南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

建国記念〔の〕日特番4(ヒサビサ)

Nanjai2004-02-11
★本日は小泉総理の靖国弁解を中心に書く予定だったのですが、建国記念の日にふさわしい出来事が相次いだため、特集を組んでみました。★
 最後は、やはり総理の靖国参拝弁解について書きましょう。久しぶりにこの問題に手を付ける。これまで「熟考」の手で避けてきたような気がする。≪小泉純一郎首相は10日午後の衆院予算委員会で、中国などが強く批判している靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について「(合祀に)抵抗感がない。とやかく言う立場にはない」と述べた。さらに「日本には死者にまでむち打つ感情はあまりない。戦没者に哀悼の誠をささげるのは自然な感情だ。よその国にああしなさい、こうしなさいと言われて気持ちを変える意思は全くない」と述べ、今後も靖国参拝を続ける考えを示した。(中日新聞)≫元旦に総理が参拝して以来、実に1ヶ月余りが経過している。その間筆者も総理も「熟考」したはずだが、その成果はどうも大差がないようだ。ただ基盤が違うな、筆者と総理とは。この言葉にも表れているが、総理は開き直って逃げているのだ。そうでなければ、数年前の私のような手は用いない。「自国のことに外国が口出しするな」、「A級戦犯戦没者であるから哀悼の意は当然だ」。後者はまだ理解できるが、前者は余りに稚拙な論だ。言い逃れを目的としているに過ぎない。その場しのぎで場当たり的、と批判されても仕方ないだろう。行動は正しいのにそれをパフォーマンスにしか収められないのが、石原都知事や小泉総理の残念なところだ。
 ではこの難しい問題をなんと云おう。しかも個人としてではなく、内閣総理大臣として行うにふさわしい事由を考えねばならない。筆者は今回だけでなく、幾度に渡る参拝の中で仮説に到達した。まだ不完全なので基盤だけ示しておく。「A級戦犯というのは現在から見れば軍人である。しかし、当時は日本国をリードした政治権力集団であり、たとえ構造の歪みがあったとはいえ明治から昭和の前半を実効統治した人々である。現在の政治家にとっては、先輩であり先祖である。日本文化の死者に対する意識とともに、日本の今を築いた先代を後裔として参ることは当然ではないか。むろん軍部の政策には是非がある。その見極めは先代から学ぶことであるが、まずその教えを授けてくれる先代への敬意こそが参拝の意義であろう。」結:靖国問題はこうして論破する。【2004/02/12/AM】