南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

十日を経て、震災と国家について解釈

今回の地震災害への対応について、中国国内における報道の仕方はやはりチベットと同様、被害者意識と国民が一丸となって闘う姿だね。今回は暴動でなくて天災だから対外からも同情が得られるし、その規模が半端でないので一層内外双方の力が大きい。一方では解放軍の面子がつぶれるだの特に日本の救援隊に対する誹謗もあるらしいが、今回対外の支援を受け入れたのには巨大サイクロンにみまわれたミャンマー政府の対応と比較して自国を際立たせる意味がある。規模が規模だから7万人もの死者*1を出したのであって、重要なのは救出成功と今後の復興に向けて全国民が結束し又経済力を結集させられたこと。さらにチベットや聖火などの問題があるにもかかわらず地球規模で支援を得られたこと。これらは頑なな軍政の国家とは違うんだぞ、と被災しながらも誇らしげな、そして改革開放の成功をすらも高らかに宣言するような姿である。
そうやって考えてくると、相変わらず河南で被災報道が続くのか理解できる。河南省も他省と同様解放軍戦士を派遣し、被災地にて救助救済活動を行っている。その姿は逐一ニュースになってはいる。が、中国人の河南差別は根強い。おそらく我々の知らない度合で、最も危険な被災現場に送り込まれて、震災だけでなく自らの生死と闘っているに違いない。しかしそうであることによって、過重な任務をこなした河南兵は河南人民から尊敬され、収入の少ない家庭は子供を軍へと送り、河南の愛国献身意識はさらに高まっていくのであろう。相反しているようで、さらに偉大な効果を生み出す。軍へ直行しなくとも、学生を経てから結局は入隊する者も多いのだから、格差というのは本当に悲惨なものである。それでいて、この改革開放というのは経済的に国を支えるのは私営企業、合資企業ですよということだから、軍や党の重みが忘れさらばえてしまう。現在中国の国営企業は経済的にほとんど力を持たないどころか、お荷物である。国家が、公(おおやけ)がどこでその偉大さを発揮し、人民を導くか。これが開放後の難題であり、開放であまり利を得られていない人々をどう宥めるかにも圧し掛かってくる。このような問題を解決とまではいわないが溶解し、党・軍はまだ偉大であり人民をあらゆる災害から解放する力があるんだよ、ということをハッキリ示すことができた。その一員となった河南の戦士たちを河南人民の目に焼き付けることで、引き続き戦士徴集の後押しにすることができる。私は日本に対しても、中国に対しても、国家の力、公の力を尊重し重要視する主義だから、赤すぎるだの右傾過ぎるだの軽々しく論じ誹謗中傷しあうそこらとは異なるつもりでいる。が、人民の立場からすれば、やはり悲惨なものよのう。
ふと屡思うのだが、人民解放軍っていろんな意味で"解放"軍だな、と思う。本来は帝国主義からの解放、ブルジョワジーからの解放、地主制度からの解放だったわけで、それらはほぼ1949年の建国までに完遂している。だからそれ以降は、解放という言葉の意味は成していないようにみえていた。即ち呼称のみが残ってるだけ。けれども、78年の開放を経て人民の間に多様な問題を抱えるようになった。これらからの解放、人民が受ける様々なファクターからの解放の任務を負うことになった。まだ49年以降も解放し切れていない地域はある。たとえば台湾、チベット南沙諸島などだ。これらは民族自決主義からの解放とでも言おうか、独立を唆す対外的圧力からの解放を続けるであろう。圧力というほどの行為をしている自覚は私にはないが、民族自決の時代ははっきり言って終わったと思っているから支持に値するね、どっちかっつうと。そして、軍の任務における解放とは別に、もう一種の解放の意味を持っていると最近感じる。それは軍に入ることによる貧困からの解放、格差からの解放。特に河南人や西部各省の人民は肌身に感じていることだろう。国に献身できる、国民から差別なく尊敬される、職を得られるといった農村部の生活苦からの解放。これは重いわ。

*1:国内報道では4万死亡、3万行方不明、5万病院で治療中