南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

フロント・オア・エンド

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ようこそ、K.K.過去記事*1のコーナーへ。こちらでは昨日、事実上閉幕しました「凶刃的狂言(略称K.K.)」のすべての記事を収録・公開しております。「凶刃的狂言」とは、南蛇井が日々の社会的事象又は文献を通して得たものを取り上げ、自らの感性に基づいて論じた文章の公表サイトであります。同サイトのサービスを提供している@niftyが、今年8月末をもって終了するとの発表に基づき、本日までに移行および業務の新カテゴリ「ほんねとーく」への移譲を完了させました。ぜひお読みくださいませ。各記事をお読みになる際は、上部の「記事一覧」⇒カテゴリから「K.K.過去記事」*2⇒一覧表示のようにアクセスしてください。

このページは、カテゴリを初めてクリックされた方の玄関口であると同時に、2年余りに亘る「凶刃的狂言」記事の終着点でもあります。そんなわけで、フロントでもエンドでもあるココで、これまでを振り返りつつ紹介してみましょう。
ここに公開されているような文章を、初めて書こうと思い立ったのは、2003年夏の終わり頃。9月半ばであったと推察される。そのころ、大阪池田の小学児童殺傷事件で逮捕された宅間守被告に死刑判決が下された(9月2日)。これについて、反社会的な文章を書いてみたいと思ったのが発端である。4月に大学に入って、ようやくワードを習得しかけてきたころであり、タイピングを鍛える意図もあった。こうして、ちょっと気になったニュースを拾っては、1000字弱にまとめる活動が始まったのである。
03年の暮れになり、友人からの薦めもあって、これらのファイルをウェブ上にアップする計画が始まった。ようやく地盤が固まり、さぁファイルをアップロードしようという段階になって、どこをどう誤ったものか、データを全部消去してしまうという考えられない失態を犯してしまった。これが2003年のクリスマスである。4ヶ月にもわたって書き続けてきたものが、一瞬にして灰燼に伏した。このショックは大きかったが、何とか復元できるものを10数件書き起こして、アップロードに成功した。こうして、初代「凶刃的狂言」は世に出たのである。
ここで、タイトル「凶刃的狂言」についてちょっと語っておこう。もともと9月に書き始めた頃は、「狂人ですか、凶言でしょうか」というファイル名がつけられ、前半を橙字、後半を緑字とするグラフィック文字で飾られていた。が、そのうちタイトルが長々しいと感じて、「狂人的凶言」に改められた。そして、ウェブにあげる際もこれを使用する予定だったが、例のハプニングでデータを失ってしまったので、心の切り替え、けじめという意味でタイトルを変更し、現在のものとなったのである。
ちなみに、K.K.という略称はかなり後になって考案されたもので、普通に「Kyoujinteki-Kyougen」の頭2文字を取ったものとして当初は使用されたが、後に「Knowledge-Knife」という英訳が生み出され、こちらの略式と考えられるようになった。
さて、04年に入り記事数が増してくると、当初公開していたニフティのサクサクホームページサービスでは手狭になってきた。そこで、ニフティの日記作成サービス「noteブック」に移行した(このたび閉鎖となったもの)。一日に何記事も書く場合があるので、あえて日付を入れない設定にしていた。また記事の末尾に「結:」という結論を一言でまとめるスタイルも、ウェブ公開の頃から定着した。
プロフィールに公開されているバナー状の画像は、一度自分でバナーを作ってみたくて05年ごろに試してみたものである。赤いのは血だまりで、黄色の背景は弱冠グラデーションをかけてある。紫字で「凶刃的狂言」と書くのは、noteブック移行後に定番スタイルとなった。
記事更新が盛んだったのは04年と05年の前半である。ひと月に10数件出すことが多かった。このnoteブックは最大700件まで載せることができ、一日1記事書いても約2年持続できる。これが最大のメリットである。しかし字数は1000字以内に制限されるので、まとめる能力を要する。最盛期には、右翼もの、国際関係もの、台湾ものが多かったように感じる。後半になると、ゼミ関連が増えてくる。
ただこのサービスを利用する上で最も大きな問題となるのが、質問やコメントを受けにくいことであった。読者がいるならば、何らかのコメントが欲しいし、そのために公開しているのである。掲示板をリンクさせるなどの処置を施してきたが、効果は無かった。ブログに移行したらどうかとの勧めもあったが、今ひとつ動く気にはならなかった。
もっと本音を語りたい、という欲求から05年2月にはてなダイアリーを起こした。これが定着してくると、自然、K.K.の更新はおろそかになる。こうして同年9月には、社会批判文章をはてなに移し、ゼミ関連のみをK.K.にやらせるという分業化が施行された。ゼミ専科となったK.K.は、他学生のレポート批判などを行ってつないでいくが、精力は衰えた。また05年の暮れには、ブログ普及に伴うnoteブックサービス停止の報が伝えられ、記事の移転作業が始まる。
そして、現在。
口語体でぶっちゃけていく「ほんねとーく」が跡を継いで主流になり、論文調子のK.K.は蔵にしまわれた。大学時代の重要な一役となったK.K.。あまり勉強しないで、自分の考えやイメージを書いていくことは、大学で学ぶということとあまりそぐわないものであったかもしれない。この点は結構反省するところである。一方で、文章力はかなり向上した。レポート科目は常に優秀であったし、常に何かをまとめるときにそれほど苦難を感じなかった。何より、自分の意志で駄文であれモノを書き散らしてきたことは、一つの達成感を生む。自己満足かもしれないが、一定のプラスはあっていいと思う。

*1:2008年3月よりK.K.遺産に改称

*2:K.K.遺産