。日本で味わえない野菜もいくつかあったが(特にブロッコリーに似た食感のキムチ漬け)、また呂さんとの交流になって良かった。勘定200元(呂さんは「高すぎる!」と憤慨していたが)で久々に調和の取れた食事ができたので、この店に謝謝!!(高いのは観光地だからだろうと思う)
ここ天祥は太魯閣を訪れる観光客の休憩場所であると同時に、宿泊施設の揃った場所である。私も当初の計画では、天祥天主堂か青年活動中心に泊まることを予定していた。わずか半日でここまで着いてしまい、天祥天主堂への矢印看板を見ながら、あらためて呂氏に出会えた幸運を思う。謝謝。
天祥の名所、祥徳寺。架け替えられた吊橋を渡り、超急勾配の階段を登る。山上にそびえる七重の塔、天承塔から見渡す真っ白な川と深緑の山々。大理石の観音像と、本殿脇の金色像が対照的で際立つ。寺院は写真許可が要るかな、と思いつつ、周りに従って撮ってみる。台湾の寺院は艶やかで圧倒される。タクシーに戻ると、呂さんは昼寝をしていた。

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祥徳寺

長春

二つの滝を跨ぐように立つ寺院。雨が降り出したので、やや離れた休憩所からの展望。カメラの第一器が間もなく切れようとしていた。呂さんは意識してフラッシュを焚いてくれないので、写りが気にかかる。

別れ

私が祥徳寺を見ている間に、呂さんは牛奶蜜棗を買って置いてくれた。昨日3斤も買いすぎたアレだが、ほんとに瑞々しくて旨い。齧っているうちに、タクシーは峡谷を下っていく。やがて、太魯閣ゲートを抜け、石材加工工場や石細工販売店を左右に見る国道へ。1日とはこれほど長くも儚いものなのか。まだ呂氏と会って24時間、しかし私は一人の日本人観光客に過ぎない。他愛もない話をしながらも、車は徐々に花蓮駅へ近づいていく。何度も言うように、呂氏と会わねば、花蓮で安全で充実した旅のスタートは切れなかった。今や花蓮を去るのが惜しい。日本語の通じる人、通じない人それぞれに親切にしてもらい、交流できたのも呂氏のおかげだ。
花蓮駅。あらためて駅周囲を眺めると、たった25時間前とは全く見え方が違った。到達感と不安に包まれていた昨日から、充実感と惜別感に溢れる今。私は呂氏とお礼の写真を撮るために第一機に1枚だけ残していた。残念なことに撮ってくれる人が周りにいなかったので、彼のタクシーと一緒に撮ってもらったが、あの誰にでも気さくな笑顔は収めたかった。花蓮駅構内で、呂さんの大きな手と交わした硬い握手が、別れの挨拶となった。
呂さん、謝謝!!謝謝!!

まさか、まさかの怪事件@武塔

さて、ここで私が素直に礁渓温泉に向かう、と思った方、残念。後にこの裏切り者め、と言われたような気がしたのは確かだが、この時はまだ花蓮を無事に終えた余裕があった。それと、今から礁渓に向かうと宿探しに手間取る恐れがあり、17時までに宿泊地に着く必要があった。それで、兼ねてから計画済みの「サヨンの家」民宿に今夜泊まり、明晩礁渓へ行くプランを太魯閣観光中に編み出した。花蓮では国際学生証が効かず、84元で鈍行電車の切符を買う。ロングシートの電車に揺られて、着いたのが武塔(wuta)駅。なんと無人駅!おかげで台湾鉄路唯一手元に残った切符となった。この無人駅というのが、何となく嫌な予感をよぎらせた。つまり、背水の陣だ。逃げ場がない。電車の本数が劇的に少なく、無人だから運賃処理の手段が分からない。兎も角時間はまだある。持参した地図どおりに探すも、見つかった民宿は人を寄せ付ける気配がない。楽あれば苦あり、のとおりに危機襲来。今から宜蘭へ行く列車は、当分ない。この武塔という集落は、人口が数百程度と思われる片田舎で、余りにもしんとしていた。

武塔交番にて

途方にくれて田舎道を歩いているうちに、交番の前を素通りしかかった。と、大荷物を背負った私を不審に思ったか、一人の警察官が声をかけてきた。勿論早口の台湾語だから全く解せない。相手は警察、何も言えず口をモゴモゴさせていると、制服さんではない一見ガラの悪そうなおっさんが近づいてきた。最悪の場合のキーフレーズ「我是日本人」を言うと、「你是日本人?」と確認するように言い、「どこへ行く?」と日本語で聞いてきた。私は、「宜蘭」と台湾語っぽく発音してみたのだが、通じなかったらしい。兎に角怪しいので、ということで「入れ、入れ」と署に招き入れられた。
若手の警察官が紙に書いて質問してくれる。「你去那里?」私は必死で宜蘭と書いた。さっきの土建屋みたいなおっさんも覗き込んで、「ああ宜蘭だ」と納得する。この先は、何分焦っていたので、どう書かれたか、あるいは口頭(勿論台湾中国語)だったかも知れない。「どこに住んでいる?」と聞かれ、「日本」。「宜蘭で知り合いは居るのか?」と問われ、「没有」。「宜蘭で今夜どこに滞在するのか?」には、何故こんな状況でこの単語を覚えていたのか分からないが、「不決定」をきちんと発音していた。たぶんこの答えで駅に送ることを決めたのだろう。「(自分のを見せながら)身分証明書を見せろ」というのでパスポートを提示した。まったく旅行中で出入境以外にパスポートの御用となったのは、これが最初で最後。ホッチキスで綴じられた出入境カードを見て、「観光か」と聞くので、「对」。裏表紙内側の所持人記入欄も読み(書いておいてよかった)、怪しい者でないことが理解してもらえたらしい。「你怎么来这里?」やはりパニックだったので、書かれてもこの程度の質問が理解できなかった。自行車とか開車とかジェスチャーを見ているうちに、やっと「何で来たか?」だと分かった。それで「火車」と返答できる。こうして、筆談とジェスチャーを用いて私に「君を駅まで送る」という判決が下され、数分後に交番前にパトカーが停まった。先ほどの恐持てっぽいおっさんも、実は警察と親しい地元の世話人という感じで、私が署員と話している間署内を掃除していたり、「水、持ってるか」と私にペットボトルを薦めてくれた。本当に3,4人いた署員全てが親切で、路頭に迷う不審者もとい言葉の通じにくい日本人旅行者を善処してくれた。

まさかのパトカー護送

まさに屈強という体格の警官が運転するパトカーに乗車。署員が総出で外に出て私を見送り、「さようなら」と日本語で。こんなハプニングは二度と訪れないだろう。軽はずみの無人駅下車から田舎集落の交番で大変なご迷惑をお掛けしてしまったが、これも一つの出会いというべきか。どんな形で返せるものか見当もつかないけれど、この御恩は忘れることはございません。有難うございました。謝謝!!謝謝!!
武塔の一つ北の南澳駅にパトカーで乗りつけた私は、居合わせた人々に不審な目で見られながらも、日の暮れかけた17時半の莒光号で宜蘭へ発った。(初めて有座だったので、逆に戸惑った。)

ずぶ濡れ宿無し猫、救われる

18時もすっかり回った夜の宜蘭は雨。日が暮れても宿無し―一度はこんな経験をすることになろうと思っていたが、まさに直面してみると強烈な不安に襲われる。兎も角も自分を救うのは自分だ、と立ち上がった。駅周辺を歩いてみるが、この時ほど「美日語地球村」(台湾大手の外語教室らしい)に飛び込みたいと思ったことはなかった。ここならたぶん日本語の通じる人が居るだろう。雨脚も強く、携帯傘では荷物も身体も入りきらず濡れていく。1時間で、薄暗そうな旅社を2軒目標につけたが、言葉の通じない手前、何とも信頼の置けない雰囲気。さらに30分は彷徨っただろうか。車通りも少ない裏道に入って、一軒の旅社が目を引いた。
「学生旅行歓迎」
迷わず飛び込み、「我是日本人、日本学生」と言うと、「yaoqi(発音からこんな感じ)」と聞かれる。さっぱり分からないので聞き返すと、どうやら「一晩で出るのか」という意味らしい。何晩泊まるか聞いているのだった。結局一晩600元で、部屋の鍵を渡されて終了。名前も聞かずチェックインさせてくれたところを見ると、余程惨めな姿だったんだろう。ほんと救われた思いだった。非常謝謝!!
その晩は「NHKニュース10」を台湾時間9時に観て寝た。呂さんが天祥で買ってくれたため、食べずにとってあった蜜棗を夕飯にした。虚しいが、屋根の下に泊まれただけ幸福。一日でほんとに多くの人々と接して疲れた。

(プラス・コラム)お世話になった呂来福氏を宣伝

彼から貰った名刺と25時間の交流に基づく宣伝。
花蓮駅を拠点に、花蓮市内・太魯閣峡谷・花東海岸など花蓮縣の観光名所を廻ってくれる。初めて台湾を訪れる方にはまず東部がお勧めだそうだから、その中心的存在でもある花蓮で安心して観光できるのは彼のタクシーだと思う。
太魯閣を走っているときの話では、元トラック運転手で台中と花蓮を結ぶ公路をよく走っていたらしい。渋滞した公路でも、「道の達人」ぶりが現れていた。恐らく日本人観光客の増加からタクシーに乗り換え、同時に日本語も上達させていったのだろう。今では年に数回、東京(TDLにも行くそうだ)や沖縄に旅行することもあるらしい。だから日本の話も結構通じるし、盛り上がる。
車は日本でもあまり見ないほどの新車(トヨタのコロナだったかな)で、街中でも荒っぽい運転は全くなく安心して乗れる。一つだけ日本人が見て吃驚するかも知れないのは、革のジャケットなど上下の服装がキマっているのに、運転するときもずっと草履履きなことだ。あれには魂消た。草履で運転していいんかい。靴は慣れない、とのことだそうだが…。
花蓮で確実に会いたい方は、できれば到着の前々日までに連絡しておくといい。というのは、私のように翌日をチャーターするお客さんが居ると、前日では取られている恐れがあるからだ。花蓮空港まで来てくれるかどうかは、私は知らない。
つづく

*1:タイヤル族の経営する日本語の通じる宿として、出発前にチェックしておいたもの