南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

日本からみた李登輝像と中立的に見た李登輝像

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 今回のテーマは李登輝である。これは3月に読んだ、同著『台湾の主張』のまとめを改めて行うと同時に、台湾の総統史について一通り頭に描こうと読破した『台湾総統列伝』(次項にて総括)における李登輝像とを比較しようと試みるものである。
 先の『台湾の主張』は氏本人が書したものであるから、その内容は社会一般には中立的であるが、全体に主観性が強い。概要は、生い立ちから始まって、国民党時代(経国学校)や農業を中心とした自らの政策を語り、さらに米国、中共、そして日本への要求と外交戦略を論じる。地下共産党在籍時代もあり、政策にはその名残が見られる。米国は外交上の立場から、中共とは国家のあり方を問うものが多いが、日本に対しての想いは特殊で大きい。日本統治時代は日本人として生きてきた彼にとって、台湾とともに愛してやまない存在なのだろう。それは日本の右派政治家や思想家の心を動かし、一面的な李登輝総統像をつくりあげた。その結果、日本における右派とは何かを考える筆者をも捉え、また親日総統というイメージをもたせ尊敬せしむることとなった。筆者のいわゆる「台湾論」傾倒の契機である。
 では、台湾の政界や社会全体からみて、李登輝(総統)とはいかなる人物なのだろうか。『台湾総統列伝』を読む際、李登輝に関しては、多少なりとも批判を載せずにはいないだろうが、大枠に関しては既に持つ知識に相違ないと考えていた。しかしこの書では、同氏の意外な側面、否、実態を正確に知ることになる。
 蒋経国死後、副総統から臨時総統に繰り上がった彼は、初の台湾「本省人総統という大衆からの安定的認定を図るとともに、党内の派閥抗争を逆手に利用して、自らの基盤を固めていった。初期は対中関係で実務交渉を進め、一方で台湾の存在を世界に示そうとした。しかし海峡経済投資への慎重路線を契機に、対中外交は行き詰まりを見せ、米国に傾倒、さらに「二国論」発言で厳しくなってゆく。台湾人総統の好イメージの裏に、汚職疑惑が絶えず、また野党民進党びいきも目立った。『台湾の主張』は99年に書かれており、末期の過激とも取れる言動が現れたものといえるだろう。今や完全に台湾独立派となり、国民党とは全く異なる路線を歩んでいる。結:台湾人意識と親日感情はイコールとはいえず、その定理に踊らされた我々の一方的な李登輝像が実像を覆い隠している。【2006/05/30/AM】