南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

多々謝々!台湾の旅 1:初出境、訪台

セントレア

名鉄特急(一部特別車)の一般車に金山から790円で乗車して、懐かしのセントレアへ。特急でロングシートにはやはり違和感がある。「懐かしの」というのは、1年前このセントレア開港時に招待者のみの公開が行われ、その案内アルバイトをして以来、一度も利用すらしたことがないからだ。(この開港によって県営小牧空港が再出発し、それを記念にJALが催した半額キャンペーンを利用して南蛇井は東北へ行ったのだ。)さすが1年も使い込むと少しは雰囲気が変わっているかと思えば、まだ新品さが漂う。
搭乗手続きで、「同便が混雑しているから(格安航空券の私を狙ってか)、あとのユナイテッド便に替えてくれないか」と言われたが、ただでさえこのキャセイ便も19:15と夜遅いのに、さらに遅くするわけには行かぬ、と押し通した。初めての場所、しかも異国で21時には着きたくない。次に円から新台幣への両替。UFJへ行ったが、コインを混ぜてくれないと分かってトラベレックスを探すも見つからない。後に出国手続きの奥で見つかった。それで仕方なくUFJに8万円を託す。用紙に台湾元と書いたら、台湾$に書き直せと言われ、訂正署名まで要求された。現地じゃ、元=$=圓なんだぞ、と吹っかけるのはやめた。堅い所だ、まったく。しかもレートが想定以上に悪くて、8万出して最低2万$来ると思ったが1万9千にしかならない。家出る前に、母が新聞で1$=3.4円だというので、絶対手数料食っても4円は超えまいと思ったのだが、痛い。おまけに民国89年(今年が95年)発行にしては猛烈に汚くてボロボロの札であった。後で知るんだが、現地では民国93年に紙幣の改正をしていて、新札が出回り始めている。日本も同じだね。樋口一葉野口英世が出たのは去年だったかな?それで、もっと綺麗なお札が、使用後に続々と手に入った。UFJめが!
トイレで、日本円の財布からの排除と新台幣の分割管理処置をして、セントレアの大浴場へ。900円はちと高いが、この先いつ風呂に入れるか分からない。展望浴場の外は曇りで、誰かが「雪が降りそうな天気だ」と言ったのが気になった。
そして、それはもろに的中した。風呂に若干長居したので、駆け込み搭乗になってしまったが、席に着いたころから雪が降り始め、除雪作業のため30分余りも離陸が遅れる結果となったのだ。あ、出境がテーマだけど、あまり記憶がない。初めてにしちゃトラブルが無かったので。ただ、搭乗するときに、あぁもぅ日本を出てしまったんだなぁと不思議な感動と寂しさに一瞬だけ囚われたのを覚えている。

台湾へ

機内はもう異国だった。春節も1週間が過ぎ、台湾や香港(同便は台北経由の香港行き)へ帰る家族などで混んでいた。従ってアナウンスは英語と中国語しかくれない。席を探し当てるのから、早速キョドった。隣には父親が中国人、母親が日本人らしい3人家族が座っているし、周りは皆中国語圏の家族連れ。自分のペースを掴もうと、ヘッドフォンを取り洋曲のチャンネルに合わせて音楽を聴きまくりながら、ガイドブックや中国語単語集を眺めてすごす。言語で困るのは、機内食の時間。離陸後、すぐ夕食となったが、長距離航空を利用したことのない私は、食事自体慣れない。そこへ異国空間ときたものだから、冷や汗かいて待っていた。何とか周りに合わせて肉か魚か選んで、飲み物を指示すると食べられる状態になった。英語だけでもこれほど疲れるのに、これから台湾に行って10日もどう過ごすのだろう。不安もよぎった。
機内食が美味しいとか不味いとか論ずる人があるが、あれは十分美味しいと思った。そう感ずるだけ、余裕があるかもしれない。機内に中国語圏の方が多いため、食の傾向もややそっち寄りらしい。機内食の他は何もトラブルも無く、乱気流などの恐怖も無かった。
そして、いよいよCKS(中正)国際空港に着陸。私の座席は真ん中の列だったが、首を伸ばして覗いた窓の外から見えた台北の夜景が非常に美しかった。旋回して着陸する機内で、既に自分は海上の国境を越え、異国の上空にいるのだと実感した。現地時間で20時少し前。綺麗なキャセイの乗務員に別れを告げ、中正機場の中へ。入境審査で、ガイドブックにあった「外國人」のコーナーが無くて戸惑った。英語表記で、「citizen」と「not citizen」とあったので、何とか理解できた。ぶっきら棒な審査官だったが、無事何も問われずパスポートが帰ってきて、晴れて台湾の土を正式に踏むことになった。だが次に税関で戸惑った。税関というと結構厳重な機関のはずだが、「免税範囲内」とされる人々は大きな荷物を何も触られることなく、するすると出て行く。検査官は2,3人いたが、談笑しているのだ。これが私には理解できなかった。同様にそこを通っていいものか、何か問われはしないかと考え込んだ。数分思案していたが、どうにもならないので、何気に通ってみた。けれど、出口の戸が閉まっている。戸惑っていると、検査官の一人が面倒くさそうに「去、去(行け、行け)」と言ったので、戸を押してみたら簡単に出られた。これだけで神経がだいぶ磨り減った。

台北、そして「おおしろ」へ

「空港に着いたら真っ先に鉄道の時刻表を買う」と出発前に豪語していた私だが、さすがに予定より1時間近く遅れて着いてしまい、寧ろ今夜泊まる台北のゲストハウス「おおしろ」へ電話したほうがいいかもしれないと思った。が、まず台北駅に行ってしまおうと、バスターミナルへ。國光客運の切符売り場で、初めて外貨新台幣を使用する。これも感動。因みに、『台北車站』とは言わないで、『台北ステーション』と英語で伝えた。売り場の表記が両方あったので。車内では、“ちびまるこちゃん”の着メロが何度も鳴り響き、その度に中国語(あれは台湾語だったか定かではない)の声が断続的に聞こえた。台北駅は、巨大な長方形の箱状の建物で、「おおしろ」の人も言ったが、列車(線路)のまったく見えない駅である。したがって彼曰く、駅を基準にして東西南北が決められない。つまり方角が分からないのだ。でも、到着直後は何の違和感も無く、まず構内に入って電話コーナーを探した。電話で言われたとおり、東1口で待っていると、現れたのは何とも頼りないアルバイトの兄さん。MRTの地下街を抜けて、台北駅北裏のやや怪しげな地区の中に、そのゲストハウスはあった。韓国人を中心に10名余りが泊まっていただろうか。しかし、旅人同士の軽い交流はあっても、情報交換に役立ちそうな気配は感じなかった。

「おおしろ」にて眠る

ここではっきり述べてしまおう。この「おおしろ」に泊まった目的は、台湾は初めてなのに宿泊など基本的な足場を固めていないのは危険だから、管理人の方に聞きながらここで情報収集をして、できれば宿泊地の予約をして、さらにここを緊急連絡先にすることであった。ところが、このゲストハウスは交流の場ではあっても、日本語が通じ、日本文化に帰ることができてしまうという安楽感が生まれ、異国にいる臨場感を麻痺させる空間である。はっきり言って居心地が悪いし、台北に帰ってからも再度泊まりたいとは思わなかった。かなり不安だったが、自力でこの10日間をすべて仕切るしかない、と自らを奮い立たせる場となってしまった。まず、台北駅に戻り、鉄道の時刻表を買い求めた。25元の小さな冊子である。そして、おおしろにある“情報ノート”を捲って、花蓮の宿泊候補を2,3メモした。時刻表を眺めて法則を掴むと、時間的に乗れそうな自強号を選び出し、チェックした。とりあえず、これで準備はおしまい。初めて、異国の地で眠る。
明日のことは頼れなかったが、来台初日で不安な一夜の確かな宿を提供してくれた「おおしろ」に、この場を借りて謝謝!
つづく

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台北車站