今回はもともとペルセウス座流星群観測候補地として岩村城が挙がったことが先で、明智鉄道乗り遊びは後付けの企画だ。東海地区の旧国鉄系第三セクター鉄道としては愛環を除くと最後の砦であり、漸く岐阜県を制したな、と。尤も小学生のころ母と山歩きをした際帰りに乗ったことはあり、全く初めてではない。岩村城もそのときの記憶がわずかに残っている。また、運賃の高めな明鉄を避けた瑞浪駅からの東濃鉄道バス利用による明智企画もキープしていて、旅の欲求は前々からあった。明智の名所である大正村は、とても幼い頃家族で訪れたことがあり、これはさすがに記憶はないが亡き祖父が撮ったビデオを幾度か観たことがある。そして、岩村の隣駅花白温泉は駅前に小さなスパがあって食事もできると母が教えてくれた。そんな懐かしいような新鮮なような恵那の山あいを少し歩いてみようと思う。
明智鉄道に揺られて
せっかくの休日ゆっくり寝たくて、計画の8時半出発を10時過ぎに遅らせた。恵那での明智鉄道接続が26分と長い点も解消されたが、実際は終始座れなかったうえに釜戸駅で臨時特急の追い越しを受け恵那着が5分程度遅れるというハプニングがあり、定刻で7分しかない乗継時間に冷や汗かいた。しかしそこはローカル鉄道、駅長が機転きかせ名古屋からの行楽客をのんびり待ってくれた。落ち着いて1380円の全線フリーきっぷ(硬券)を買い求め、年始の樽鉄以来のレールバスに乗車。
向かいのボックス席に日本人男性と中国人妻の家族連れがいて、車窓楽しんだり煎饼食べたりして微笑ましかった。男性が時々両親との会話を中国語訳していた。
列車は田園と山林を交互に見せながら、意外とアップダウンのある軌道を走ってゆく。日本一の農村景観が望めるとされる飯羽間駅。近年開業しSCが近い極楽駅。寒天資料館「かんてんかん」のある山岡駅。間もなく終点明智という辺りで、並行する道路に掲げられた案内板に大正村のトレードマーク「カンカン帽」を見つけた。勤務先に岩村出身者がいて時折正装の時に被ってくることがあり、そうか、アレは“明智スタイル”なのか、と妙に納得した。
明智(大正村と明智城)
到着早々空腹を覚え駅舎に関心は注がれなかったが、これも大正村文化財の一部なんだね。駅に隣接してバローとVドラッグがあるところ、さすが地元。
とりあえずラーメンとか食べたいと思い、南北街道に出てみるも惹かれる店がなく、まずは「もすけ」で五平餅。さすが木曽に近いだけあって美味いわ。
電話や郵便の歴史が分かる。局内最奥部にISDNだったか新しい高速通信システムの図があった。
少し戻って大正路地を登ってゆくと、。
大正村を代表する建物で、祖父の映像にもチラと映っていた記憶がある。内部は古式な住宅の装いで比較的涼しい。大正ファッションで写真を撮っている方がおられる。
その向かいの大正村展示館にはアナログ時計の展示があり、振り子時計の仕組みなどが見られた。展示館の建物自体は、かつて町営の水力発電所を管理していた部署だそうである。この地域は水力発電が盛んで、同時期の岩村町でも鉄道事業の副業として水力発電所を運営しており、のちに矢作水力に統合された。
絵画館、大正ロマン館とのんびり登って行きながら、もし下見して岩村城が理想の観測地じゃなかったらここへ戻ってきてもいいな、と思った。人家もまばらで街灯も少なそうだし、展示館は夕刻になれば閉館するから意外と好条件なんじゃないかと。
少し中途半端だと思ったので明鉄の便を一本遅らせて、先の逓信資料館向かいにある日本大正村資料館「大正の館」を見学。フリーきっぷではロマン館など4館共通券が割引になるのだけど、300円で本館だけ入る。大正時代の小学生の絵日記が全部カタカナながら普通に読めるのでヤケに見入ってしまった。設問の語調がややきつく感じられるのに、子供たちの言動や感性はいつの時代も素直なんだなぁ。また、当時まだ珍しかった自転車や自動車の宣伝広告も面白かった。日本初のガソリンスタンドとかね。
4階から1階までストンと吹き抜けている。
隣接する銀行蔵でお茶を戴きながら休憩していると、明智城の登城コース案内が目に入った。ちょっと登ってみるか。
南北街道と中馬街道の交わる辺りは旅籠らしい家屋が集まり、街道らしさを醸している。中馬街道はすぐに山間の道となり、標識に従って畦道から山中へ。安全靴に体力を奪われながら登った本丸はまずまず眺望良かった。
ここも天頂の開け方が良好で、ベンチに寝ころべば人間の視野に適した星空が望める。日没後に足元の悪い山道を辿らねばならないのが非常に残念。
明智城(白鷹城)は自然の地形を巧みに利用した山城で、三の丸の眼下も物凄い急斜面になっており難攻不落。
最後に、駅前バローのお好み焼き屋「ことぶき」で売れ残ってたミックスを買った。二つ折りにして薄緑色の紙に包んでくれて、とても懐かしかった。むかし近所のスーパー脇にあったおこのみ屋さんで売ってたような形態だ。もちろん素朴でボリュームあって美味しかった。お腹も満足なり。
岩村(岩村城址と城下町)
岩村城本丸までは1㎞強とふんできたが、実際はずっと登りで時速4㎞をキープするのは難しい。1時間余の滞在時間で検分まで含めて往復するのは無理だった。武家屋敷跡の公園から石畳を少し登った辺りで諦めて折り返してきた。観測地は登城口すぐの下田歌子記念碑や銅像のある辺りが、程よく開けて東屋もあり使えるかなと。かりに本丸が条件良かったとしても、暗闇で石畳の足場は悪く、また本丸だけ別ルートの林道から上ることができるので不審者等の遭遇の危険性があると感じた。翌朝星が見えぬくらい明るくなってから岩村土産に登って帰ろう。
少し時間を前後して、岩村の城下町。本通りの町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定され、小奇麗に整備してあり観光に力を入れていることが窺える。細く勾配のきつい街道だが古式で落ち着いた店構えが並ぶ。大正村とほぼ同じくらい観光客が目立つ。提灯など祭が近いような装いが感じられる。小さな駄菓子屋さんや銘菓のカステラ屋さんが目を引く。地酒「女城主」で知られる岩村醸造の店頭には大きな甕があって、町のシンボルともいえよう*1。甕といえば、大正村の家族旅行映像で幼い私が大きな甕をカンカンと叩くシーンがあるのだが、あれはどこに置いてあったのだろう。
街道と駅の間の小道で突然、ミンミンゼミの鳴き声が聞こえ、一瞬どこで録音を流しているのかと思った。都会ではミンミンゼミはテレビドラマや映画、ショッピングモールの夏物セールの効果音でしかない。こうしてリアルな鳴き声を聞くと耳を疑ってしまう。ちなみにミンミンゼミとクマゼミは、ベースの音は同じで鳴く速度が異なるのだと最近知り、少し意識して聴くようにしている。
花白温泉
寛政3年(1791年)に開かれたという歴史ある秘湯。都会の銭湯でもここまでのは珍しいくらい小さな湯処だ。フリーきっぷで100円割引の440円で入湯。脱衣所もとても狭い。
ラドン泉でかなり熱いと聞いていたので、体を洗う前に温度チェック。まず湯慣らしに「きまぐれ白湯」のほうから浸かる。肩まで沈むと案外スーッと馴染んで心地いい。そうして体を温めておいても「花白の湯」は手ごわく長湯できない。湯船の縁でしばらく冷ましてから、白湯を堪能した。どちらかというと地元や近隣地区の利用者が多い感じで、絶え間なく入浴者がいた。
湯上りは涼しい「花白茶屋」で甲子園の結果を観ながら休息。夕食には生ビール(小)と、山岡名産をつかった「花白寒天らーめん」。てっきりワカメ代わりに寒天が混じってるのかと思いきや、麺そのものが寒天でビックリ。これで腹ふくれるのかよ、と正直不安になったが、意外とボリュームあって満たされた。屋外テラスから夕陽が差し込んできて、今夜に一抹の期待を覚える。
これより13日早朝にかけては以下の記事を参照のこと。ペルセウス座流星群観測を含む旅は厳密には日帰りではないが、特例としてこのカテゴリに分類される。
ペルセウス座流星群観測2015@恵那岩村城 - 南蛇井総本氣
雨中の帰り道
しとしと雨降りしきる中、城下町を足早に抜け、岩村駅で05:50の始発列車を待つ。雨の中とはいえ、せっかく良い雰囲気の街道を4度も素通りするのは癪なので、時折旧家の軒先で立ち止まって歴史を学んだ。無残な観測結果を懐いて朝を迎え、田舎で列車を待っているときというのは非常に寂しい。まぁこの結末はある程度予想できたことで、鉄道旅行の満足度と流星観測でうまくバランスがとれればいいさ、という意味では十分すぎるお盆休暇であった。
完