名古屋市はどうしてそんなデリケートな(問題を抱える)都市との姉妹提携を選んだんだろうな。太平天国や中華民国臨時政府の首都であった南京と、未来の首都を目指す名古屋。各々国の主要な工業都市で、窯業が盛んな土地(瀬戸・多治見等と景徳鎮)に近い。先日ふと中国国土を日本列島に当てはめて、北京-東京、上海-大阪と対応させてみた。ハルビンは札幌、広州は福岡かな...とくると、東京と大阪の間に位置し名古屋に対応させられる大都市って南京しかないんだな*1。つまり地理的に合っていたと。中国三大カマドといわれる夏の猛暑も近似している。そこで1978年に結ばれた名古屋と南京の友好都市提携の経緯について検索してみると、日中国交正常化による友好気運が高まる中で中国側から提案があった、という情報しか得られず。何を共通項と見い出して名古屋を選んだのだろうか、詳細を知りたい。また、何時か大虐殺を触発されるリスクは顧みなかったのだろうか。
私も大学在学時以来の大虐殺否定論者であり、留学を経て思考も幾分軟化したものの、大筋で堅持している。河村たかし市長の熱烈な支持者だからという訳ではないが、少し見方を変えて市長を擁護してみよう。
まず、大虐殺はなかった、というより大虐殺に相応する事象について「大虐殺」という明瞭な表現を確立させたのだ。中国全土で繰り広げられた日本軍侵攻による惨劇を一つの象徴として南京に集約し、大虐殺と命名した。もちろん南京も例に洩れず戦場となり、多数の市民が無差別殺戮されたのは事実だろう。これは市民に紛れて戦う便衣兵(ゲリラ兵)に対処するためで戦闘行為上やむを得ない。寧ろこの便衣兵をも非戦闘員として南京大虐殺を無差別殺戮と認定することに疑念が生ずる。この点についてはゼミで火花を散らし過去の「とーく」でも記したが、もっと勉強して学術的に論ぜよと指導教授が雲上からお叱りにみえるかもしれないので、これ以上触れない。さておき、大陸各地の殺戮は南京大虐殺に纏められた。散在した抗戦故事より一つの鮮烈な事件を刻みつける方が人民を強固な歴史教育とプロパガンダによって統制でき、後代にも深い傷痕として継承できるから。南京は抗日戦争の聖地でありながら、一方で歴史が生み遺したいわば国家的な癌のようなものを独りで背負わされているのではないか。それは国民党政府の首都だった南京に対して、解放者中共が下した秘かな重罰じゃないだろうか。そこに敢えてメスを入れようとした河村たかし市長は、重荷を担ぐ南京を目覚めさせ新しい友好関係を築きたいとお考えなのだ。中央の意向に従って聖地の護衛兵を務め続けるより、そろそろ新しい見識を以て肩の荷を下ろそうじゃないか*2。それこそ政治的利害の絡まない、人間同士の付き合いなんだよ、と親父さんの中国での体験を例にとって心揺さぶろうとした。地域政党を立ち上げ中央に頼らず名古屋から日本を変えていこうという市長の気概を、中央集権の強い中国の友好都市にも伝え、新たな親交や双方の地方自治進展の起爆剤になればいい、ってのが真意じゃなかろうか。
だから、今回の発言が歴史認識の問題に特化して騒がれると、全く不本意な結果になる。市長の発言が従来の交流を阻害するだけではない。名古屋と南京の間で改めて議論し、新しい見解を共有して絆を深めよう、というお互い中央に束縛されない地方自治体同士の独立した交流をつくる目論見を完全に潰されてしまうからだ*3。国も地方も単一政党共産党が支配し、中央と地方の主従関係が我が国よりもはっきりしており、地方の行政単位に独立した自治などなきに等しい。地方政府は当然の如く国の統一見解に則って対応しお上がそれを援護すると、結局国際問題に発展し日本の外務省が対応せざるを得なくなる*4。本件を中央政府間で始末させる事態ほど悔しいことはないのでは? 国を介さず国の枠組みを越えて都市と都市が緊密に繋がる、この理想を日本国内に留まらず海外にも広げたい。その第一歩に隣国の友好都市南京を選んだ。切り込みどころを誤ったのは否めないが、あの現行の政治体制では都市を拘留する鎖を打ち砕き新風を通すにはまだ早すぎるのかもしれぬ。一貫したポリシーと難題に挑む果敢さは評価したい。しかし、相手の国情を熟慮せず乱暴な刺激を与えて理想に逆行する結末となれば、発言の撤回や謝罪はともかく、手法については猛省の必要があろう。