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南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

平成狸合戦ぽんぽこ

ほんねとーく

中国タイトル「百变狸猫」(化け狸って感じですか)
この2日ほど、ジブリ作品を観たくなって、一昨日2本(「となりのトトロ(龙猫)」と「千と千尋の神隠し(千与千寻)」をYOUKUで検索して鑑賞する。昨日は上のとおり平成狸を観る。昨年の韓国人友達が、彼のPCに入った同作品を観ていいと言ってくれていたのに、結局時期を逃してしまった奴だ。そのため、これが初鑑賞ということになる。
ちょこちょこ面白いところがあって、まずまずいい作品だね。「もののけ」なんかよりも開発問題やら自然と共存やら重いテーマがぐっと表に出ている割には、結末が意外と切れ味悪め。その穏やかに(一方が戦いに勝った負けたの明白な幕切れを作らず)且つウェットに収めるところがまたいいね。結局かれらの帰る山(目に見える形での故郷)はなくなってしまったけれど、かれらの心の中に故郷を持ち続け、仲間を忘れなければ、ずっとずっと狸で生き続けられるんだと。際限なき開発へ疑問を投げかけるとともに、なくなったという現実を受け止めるための一つの道筋をも教えてくれているように思える。
っでさぁ、ぽんぽこはまだ良かったんだけど、「ほたるの墓」などを少し見てみて、あまりにも翻訳が誤っているのに愕然とした。ストーリーから外れなければ、端役の発言なんかどうでもいいと思ってんだろうか。結構雰囲気を出し、状況を理解する上でも重要だと思うんだけどな。それでコメント欄に、「支持宮崎芸術」とか「芸術は国境を越えて伝わるもの」だとか書いてる奴ら馬鹿じゃねーかと思う。ぜんぜん伝わってねーよ。芸術はそれを観て受け止めてそれぞれどう感じるかってことが重要なんだから、翻訳を誤ったらそれは別物だろ。あんたの注意していない一句一句に作者の意図がこめられているかもしれない。だから一句でも訳が綻んだら、それは別物だ。そんなもん見て同感や支持されても、こっちは腹立たしい。