南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

熱くなった先にあるもの

昨日は徒然に綴らせていただいた半年ぶりのとーくでしたけれども、今日はおトイレと空腹を我慢しながら真面目な話をしましょう。凶刃的狂言の開始からたどって今年で5年目に入るこの活動が、現在異国にて行われつつあるということに実感が沸かない。思えばいろいろと刺激変遷があり、そのたびにポリシーというものも変化してきたわけですが、っつう長々しい前置きは抜きにして、さっさと始めろ。時は金なり、石田光成、毛利元就、柿は鈴なりだ。
近頃はとんと面白いテレビドラマがない。来中したばかりのころは、抗日モノが多数激しく放映されていた。来たばかりで目新しいし、右寄りな人間として興味深いので連日見続けたものだ。目の前で日本人兵士(に紛する役者)が次々と殺されていっても日本人として違和感とか反感は沸かないが、これらの凄惨な映像を目の当たりにする現地人の心理が冒されはしないかと心配になる。それくらい凄惨度が凄い。日本でならR15とか視聴制限が確実に来る。
大作か小物かの違いは、凄惨度や出演する俳優にあるらしい。もう抗日少女って感じで毎作に出演する女優もいる。時には茶化したようなオチ付のやつもある。けれど根底の「抗日」は抜けない。さらに、兵士や将校などの日本語の上手さってのも着眼どころかな。バァカって感じで間延びしたような発音が出てきたり、録音流して口パクってのが見抜けるようなのは大した作じゃない。一つどこかの電視台がやって、さらに地方の省局が再放送するなど、同じ作品を1ヶ月以内に4,5回観られる。印象に残っているのは来日まもなく観た『狼毒花』と、日本人俳優矢野浩二さんが出演した『大刀』だな。『大刀』は最近、甘粛電視台でまた再放送している。
『大刀』が放映されたのが10月中旬から末くらい(記憶)で、これを最後に過激な抗日番組(新作)はピタリと沈静化した。これは何でかな、と思ったが、解放軍記念日の8月1日から国慶節(建国記念日)の10月1日を土台に集中的にやっていたものらしい。過激で露骨なのは終わったが、うっすらと匂わせる作品(主題を抗日戦争に置かない)のは地道にやっている。近代上海を舞台にして後半部分に八年戦争を出してくるとか、恋愛ものとか、国共合作とかが例。
抗日モノを観ていて気がつくのは、抗日戦争においては国民党は味方であり、何一つ批判しない。大刀でも日本関東軍と戦うのは国民党軍であり、共産党は一切出てこない。ところが、最近安徽電視台でやっている国共間のスパイ合戦みたいな番組では、あからさまに国民党内の工作員養成の暴力シーンなんか出てきて、非難の度が強い。
抗日モノを放送する意義というのは、どこにあるのか。国政に不満をもつ人民の視線をそらすつもりなのか。侵略は正しくない、友好は正しい、過去は忘れないということを強調したいのか(大刀ではそんな感じも受けるよね)。というような論題はそろそろつまらない。結局内容そのものに深い意味はなくて、このカオスな国家を導くに足る柱はいくつも形成しないといけない。五輪、和階発展、そして抗日。日本なんてのは、天皇陛下が居れば、多党制で自民党がぐらついてニートが沸いても国家としてまとまっていられるが、この大陸国家はそうはいかない。するとまた少数が分離独立してしまえだの、反対派を認めろだの言い出すのが単民族国家だったり民主的資本主義経済大国だったりするのだが、それらは一切解決手段となりえない。いかなる国にもモダンな神(非宗教的)が存在して、それらが国家を統率するのだから、あからさまにそれらを排除してはならないのだ。金正日のような既に効力のないものは除いて。
歴史には必然というものがあって、既に起きたことについての善悪の判断や感傷は議論が難しい。当時の日本人の近代的発展における思考状態の中では、国内市場はパンク状態であり、朝鮮や満州が生命線であった。勿論戦後は新たな発展の手段を見つけ出すのだが、「当時として」考えるならばこれが必然であった、ということだ。「歴史は繰り返す」という軽々しい文句は使いたくないが、中韓は確実に発展の過程で我々日本に追従している。それを只優越感に浸り、彼らを見下ろし嘲笑する暇が我々にはあるのか。また彼らの新たな試みを愚弄する余裕があるのか。それだけ我々は自らの歴史に自信があるのか。私は誇りはあるが、須らく模倣されるほどのものをご提供している自信はない。この現代において、必然を以て周辺国家に危害を及ぼすような行動に出ることを、近頃の歴史議論は必ずしも否定していない。それは自らが正しかった、あるいは善悪を持ち出してはならない、という点に固執して、新たな思考の発展に移れないからなのだ。
抗日という概念は本来そこに求められるべきであって、日本が嘗てやったから我々も同じことをしていい、ではなく、「日本の過程を超越してやろうイコール抗日」でないとダメなのだ。同じことをして同じように発展するよりは、少しでも試行錯誤をして独自性を出すほうが望ましい。私が抗日を支持するのには、国家の結束と脱日本の両面からなのだ。
中国人はもっと熱くならないといけない。日中はもっと火花を散らしてよい。過激に煽り立ててやる。熱くなって熱狂しないと思考が生まれない。相手に勝ちたい、超越したいと思わなければ、よりよい国は生まれない。どんなに素直に国立大学で丸暗記勉強をして卒業しても仕事はどうせ無いんだ。だったらもっと奇抜に戦わなければ、この10数億の人口の中で輝いて死ねないじゃないか。勿論丸暗記に熱中して、いい企業に入るのも一つなんだけども。
狼毒花で一番印象に残ったシーン
日本軍の追撃を受けて包囲された梅子が常发に「日本人の手で殺されるよりは、あなたの手で殺してくれ」と絶叫する。
リーベンレンショウリ(日本人手里)ってすごく耳に残る。嘗て日本も、アメリカ軍の捕虜になるなら手榴弾で、とやったものだし、撃たれて死ぬくらいなら自ら突撃だったわけだし、今でもそれが美化されている。不思議な気持ちになったね。抗日なのに、真似ているのは日本なんだもの。一番熱くなるシーンが、美しさの本質は日中変わらない。印象的。
私はこうして4年くらい変なものを書いてみよう、過激な思考に熱中してみようとしてやってきた。その結果刺激も多かったし変遷もあった結果、ちっとは現代社会に適応する思想を携えることができたように思う。熱狂の結実は決して悪いものじゃない。トコトンやってほしい。