(Short Trip 小豆島 1よりつづく)
さすがに計10時間の遠路は堪えたのか、朝食時間の7時ギリギリまで起きられず。土庄港を望む広いお座敷に、ゆったりとソーシャルディスタンスを設けた個々のお膳が用意されている。品数豊富な和朝食で、ご飯はおかわり自由。給仕の方が親切に勧めてくださる。幼子を連れた家族も目立つなか、給仕さんの細やかな気配りが好印象。清々しい一日の始まり。
小豆島周遊(2)
基本的に島を西から東へ順に移動する。周遊は南岸部のみで、寒霞渓や戦国史ゲームでもなじみの星ヶ城などへは行かない。
土庄
まずは土庄(とのしょう)の町を気ままに散策。平和の群像前からのオリーブバスを土庄本町で下車してスタート。永代橋からも川と思われがちだが、実は島と島を隔てる海峡だという、土渕海峡。昨日のエンジェルロードや土庄の町は、じつは小豆島ではなく土渕海峡を挟んで前島とも呼ばれる1島なのだ。ギネス認定された世界一狭い海峡(9.93m)である。
エンジェルロードに続いて、本旅2度目の記念自撮りをした。土庄町役場で渡峡証も貰えるという。
海峡名の一端にもなっている渕崎を少し歩いてみる。海沿いは狭く、斜面に民家が犇めいている。
狭い路地を少しだけ彷徨って、
この指定記念物に限らず、捩れた奇樹の目立つ境内。
ショッピングモール、オリーブタウンの傍で一休み。背後の形よい山々の青さにはつい見とれる。
公園の片隅に、若潮部隊跡地の碑が建つ。太平洋戦争末期、陸軍船舶特別幹部候補生隊(若潮部隊)が編成され、ここ小豆島の地で水上特攻の厳しい訓練が行われた。一部は南方の戦地に散ったという。
昨日のバス車窓からもチラッと見えた、妖怪美術館。外装に描かれたおどろおどろしい妖怪が際立つ。
土庄の町がこうした奇怪さを演出している素地は、細く入り組んだ生活路地が外来者の目に迷路のように映るところにある。ごく普通の古民家が密集した集落を、迷路のまちとしてPRしている。
敢えて外壁などを工夫し錯覚するように見せるのもいいが、迷路のまちエリア外で自然体な民家の込み方が迷路を錯覚させるほうが好き。
迷路のまちを脱して、天神神社へ登る。本殿前でアブにしつこく牽制されて拝めず。その裏山をさらに登ると、雨水タンクと貯水槽がある。無断で梯子を使い水槽の上にあがると、抜群に見晴らしがよい。
とくに双子浦方面の眺望は最高で、小豆(あずき)島や西光寺の赤い五重塔が見える。
最後に、尾崎放哉記念館を見学。荻原井泉水、種田山頭火とともに自由律俳句の詠み人として著名な尾崎放哉。晩年を小豆島、西光寺奥の院南郷庵(みなんごあん)にて過ごし、42歳で当地に没した。
静かでほの暗い庵の中に直筆の書簡などが収められている。また、記念館の前に広がる南郷墓地の奥に、放哉さんのお墓がある。
土庄町役場と図書館の間に、尾崎放哉資料館もある。オリーブタウン前バス停にも程近いが常時開室ではないので寄らない。その近くのカトリック教会前に、高山右近銅像とキリスト教伝来記念碑が建つ。キリシタン大名であった高山右近は、秀吉のバテレン追放令を受けて小西行長の庇護のもと小豆島や肥後国などへ移り住んだ。その頃の1586年、小豆島にキリスト教が伝わったという。
オリーブ公園
小豆島の名産といえば、オリーブ。日本のオリーブ栽培発祥の地とされる。明治末期に、当時の農商務省がオリーブ栽培に適した土地として小豆島を選定した。栽培は1910年頃に成功し、搾油が進められた。戦後に海外から安価なオリーブオイルが輸入されるようになり、国産栽培は一時減少するも近年需要の高まりとともに良質な製品も開発されてきている。
内海湾の入口を一望できる丘の上に、辺り一面オリーブ畑の公園とオリーブを用いた味覚を楽しめるレストラン等を備えた道の駅がある。二十四の瞳映画村を前に、ここでお昼をと目論んでやってきた。
オリーブ記念館前からは、内海湾やその先の四国沿岸が見渡せる。
高松は小豆島の真南のイメージあるけど、今正面に見えているのは志度や三本松の辺りで高松はもっと西方向になる。尚、左手から伸びる半島の突端辺りが二十四の瞳映画村で、この浜から湾を横切る渡し舟が出ている。
記念館でオリーブ栽培と搾油の歴史などを学んだのち、一巡して愕然とした。オリーブオイルなどのショップは営業しているがレストランは暫時休業。連休前から観光客が少なからず訪れているというのに、全然対応できてない。
ギリシャ風車の前で、魔女を真似て箒にまたがりピョンピョンする人々を尻目に、オリーブ園へと下っていく。しかし、そこのオリーブパレス レストレアも席案内何十分?待ち。映画村行きのバスに間に合わない。マイカーやツーリングなら飲食店やコンビニ求めて移動できるが、こういうときバスは自由が利かない。公園の周りに食堂は見当たらず、途方に暮れつつオリーブビーチにおり立つ。サーファー向けペンション、SUP RESORT CLUB AOがハンバーガースタンドをやっている。
グルメどころか食べるにも事欠くなら、特産品とか変にこだわらないのもまた良いよね。コーヒー薄いけど、浜風に浸りながらのリゾート気分も悪くなかった。バス停間近なので、時間めいっぱい海辺で過ごす。
砂浜も、波打ち際の海水も澄んでキレイ。
二十四の瞳映画村
『二十四の瞳』の映画(1954年版)を小学生のころに観たことがある。それを機に壺井栄の原作小説も読んだ。小説の舞台のモチーフであり、映画のロケ地もである小豆島はその頃から知っているし、島に関心を持ったきっかけと言ってもいい。1987年にリメイク制作された映画のオープンセットを活用したテーマパークが、この映画村である。
オリーブバス田ノ浦映画村線は、アジア系外国人を中心にすし詰めであった。小豆島町役場での乗降もあり一概に観光客とも断定できないが、需要に対する便数の少なさもコロナ明けムードの人流を正しく計れていないとみえる。ジャンボフェリー発着の坂手港を経由して田浦半島の岬へ。半島には映画村と、少し離れて岬の分教場(旧:苗場尋常小学校田浦分校、町有形文化財)の2カ所ある。映画村入口で共通券を買えるところを、オリーブバスフリー乗車券で割引になるのを指摘されて生返事したため、映画村入村券しか発行されなかった。まぁ移動手段がないから*1、映画村だけゆっくり満喫しよう。
発券手違いと午前中の疲れからか、入場しばらく広場をぼんやりと眺める。やおら壺井栄文学館を見学、『二十四の瞳』など多くの文学を生んだ作者の生い立ちや同郷作家との関わりなどを知る。ギャラリー松竹座のミニシアターで懐かしい1954年版の『二十四の瞳』を上映しており、暫し時を忘れて鑑賞していく。
大石先生の自転車もポイント。校舎脇には竹馬など昔の遊び道具がある。
作品当時を再現した教室や廊下もさることながら、教室の窓から見える海、は一番撮りたかった。二・三・四年生の教室には、木下恵介監督作品のパネル展示。
大正屋にはオリーブ製品をはじめ、小豆島特産のおみやげが豊富に揃っている。なかでも素麺は有名で、およそ400年前に奈良の三輪から製法が伝えられたとされ、今では三輪そうめんや揖保乃糸にならぶ日本三大素麺として知られる。昨日から随所で製麺所を見かけている。素麺5食セットを白とオリーブ入りの2種類買う。個人的にオリーブオイルの価値は分からないけれども、友人に買ってくかとチラと思う。チリリン屋で瓶牛乳を飲み、締めとする。見とばしたキネマの庵Cafeでは昭和の給食セットが食べられたらしい(残念)。
醤の郷
小豆島は古くから醤油醸造が盛んで、マルキン醤油は全国でも知られるブランド。また、醤油を用いた佃煮の生産も日本有数といわれる。田浦半島の付け根近くに、醬油や佃煮の工場が集まる一角、醤(ひしお)の郷がある。マルキン醤油記念館は開館時間に間に合わない*2が、工場外観だけでも眺めたくて寄っていく。
一帯に醤油の香りが立ち込める。
佃煮のタケサン記念館はまだ営業中で、種類豊富な醤油と佃煮の土産屋を覗く。さしみ醤油やドレッシングなど小瓶を買いたい衝動にかられる。昼にオリーブソフトを食べたので、醤油ソフトはまぁいいや。
県道沿いには大きな樽を用いたモニュメント(樽の縁に仕込みで働く人々の人形を添えて)が並ぶ。また、壺井栄と同郷の小説家、黒島伝治の文学碑が高台の草むらにひっそり建つ。
昨日と同じように夕陽射すなか土庄港へ向かっていくが、沿線遊んだり繰り返し乗ったせいで味わい深まる。にしても、観光地では日本人のほうが目立つのに、オリーブバスでは明らかに中国人とベトナム人が占めるのは不思議だ。
小豆島ラーメン
本旅の食事はややテキトーに甘んじてきたが、今夜は目当ての店がある。エンジェルロードの入口で目についた、小豆島ラーメンHISHIO。
tabelog.com
小豆島ラーメンHISHIO(ヒシオ)は岡山県の岡山・倉敷市と香川県の小豆島(土庄町)に4店舗を構えているラーメン店だ。
メインメニューの「醤そば(ひしお-)」は、古くから醤油の名産地だった小豆島の醤油をスープに使い、ダシは小豆島で水揚げされたカタクチイワシの煮干しを使用している。
【小豆島ラーメンHISHIO】替え玉無料無制限!小豆島産の醤油と煮干しを使用。イオン岡山・倉敷美観地区・小豆島などに店舗 | きびナビ
たったいま醤の郷を訪れただけに、相応しい醤油ラーメンだろ。
「お好きな席に」といわれてテーブル席をとる。テラスにも出られるらしく、目の前は銀波浦だな。
真ん中にのった、もろみのオリーブ煮も小豆島ならではアクセント。じっくり味わってきた。
エンジェルロード近くの日帰り温泉も興味あるが、銭湯のように小ぢんまりしつつもゆっくり浸かれる旅館の浴場で十分癒される。一日周遊楽しかった。
(Short Trip 小豆島 3へつづく)