南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

首相靖国参拝を違憲判決

Nanjai2004-05-01
 ≪小泉首相の就任後初めての靖国神社参拝が政教分離を定めた憲法に反するかどうかについて争われた訴訟の判決で、福岡地裁亀川清長裁判長)は7日、「参拝は公的なもので、憲法で禁止された宗教的活動にあたる」と述べ、違憲と断じた。しかし「参拝で原告らの信教の自由を侵害したとはいえない」として、原告側の慰謝料請求は棄却した。≫靖国問題が再び浮上したか、と真っ先に思ったが、そうでもないらしい。この裁判の争点は、もともと原告側は宗教と政治、靖国に祀られた戦犯や英霊、国民感情を総合的に扱うつもりだったようだ(各紙では「再び英霊を作らせない」の横断幕写真が物語る)。ところが今回の判決文を大まかに見ると、政教分離だけが大きく出ている。総理大臣として神道的宗教に加担するような行為をし、≪戦没者追悼場所としては必ずしも適切でない靖国神社を4回も参拝したことに照らせば、憲法上の問題があることを承知しつつ、あえて政治的意図に基づいて参拝を行った(以上アサヒ・コム≫。
 筆者は、首相の靖国参拝を絶賛する。まず、今回の問題は先にも述べたように、政教分離だけが主な争点だ。したがって、小泉総理がまだ参拝を続けられる余地がある、と確信する。この度の判決ニュースに対して、韓国や中国の政府関係者が一段と参拝非難をしたことは、的外れだ。靖国参拝に伴う戦争肯定などの再発論は、今回の焦点ではない。したがって、反発の好機と取るのは誤りだ。次に、総理に対してだが、判決に伴う世論に負けて、公的ではなく私的に行うべきか、と自信を揺るがせたのは甚だ残念だ。第一、靖国神社の宗教性はどこにあるのか。≪靖国神社は、元は国家の祭祀を営む宗教施設だった。第二次世界大戦の敗戦によって、靖国神社は国家の手から離れ、一宗教法人となった。それでも現在の靖国神社は、戊辰戦争から佐賀の乱、西南戦争、日清・日露戦争第二次世界大戦までの戦死者の霊、2百5十万柱を祀っている。(島田裕巳 『日本人の神はどこにいるか』 筑摩書房 2002.6)≫確かに靖国神社は宗教法人ではある。しかし、英霊というヒトを神として祭る風習は、「文化」である。日本独特の文化の奨励は、一政治家としてしてはいけないのか。政治に宗教が取り込まれれば、神権政治だ。だが、宗教をあくまで文化の一環として扱えば、なんら問題ある行為ではない、と確信する。結:大和文化を守れ!【2004/04/09/AM】