南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

Firsttime Philippines 3:Olongapo、Clark

昇天したまま目が覚めて、外はシトシト雨模様。昔、祖父母の金婚祝いに父方の一家総出で鳥羽へ行った際、優れない天候に幼い僕ら兄妹は海水浴を諦めさせられた思い出がある。どことなくシチュエーションが似ていなくもない。

海水浴

空模様に似てくすんだ色の海

シーズンが良くないという。でもYuriさんらと一緒に砂浜を散歩し、潮風に当たりながら身体を伸ばしていると案外気持ちがいい。そのまま調子に乗ってTシャツを脱ぎ、Yuriさんの彼氏にポケットの中身を預けて短パンのままザブザブと海へ入った。天候のせいで多少肌寒いけど、浜に近いところで波に翻弄されていると結構楽しい。いつのまにか水着に着替えたRubyたちもやってきて、一緒に戯れる。もちろんビキニではなくてレオタードっぽいやつだけど、いずれにせよ初めて見る姿だ。そんで一緒に少し泳いでいったら、誰にも見られないと思ったのか、Rubyのヤツふざけて沖合に向かって胸を露出したので、横から拝めてしまったww(ちょっと感激v)。波が荒く濁った海水に揉まれるのは残念。ちなみに、スマホの充電器を持ってこず姉さん方のを借りて充電していたため、遊泳中の画像はない。
浜では寝そべって砂で埋められ、胸や股間をこんもりと造られた。となりで重病のお姉さんも同じように楽しんでいた。その最中にも時折あの猛烈な雨が突如降ってきて、慌てて木陰やバーベキューハウスに逃げ込む羽目になる。間に合わないときに浴びる雨粒は、剥き出しの背中をバチバチと叩きつける。まるで節分に豆を投げつけられた鬼のように痛いということが分かった。普段着のまま遊泳したことがバレ、早く着替えろと叱られて一旦コテージへ引き上げる。その替えの下着なども街で買ってきてもらった*1。まったく世話のかかる男である。
朝飯に、初めてフィリピンのカップ麺を食べた。比較して日本製に劣る、というほど差はなく普通に美味しい。シャワーして一休みすると姉さんたちは昼食づくりに取り掛かる。私は路地に面した縁側みたいなところで寛いでいる。常にもてなされ続ける。

昨日の生マンゴーと、

見た瞬間、「あ、ライチでしょ」と知ったかで呟いたものの、じつは少し違う。ライチ(荔枝)と同じムクロジ科のランブータンというらしい。

ランブータン

剥き方と果肉の食感こそ似ているが、その半透明の色合いやケバケバとした外皮はなるほど新感覚だ。

事件発生

それはラニちゃんに「おかね、ちょうだーい」をされて財布を覗き、発覚した。敢えて両替せずに残しておいたはずの5千円札が抜かれていたのだ。海に入るとき濡らさないために預けたYuriさんの彼氏が盗ったのだと直感した。気が付くと彼は遊泳後に姿をくらましていた。ここまで男同士ある程度信頼し仲良く接してきたつもりだが、見る目が変わった。Rubyは「戻ってきたらボコボコにしてやる」と息巻いていたが、私には怒りよりもショックが大きかった。これまで治安はそれほど良いともいえない中華圏を何度も渡航してきたけれど、ボッタクリは経験あっても、財布から金を抜き取られるスリ被害にだけは遭ったことがなかった。たとえ車内や宿で少しばかり無防備な行動をとっても、その隙を突かれることはなく、高額請求も当人が同意して財布から出さなければ奪われることはない。中華圏での経験に基づく警戒心の甘さと、一緒に行動している人は信用できる仲間だという油断が招いた大きな過失だ。Rubyも「なんで姉さん(従姉妹)たちに預けなかったの」と詰ったように、ここでは基本的に家族しか信用してはならないということだ。戻ってきた彼をRubyやYuriさんが問いただすと、「盗ってない。自分も遊んでいて目を離した隙があった。そのときに弄られたのでは」と主張したそうだが、既に巷で両替してきちまって白切ってるんだろうというのが皆の見解である。
ちなみに、この5千円は準備金を使い果たしてしまったときの保険だけでなく、manacaを海外で紛失せぬよう携帯しなかったため空港から帰宅するまでの交通費も兼ねている。そのことを打ち明けると、帰国直前に手持ちの小銭を貸してくれたうえ、お土産代で渡されたフィリピンペソの残金を中部空港で再両替すると十分すぎるほどの額になった。
また、動揺していたのか、鍵をかけ忘れたトイレをふいに開けられ、ラニちゃんにチンコを見られたw もちろん笑われながら非難されたけど、この辺のラフさの間合いがイマイチつかめない。まったく短時間でハプニングを連発する日だ。不慣れな異国に居るにしては気が緩みすぎていないか。

海鮮パーティー

地元で買い集めた新鮮な魚介類を中心とした料理が次々に出来上がり、バーベキューハウスに運んで昼食。もう手で食べるのにも慣れた。不思議なことに、フィリピン滞在中どんだけ不衛生な食べ方をしても一度も腹を壊さなかった。中国ではかなり警戒するのに。

魚介の宴

この日のビールはRed Horse。
食後はみんなフィリピン版爪楊枝みたいなので口の中を掃除している。歯磨きセットを持ってこなかったので、これは便利だ。Yuriさんは仕事の都合で今日中にマニラへ戻らなければならない。名残惜し気にツーショットを撮ったりした。日本語で頼れる人がいなくなるのは寂しい。ところで、Yuriさんが”元”男だとはどうしても信じられない。

クラークのショッピングモール

アンヘレス市に隣接するクラーク(Clark)は、オロンガポと同じく在比アメリカ軍の空軍基地があったところで、こちらもピナトゥボ火山噴火を受けスービックとともに返還されている(2012年より再駐留)。このアメリカ軍駐留が醸成した国際的な環境が、こんにちのRubyのキャラクターを育んだものと思われる。現在基地の跡地はクラーク国際空港として整備されつつあり、マニラのニノイ・アキノ国際空港に代わるフィリピンの主要玄関口となる見込みである。すでに韓国などの国際線が就航しており、マニラ首都圏との公共交通も計画されている。
かつての基地の一角に建つショッピングモール、SM City Clarkに立ち寄る。直前にジープニーのバスターミナルみたいなところ*2を通り、ローカルで雑多な活気に溢れる素顔を垣間見た。車で移動していると距離感をつかめないが、実は昨朝の銀行とこのSMは1㎞ほどしか離れていない。
巨大な吹き抜け構造のSM内は空調が整って心地よい。フィリピンのショッピングモールが平日の昼間でも人が多いのは、家にいるよりも涼しくて快適だからだという。日本の大型SCはもとより、中国の鉄道駅で増加している開放型の待合ロビーのほうが似ている。来客が多い分、イベントコーナーも賑わう。
Rubyは、2階のスマホパーツ&アクセサリーショップで、iPhoneケースと液晶保護フィルムを交換してもらう。店員の手さばきは意外なほど丁寧で上手い。フィリピン人は携帯電話やスマホをとても大切にするという。日本人でもケースや保護シートはほぼ必需品だけれど、それ以前にまだiPhoneスマートフォンが高価なアイテムだからだ。巷で目にする一般市民の携帯電話は、10数年前の日本で普及したストレートタイプだ。それも日本のより細身で、メールなんか縦書きのほうが適してるんじゃないかと思えるほどだ。そんなモバイルを庶民はとても大切に使っている。私が2013年まで使用していたプリモバイルの端末がこちらで売れるという話もなるほど頷ける。
あとは、みんなでアイスクリームを食べながら華やかなモールをブラブラ。

あちこち里帰り

ラニちゃんの実家に寄った。ガレージみたいな戸口を訪問してご両親にお会いした。たぶん、あの造りは小売店の名残だ。私はとりあえず挨拶だけになってしまうけど、姉さんたちは近所を色々懐かしんだりして話が尽きない。
また、SMで花束を買って共同墓地にも寄った。日本の墓地と同じくらいの広さがあり、墓石(プレート)が並んでいる。一家のお墓は地面ではなく、壁面にズラリと填め込まれたプレートの一つだ。近親者だけでそれを囲み、祈りを捧げたり言葉をかけたりしている。大学時代に出入りしていたキリスト教関係のサークルで、高い声で祈りの言葉を捧げていた活動に少し似ている。私も遠巻きながら心を共にした。Rubyは「私たちのお墓参りにまで付き合ってくれた」と喜んでいた。ちょうどお盆だからね。

ふたたびアンヘレス

夕方にアンヘレスの家へ帰着。じつはこのとき、もう一つ事件を起こした。尤もちゃんと発覚するのは翌日なのだが、私が事情を報告する前にRubyや親戚たちが感づいていたのは不思議だ。この日、急きょこれからマニラへ移動してYuriさん家へ泊り、先日Rubyが購入したというコンドミニアムなどを見に行こう、というプランが決まった。レンタカーの使用期限である今夜中に有効活用してしまおうとの魂胆でもある。じゃあ、すぐに荷物まとめてこよう、と一旦降りた際、オロンガポでビーチサンダルに履き替えていた私は、どうせすぐ戻ってくるのだからと車内に日本から履いてきた真新しい靴を置き忘れた。ところが予定は二転三転し、マニラ行きは取りやめとなった。私はてっきり車は一晩中停まっているものと思い込んでいたが、靴を載せたまま返却されてしまっていた。返却時に車中をチェックするような人々でもなく、拾得物を顧客に返してくれる親切なレンタカー会社でもない。後から問い合わせても通らず、また同じ車を借りられるわけでもない。結局ビーチサンダルで帰国する羽目になり、空港や機内など公衆で恥をさらした。予測不能な事態とはいえ、身の回りの自己管理ができない無様を露呈した。

外泊で疲れたのか*3、従姉妹さんの容体が思わしくなく病院に送迎したりして家じゅうの空気が不穏だった。一人気丈に留守をまもるラニちゃんが、幼子をあやしながら調理してくれた揚げ魚などで簡単に夕食を済ませる。叔母の友人で日本人という立場(への対応)はさておいても、こんな状況でも明るく優しい心遣いが嬉しく頼もしい。
寝床を窓際に移して就寝。ちなみにコンセントが部屋の入口にあり夜間スマホを充電しておくのだが、如何せん充電プラグの接触が弱いので扉の開閉による振動ではずれ不十分に終わることがしばしばあった。

つづく

*1:ブリーフパンツは四半世紀ぶりぐらいだおw

*2:Main Gate Terminalと思われる

*3:SMでも疲れを見せ、Yuriさんに付き添われて先に車へ戻った