南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

連載!!「初夏の薫り」(意志の結晶)

Nanjai2004-09-25
 この稿では、強い人間とは何か、についてを中心に述べていく。本日おそらく正式な決別が成立したと信じる。経験上、厳しい問題も残るのだが、ともかく信じたい。先稿で、別れたければ意志を示し、自ら実行せよ、と断じたが、ここから続けていきたい。
 自分で決断したこと、それは自分に対して素直な決断であればあるほど実行しやすい。しかし、相手の抵抗や誘惑がそれを妨げることがある。それに打ち勝つものが意志であり、打ち勝てるものが強い人間である。寂しさやつらさを耐え抜くことではない。すなわち強さを生むものは、外圧ではなく、自己に勝つことなのだ。自己の弱みを見つめることだ。
 自殺を実行できる人間は、自分に負けた弱い人間だとする説がある。生を放棄したのだから、弱いのだと見る。しかし、彼らは自己で決断し、誰もが恐れる死を堂々と行使する強さがある。これは強さの極みであると筆者は考える。いじめや社会的地位の剥奪などを受けても、いまやこの世にはカウンセリングなどの救援組織が溢れ、また世には理解者が点在することは事実である。いつでも人に頼り、甘える環境は皆無ではない。その選択肢を脇において、死を選択する覚悟を尊敬する。決して無駄ではない死である。
 日常生活で、些細な不幸に直面してすぐ、死にたいとつぶやく者がある。彼らは決して死ねない。それは、死というものに対する意志が不十分だからである。決意したこと、誓ったことを行使できずに、死を逃げ場所と考える。しかし、死はシェルターではなく、意志を伴った選択肢の一つである。彼らにとってのシェルターは、死ではなく、死を空想することである。無論ここには新たなる心理を含んでいることも、筆者は承知している。
 本日決別が成立したことに、筆者は大変感動している。一つには先稿で取り上げた超新星爆発(筆者のこと)を回避し、二者の分離という形態に達したこと。もう一つは当人が自らの意志を決行してくれたこと。それは当人の一つの新たなる強みである。筆者がいかなる態度を取ろうとも、堂々と別れを告げてくれたことに、筆者は最高の気持ちをここで伝えたい。そして、信じたい。
結:これこそ、伊勢の海に洗われて美しく輝く原石、である。【2004/09/25/AM】