南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

人間が抱く夢には

自分が挑むための壁と、友達を疎外するための壁があるらしい。夢で友達を切り捨てるくらいなら、他愛もない付き合いを続けるほうがずっとマシだ。また、「夢のある人生」を他人に強要する権利は誰にもない。

GTOで菊池善人が言う「学ぶべきものがない友達など、要りませんね」というフレーズがふと思い浮かんだ。彼も自分の枠に拘って友達を選別している。

疑心暗鬼nowな人々

人間は、自分の周りに壁をつくると、壁の向こうが怖くなるらしい。攻撃してから壁をつくるのでなく、壁をつくってから攻撃するのだ。自分で見えなくしといて、自分で怖がっているのだから全くアホらしいし迷惑だ。

月曜の朝っぱらから狂気の電話を聞かされて胸糞わるい。メンヘラの化けの皮が剥げてきたことを痛感するこの頃。よっぽどFacebookでもFace to Faceでも糾弾してやろうかと思うのだが、とりあえず静観している。今回はちょっと身近に犠牲者が出ているので、私も状況次第では正義のアクセルをベタ踏みしかねない。万一檻まで行ってしまった折には、静寂の蛇池を暖かく見守っていただきたく存じます。