読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

安阳-南阳編3 (安阳第二天:殷墟)

何となく疲れが残るので、8時半まで休んで退房。疲労のあるときは特に朝飯を要す。八宝粥と包子3個。一人旅(中国)で初めてまともな朝食。

殷墟宫殿宗庙区

韓国人同学の俞君も言ったが、火车站から殷墟へのアクセス、特に公交が不便である。駅前ターミナルに一本も直到がない。とても世界文化遺産とは思えない整備度。結局文锋塔まで歩いて18路に乗り、博物苑。しかも苑の門前に達するのは1路線で、大抵は数百m歩かねばならない。
門票は宗庙遺址、王陵遺址合わせて61元。学生証半額不可。単価百元以上でないとダメなのか。結構ガッカリ。
甲骨文字発見地の碑より始まる、甲骨文字発見、研究、解読、占い(卜辞)との関わりの展示。これは展示館に集約されている上、一部発掘現状のまま保存されている。現代漢字と表裏で対照させた碑林。
第二に宗庙即ち祭祀に基づく政治の場。生贄となった人々や家畜、車馬などが出土状態のまま展示されている。その奥は宮殿の遺構で、基石が数多く残っている。遺跡そのものを保存公開しているので、観光地風に造成した匂いが少ない、中国内では珍しい雰囲気である。惜しむらくは、解説において「奴隷制度や生贄祭祀を野蛮で残忍な時代と見なし、反面教育の対象」としていることで、この一面性的な評価は歴史を研究・分析しても何ら意味をもたない。歴史を直視しているのか、疑問の残る表現である。
展示場はすべて冷房がしっかり稼動して爽快である反面、外は猛暑なので、体調を崩しやすい。宮殿遺跡の木陰等で休み休み参観する。焦る必要なし、と思ったら昼を取るところがない。棒アイスで我慢。
西の端には、名が判明している王の一人、妇好の墓がある。地下に展示場があり、出土した副葬品や棺の中を見ることができる。この遺跡、2006年7月13日世界文化遺産登録となっていたから、今日でほぼ丸二年。TBSではもう放映されたかな。どんな風に撮影されたのだろう。
副葬品の精製を行った遺構もあり、大量の品が出土している。特に玉、盗掘に遭わなかったのだろうか。
最後に博物館。同学はここが一番良いと評した。清、明、元と入り口へ続くスロープを降りながら、殷へとさかのぼる。小姐が扉を開けて迎えてくれる。なんかスゲェよ。
外で見てきたのは主に遺跡・遺構で、ここで改めて解説と出土品をじっくり見る。殷墟の概説、甲骨文字、青銅器、玉の副葬品、そして最後に司母戊大方鼎の解説。映像解説もあって陳列品も見やすいし、採光も悪くない。外国人の重要客が居たからか、数ヵ所VIPを備え、英語の解説がややうるさし。
という感じで宫殿宗庙区を終えて午後2時。

殷墟王陵区

さて王陵区へどうして行ったものか。昼寝アワーでタクシーは一匹も居ないし、無料バスも動く気配なし。直達する公交はない。せめて三輪ぐらい、、、。思案した挙句、流れ込んできたタクシーに乗る。王陵区まで足をのばす参観者は少なく、交通も未熟。地図を持ってりゃまだいいが、方角や距離すらも初めての方には分からない。実際私も相当遠回りされたかと思うほど長く乗った。10元。歩くとちょっとある。降りた瞬間、帰る時どうしようと思った。幸い門前に無料バスが佇んでいて、無事宗庙区入り口まで戻ることができたし、走行ルートもタクと変わらず、ボッタではなかったと判明。
さておき、王陵区とは名のとおり墓で、無造作な生贄の遺体とは違って、相応の埋葬がなされている。が、発掘状態そのまんまなので、直射日光照りつける広大な更地である。東側に数棟展示場が設けられているものの、冷房不開で外より暑い。遺跡の保存状態がよいほど、見学には不向きなのだ。それでも考古学ファンの気合を入れて全館回った。こちらにも车马坑(兵馬俑みたいな)がある。宗庙区側は「甲骨文字发现地」だったが、こちらは「司母戊发现地」の碑が建てられている。さすがに暑くて西側の王墓群を一つ一つ見て回る気力はなかった。
宗庙区のバス停まで戻ってバスを待つが来ない。ので、安钢大道に出て火车站行きを求む。これで無事安阳スケジュール完了!達成感に満ちていたんだけれど、帰宅してから、殷墟にもう一ヵ所后岗文化保护区というのがあることが判明。おそらく免費で、ここも包括するチケットはなかった。気づかなかった。まぁまぁ。

鉄路デビュー

まだ4時だけども疲れきっているので、火车站を中心にひたすら休んで列車を待つ。銀行で300元下ろして戻ってきても初日の烩面屋は開かない。不定期なのか。別の店で、やっぱり烩面を食う。河南の食堂は大抵烩面があるから困らない。大きな広場には既に人が溜まってしまった。毎晩の鞭打ちも始まっている。私は駅舎に近いところで暫く日記をつけるが、一時間前にはそわそわしてしまう。皆外に屯しているから、候车厅(待合場)に入るタイミングが分からない。30分前に思い切って進入する。別に思い切ることもない。ちょうど良かったらしい。発車時刻順に车次が並べられて、各々待ち客が固まっている。大部分が学生で半額票のようだ。しかも無座が圧倒的に多い。南阳も結構居る。一安心。
20分前から検票など不可能で、列車が入線して降車客が去ってから、戦場の検票が行われる。球場の開門の瞬間みたいな。安阳は停車時間9分だからまだ余裕がある。この戦争は2分では片付かないと思った。
硬座車両は最後方なので、皆で走る。私は何が何だか分からなかったが、車両の腹に硬座車両とか軟座車両とか表記してあるのだ。乗車直前に気づいた。乗降口でも改めて検票をやる。が、その直後、乗って愕然とした。座席ばかりではない。通路も連結部分もほぼ既に占拠されている。「詰めて、詰めて」でやっと乗れるのだ。これが無座の立場なのだ。立っているのがやっと。荷物の山の上で寝る人々、携帯椅子に座る者、立ったまま寝る者、眠気をこらえてタバコを吸い続ける者。もしこれでエアコンがなかったら確実に死んでいた。はじめは、中国の列車ってこんなもんか、と平気な振りをしていたが、さすがに耐えられなくなった。
つづく

(map:安阳殷墟)