今朝、台湾で初めて蚊に遭遇した。感染症が怖かった。
自信はついても
昨夜の牛肉麺で、自分で注文して食べることに自信がついた。ところが、やはり朝はどこも開いてない。もぅ詰まらぬ空腹は飽きたので、コンビニで排骨飯弁当を買って、礁渓駅前の憩いの場で食べた。朝飯抜きの観光はどぅも嫌だ。台湾でもコンビニ弁当はレンジで温めてくれる。熱々の豚丼といえば分かりやすい排骨飯。野菜も、キムチが強いが、結構載ってて旨い。コンビニでは駅弁も売っている。コンビニでも、なるべく日本にもあるような在り来たりの菓子パンは避け、台湾でしかないような物を買うようにしている。台湾のコンビニで不便だと思うのは、地図を売ってないことだ。駅に案内図がないので、コンビニでちょっと場所確認をしたいときに地図が欲しい。まぁ、日本でも近年はラッピングして、立ち読みできないようにしているところがあるがな。
温泉町よ、さらば
自強号(またまた無座)の切符を買って、写真を撮るために、もう一度礁渓の町を散策する。昨夜大音響で音楽を流していた寺院や、ほんのり湯煙の上がる温泉溝を見て、駅前に戻ると、もう10時なので新たな観光客が続々と到着していた。
自強号
せっかくの自強号に乗るんだから写真に収めてやろう、と構えていたら、鈍行と同じような風貌の四角い列車がやってきた。やっぱり台湾の鉄道は「機能的」だと思った。礁渓からはノンストップで目的の駅、瑞芳まで走る。なんだか久々に快速感覚の列車に乗ったと思った。あの細かい駅を飛ばす気分は立ち席でも爽快。長距離区間のせいか、台湾の列車で初めて、車内改札を受けた。
瑞芳(Ruifang)駅にて
平渓線の主要起点駅、瑞芳。ここで一つ危ない目に遭った。乗ってきた列車の写真を撮っていたら、改札を出そこなったのだ。台湾鉄路は本当に厄介なもので、列車到着時以外は改札をしない。列車の乗降以外に駅構内に居てはならない、という感じだ。結局次の列車が来るまで出られない。これは焦った。というのは、次に乗り換える平渓線はかなりのローカル線で、本数が少ない。台湾鉄路では乗り換え時、改札を一旦外に出て切符を買いなおすシステムになっている。日本のように跨線橋などを渡って、数分で乗り換えることはできない。その為、時間をある程度とってあるのだけど、こういうロスは怖い。幸い改札を出るとその裏に券売機が設置されていて、切符を買うのに手間取らない。窓口は面倒だし、地方駅では学割も効かせてくれないので、これからは可能な限り券売機を使うことに決めた。
平渓線の旅スタート
さすが観光化が進み人気上昇中の平渓線で、まだ春節休暇の最中でもあって、満員御礼。特に多いのは、若者のグループやカップル。呂さんによると、台湾でも大学生の春期休暇は始まっているそうだから、春節よりは暇だからか。
改めて平渓(Pingshi)線について紹介すると、この線は台北縣の南東方面にあり、東部幹線から分岐する支線で、総延長約15km、もとは日本統治時代に鉱山の運搬線として敷設された。現在は、沿線の自然公園や瀑布(滝)が観光地として開発され、鉱山博物館とともに人気を呼んでいる。ディーゼル列車が、熱帯の雰囲気が漂う鬱蒼とした森の中を縫うように走り、川を遡っていく。
平渓線の正確な起点は三貂嶺という小さな駅で、ここから単線に入る。次の大華駅で、2割くらいの人が降りた。ここから十分大瀑布を目指す模様。
十分(Shifen)
平渓線の中心駅。乗客の8割はここで降りる。この駅から少し戻ると、沿線最大の名所、十分大瀑布があるのだ。ほんの僅かな商店と住宅の集落の真ん中を、線路が突っ切っているところが、この十分の町の特徴だ。ガイドブックの写真を見たときも思ったのだが、この十分は候考賢監督の映画『憂鬱な楽園』の冒頭シーンで撮影されているのじゃないか。たぶん、ここだと思う。
町外れの案内所でペットボトルを買って15分ほど歩くと、十分遊客服務中心(ビジターセンター)。ここで私は、天燈に出会った。天燈というのは、竹で作った形に紙を張った堤燈のようなもので(センター内で解説のビデオを観た)、春節の終わり頃に台北縣を中心に盛大なお祭りが開かれる。台湾に来る前に、元宵節という祭りがあって台北が混雑すると予想してきたが、どうもこれのことらしいと気付いた。
さらに川を下ると、つり橋の袂に眼鏡洞という滝がある。流れ落ちる滝の奥に、確かに眼鏡の形をした洞穴がある。これだけでも綺麗だが、その吊橋に並行して先ほどの平渓線(鉄橋)が走っているので、この列車と合わせるのがいいだろうなぁ、と思ってみる(本数が少なすぎて出来ない)。橋の袂に、腸詰(極太フランクフルト)の露店があったので一本買った。こんなの10元と思って出したら、30元だと言いおった。野良犬がしつこいので一口餌付けしてしまった。
さて、いよいよ台湾のナイアガラ、十分大瀑布。ここは拝観に200元を要す。(平渓線の列車内からも見えるそうだが、余程注意してないと無理ぽ。)滑りそうなほど濡れている岩場の遊歩道を行くと、巨大な滝が現れる。高さはそれほどでもないが、幅が結構ある気がする。足元に気をつけながら、且つ背後を通る観光者にも配慮して写真を撮る。さっきの眼鏡洞も一緒に入る。大華駅に向かわなければ、ここで行き止まり。羅漢さまの石像が並んだ、奇妙な聖域の他は何もない。滝をゆっくり眺めたいが、どこの休憩所も滝の湿度で濡れており、座れない。夏に来ると、かなりの避暑になるだろうと思った。大瀑布から腸詰の吊橋までは、線路脇の歩道を行くのだが、往路と復路が同じなので込み合う。そこで、一部の人はレールの上を歩いたりする。また、つり橋が込み合うときも、鉄橋を渡っていく人がいる(勿論「行人禁止」とは書いてある)。スタンド・バイ・ミーみたいだ。川沿いの遊歩道では、地元のお婆さんが野菜などを売っていた。
再び十分の町。さっきより人が増えて、店も賑わっている。駅で切符を買っておいて、小吃を探す。焼唐土を買おうと思ったが、店の人があんまり無視しているんで辞め。さっきの腸詰と、大瀑布に行く前に買ったペットボトルのミルクティーがかなり腹を満たしていた。何しろ台湾のペットボトルは600ccが基本で、それより小さなものが見当たらない。350〜400位のが欲しいときがある。
十分駅のラストシーン
ここ十分でやっておきたいことが一つあった。それは、この町の特徴である、通りの真ん中をを列車が進むシーンを収めることだ。だが列車は本数が少なく、進んでくる列車に乗らないといけないため、撮れる場所は駅構内ということになる。それでカメラを構えて、通りの見える位置まで線路内に進入した。通りから構内までは弱冠カーブしていて、月台に立っていては見えないのだ。写真を撮ったら、すぐさま月台に駆け上がるスタンスだった。そうすれば列車に乗れるし、事故にもならない。どうせ構内に入る列車は速度が落ちているから(街中を通って来るんだし)、危険はないだろう、と高をくくっていた。ところが、想定外のことにまず対向列車が先に到着した。この駅でしかすれ違いができないので、下り列車(撮りたい列車)が着くまでそいつは発車しないが、線路上に居る私が邪魔に感じられることは間違いない。私は無視してカメラを構えていた。すると、駅員に笛を吹かれた。既に下り列車が市街に進入する音は聞こえている。だから粘りたい。
駅員はしつこく笛を吹く。面倒なことにはしたくないので、月台へ後ずさりしつつも、カメラは向けたまま。
列車が見える。タイミングはいい。
笛が鳴る。焦らせるな。
インスタントには望遠がないから、もう離したくない。シャッターを押す。月台に駆け戻る。
※あとで写真を見ると、既に駅構内に入りかけた列車が小さく写っている。街に挟まれて向かってくる雰囲気はどこにもない。10分以上前から待っていたのに虚しい。
終着駅菁桐
ガイドブックでは、「時代に取り残された駅」と評された菁桐。休暇中だけあって、鉱山博物館と鉄道紀念ショップで賑わい、周辺の店も案外活気がある。駅前で麻花(かりんとう)を買ってガジガジ食べながら歩いてみる。30秒もあれば抜けてしまえる集落の外には、嘗ての鉱山労働者の宿舎や工場の跡が残る。駅脇のショップでは、鉄道ファンに人気の平渓線を題材にした絵葉書やその他台湾鉄路の各所(駅など)をモデルにしたグッズを販売している。中でも人気なのは、木製の絵馬のような葉書で、スタンプを押しまくっている連中があった。閉店間際だったので、散策して戻ってきたときにはもう買えなかった。
当駅は小さすぎて券売機がないので、「八堵(Badu)」と言って50元突き出したら、台北と聞き違えよった。再度八堵だと繰り返すと、やっと44元で処理してくれた。(鉄路時刻表の後ろの頁に主な運賃表が掲載されているので先に必要な金額を準備できる。)
今度は列車が来るまで、堂々と駅の線路内に進入して、ホッパー跡などを撮ることが出来た。炭鉱で栄えた時期は全く感じられないほど、苔むした寂しい駅である。何だか長良川鉄道の北濃駅を思い出した(謎。※坑道紀念館(だったかな?)で入手した天燈節の写真葉書に、観光スタンプを押しまくったのを帰りに中正空港から日本宛に送った。本当は無事連絡にしようと思ったのだが、時間がなかった。
“電車”の切符を買って、“莒光号”に乗ってしまった奇妙な話
八堵は、基隆からの列車も合流するので、台北方面の本数は多い。月台で、ミネラルウォーターに粉末茶を入れる作業(台湾の飲料は甘いと聞いていたので、無味の水を飲むよりは、と溶けやすい粉末茶を持参していた)をしていると、列車が来た。何故にクロスシート?と思わないでもなかったが、方向はあっているので乗ってしまった。列車は満員で、身動き不可。にしても電車にしては停車駅がない。恐らく松山の1駅しか停まらなかった気がする。そして、台北着後、難関が現れた。改札機を通すと、バーを閉められてしまったのだ。まさか、乗車間違いを見破られたか。慌てて時刻表を見直すと、八堵で先発の莒光号に乗ってしまったのは確かだが、後発の電車も時間的に既に到着しているはずと分かった。列車が満員でなくて、車掌の検札を喰っていれば不味かったろうが、現時点では改札を出られるはずだ。そう思って、改めて隣の機に通すと何のことはなかった。
排骨飯
午後六時、台北。YHのチェックインか夕飯か、どちらを先にしようか迷った。結局夕飯を先にしたのには訳があるけれども、それはまた後にしよう。
初日に泊まった「おおしろ」の近くに、小さな食堂があった。花蓮に向かう日の朝、食べ損なった店だ。他の店を探しても良かったが、海外で食うには何よりも度胸だから、事前に見知っているほうが楽だ。店先で調理しているおばさんに、恐る恐る「排骨飯(パイクゥファン)」と言ってみる。飯はfanの4声だけど、それ以外は誤魔化し。だから分かってもらえない。「阿?」「什么?」と3度くらい大声で聞き返された。だからって引き下がると飯が食えないんで粘る。台湾では値段交渉は経験しなかったが、こういう駆け引きはたまにある。まだ日本が漢字文化圏でよかった。アルファベット圏の人はカタカナ読みも出来やしない。おばさんは、何とか理解してくれた。そして目の前のテーブルに、座れ、と言ってくれた。謝謝、落着。
今朝コンビニで買ったチンケな排骨飯とは違う、本物の排骨飯を食べたいと思ったのが目的。花蓮で食べた排骨麺とは違って、骨付き肉がゴロゴロしているご飯、ではなかった。まぁ「カツと炒め物添えご飯」というのが妥当かと思う。出来上がった皿を手渡しながら、スープを自分で盛れ、と鍋を指差す。排骨スープ(こっちは肉付き骨がゴロゴロ)はセルフサービス。出汁がじっくり効いていて美味い。庶民料理の店だから、そういう客が多い。私はその中で恥じないような食べ方を心がける必要があるのかな、と頑張ってレンゲを使ってみるも、やっぱりぎこちない。そのうち拘らなくなった(笑。太魯閣で自助餐のお昼を食べて以来、野菜類を十分に摂っていなかったので、炒め物の添えられたご飯は重宝。1週間くらい食べ続けてもいい味だった。おばさん、アリガトウ!謝謝!ご馳走様。
再会
さて、ここから旅の展開が弱冠変わるので、その説明をしよう。昨夏北海道へ行った際、二人の台湾人に出会った。その時の交流が切欠でメールなどのやり取りが始まった。そして、昨年末頃から私の台湾旅行について相談をし、会うことが出来るなら案内してくれることになった。彼の兵役期間内に取れる休暇は春節にしかないということで、私の日程が春節中頃から末期になったのだ。元来は3月上旬を予定していたのだが、1ヶ月も早まったのにはそのような訳がある。出発前々日になって、「休暇は春節期間の土日に限られる」ということが判明。彼の案内に頼りきっていた私は、計画を練り直すことになった。彼は未定すぎる私の計画を心配してくれたが、結局不安のまま家を出た。それで、「10日金曜日の午後8時に台北駅から電話する」と約束し、土日2日間案内してくれることにしておいた。ただ、一つだけ懸案があって、「11日に陽明山の温泉に宿泊する」というプランが出て、その日だけYHの予約をどうするか定まっていなかった。最悪、二人でYHに泊まるというような曖昧な状態だったので、電話をして確認してからでないとチェックインできない。そんな背景で、夕飯とチェックインの優先順位をしばし考えたのだ。
初日と同様に、台北駅の公衆電話からかける。「今、新竹から台北に向かっているところ、20分ほどで着くからYHで待っていて欲しい」という。
欧米人二人が先着しており、暫く待ってチェックイン手続きに。予約の時と係りが違うので、「予約してある」を伝えるだけで手間取った。英語弱くなったなぁ。(でも後で考えると、この人って日本語通じるって書いてあったぞ、HP) YH会員カードは受理されたのに、国際学生証は不要って言われて、兼用できないのか、と悔やむ。平日と休日で料金が異なり計5泊分で2600元、これにプラスデポジットで500元。これまで泊まってきた宿よりは安いけど、何となく分からないまま払わされている気がした。シャワールームとロッカー等の説明を受けて、謝謝。
ベッドは一部屋6人分。厳重な二重ドアは結構開け閉めが大変。あと、カルチャーショックと言ってもいいのが、使用済みトイレットペーパーを便器に流せないこと。実は一回流してしまって冷や汗かいた。
待つこと数分後、約半年ぶりに再会した。旅で出会って、また新たな旅で再会できるなんて初めて。「何時にチェックインした?」と聞くから、8時過ぎと答えると、その時間にはもう台北に着いていたと言う。台北駅の地下駐車場で駐車に手間取っていたのらしい。彼のチェックインが済むと、二人でしばらく盛り上がった。そして、彼は、「今夜はどこへ行きたい?」と聞く。私は、久々に落ち着いた夜を迎えられるので、ゆっくり休んで明日に備えるつもりだった。ところが彼は、夜市へ誘うつもりのようだ。多少疲れは目立っていたが、易く乗ってしまった。
MRTデビュー
MRTまたはTRTSと呼ばれる台北地下鉄。台湾鉄路台北駅を歩いて、何度も改札を目にしてきたが、乗るのは今回が初めて。台鉄の券売機はお金を入れて行き先と全票/半票を選択する。ところがMRTでは先に運賃を選択して、それに見合う金額を投じると、切符と釣りが出てくる。システムがぜんぜん違う。でも、何となく後者のほうがスムーズに感じるのは気のせい?そしてもう一つ、驚いたというかどこにリサイクル発想があんねん、と思ったのは、切符が再使用されていることだ。切符は全て、カードサイズの磁気票なのだが、所々デザインされたイラストが剥げていたり、手跡がついている。恐らく同じ運賃範囲の情報が入力されたカードを一定量つくり、使いまわしているのだろう。日本では近距離切符も、一日乗車券も使い捨てで、前者は改修された後粉砕し、後者は記念保存かゴミとなる。何となく面白い。
改札機も、バーは自分で押して通る。日本のようにバーンと勝手に開閉しない。知らない人は立ち止まったりしないだろうか?
MRTは右側通行。風情は日本の地下鉄と変わらないが、構内および車内での飲食・喫煙は厳禁。ホームにキオスクがあって、立ち食いがうようよ居る日本とは異なり、清楚。
電車はボックス席、ロング席併用の広めな感じ。ただ、よく揺れる。柱やつり革に掴まっていないと、慣れている人もよろめく。それと座席はクッションでなく、冷たげなプラスチック。
台北車站から淡水線→南勢角線と乗り、永安市場で下車。
臭豆腐
ガイドブックの、食に関するコラムで、「台湾での避けた方がよい食べ物」として紹介されていたのが、臭豆腐(チョウドウフ)と香菜(シャンツァイ)。確かに出発前にもこれを読んでおいたはずなのだが、この夜、臭豆腐を口にすることとなった。勿論食べる前に、「これからチョウドウフを食べに行く」という宣告があった気がするけど、多分好奇心のほうが強かったのでしょう。
あまり電灯の無い暗い路地や、街中の狭い歩道などを暫く迷ったのち、少しばかり露店の集まった区域に出た。周りのいくつかの店もだが、何かしら奇妙な臭いが漂っている。納豆よりも異臭である。呉さんはこの中の、馴染みの店だという一軒の食べ物屋さんに、私を連れて行った。
店は、4〜50代の夫婦が経営している。二人ともとっても気さくそうだ。どういうものを売ってるのか分からないので、注文は彼に任せた。夕飯の排骨飯が漸くこなれてきたところなので、まだ食欲は鈍い。
で、出てきたのが、エビすり身団子のスープ麺と、厚揚げ風の料理が2種類。この一方がチョウドウフなのであった。添えられたサラダと一緒に、キムチ入りソースをつけて食べる。臭いは口元まで持っていっても兎に角臭い。
が、
味は、悪くない。弱冠苦味を感じるけど、大人の味。あとは、普通の厚揚げと変わらない。臭いが気にならなければ十分食べられる。いや、寧ろ美味い。これぞ、台湾の知られざる家庭の味って感じ。呉さんも昔からよく食べたというし、本当に好きそうだった。
この夜食中に、彼の日本語の先生から電話があって、私のチョウドウフを食べたことに吃驚していた。呉さんも、これまで会った日本人も皆、臭豆腐を食べられないのだ、と言う。さすが、納豆を幼い時からほとんど毎日食べ続けてる私だわ。
店の二人も、あまり日本人と接した経験がなさそうだったけど、片言で話しかけてくれて、持ち込んだ疲れが和らいだ。スープ麺は馴染みのサービスにしてくれた。永安市場駅から少し彷徨ったので、場所がはっきり分からないが、再度訪れたい。というか、帰るような親しみを感じた。チョウドウフをめぐる出会いに、謝謝。
夜市デビュー
花蓮で、アミ族の舞踊を見た後に散策した市内の夜市。呉さんは、それは小さくて偽物だと言った。そして、その評は正しかった。「財布を気をつけて」と言われたが、日本の神社のお祭りでも、ちょっとこの混み具合はなかなか無い。小吃だけでなく、生活用品、衣類、海賊CDに至るまであらゆる店でごったがえって居る。場所柄だけに、怪しそうな人も居ることは居る。
ここでも誘われるままに、いろいろ買ってもらって食べたので、正確にナニを食したか記すことは無理。記憶にあるのが、まず水飴に包まれたミニトマト、糖葫蘆。リンゴ飴なら分かるが、ミニトマトかいっ。赤けりゃいいのらしい。超Lサイズと思われるミルクティー。甘さがクドイ。もっと味が良ければスムーズに飲みきれただろうが、あれは臭豆腐より堪えられない。腹がガブガブになった。あと、何かお好み焼きっぽい、熱々のものを食べた気がする。それで、最後に買った潤捲餅(台湾タコスといえるのか?)がもぅ入らなかった。(この潤捲餅、可哀想なことに翌朝までジャンパーのポケットに入れておいたのだが、朝飯にしようとしたら、呉さんが危ないから止めろというので廃棄になった。勿体ねー)
さらに帰りのMRTで、ミルクティーのカップを持ったまま乗車して、飲食禁止にモロ違反した。結局YHに帰り着いてから何とか飲みきった。水入れて薄めれば、と薦められたが、増やすほうが逆に嫌だー。
既に日付は変わっていたけれど、明日は6時半に出るとのことなので、とにかく片付けてオヤスミ。足だけは疲れが取れない...。
つづく