南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

みちのくの旅 2:仙台・松島

東北旅行第二日目

《主な移動行程》
仙台→松島→花巻

《印象に残ったこと、その他諸々》
東京へ帰る大学生はいつの間にか発っており、俺と成田空港で働く男性だけが6畳か8畳の部屋に残って6時を迎えた。朝食は7時半からなので、7時前に起きだして朝の檜風呂に這入りにゆく。夕べは、小学1年くらいの少年とその父親が同じ湯船に浸かっていたので狭かったが、朝は俺一人。朝風呂は空腹を助長するので、朝食欲のない人は、朝風呂がお勧め。身体を熱することで臓器を運動させるのだ。だから食後にすぐ風呂に入るのは、食後にすぐ運動をするのと同じだから控えるべき。と言っておきながら、花巻では夕食後すぐに温泉に出かけた。それは後の話。
朝夕ともに「宮城米?の食事」と案内には書かれていたはずだが、食事の予約があまりにも少ない成果、朝食はパンであった。朝食くらい誰かと話しながら取りたいものだと思っていたが、例の成田の男性と二人であった。彼は、石巻で開かれた「世界青年の船」「東南アジア青年の船」の国際交流事業に関する集まりに参加し友人と会うために、ここを訪れていた。これって、「ピースボート」とは関係ないよな。意外と知らない事業で、彼からいろいろ詳しいことを聞いた。彼自身も参加したことがあるそうで、俺らのような大学生の参加が最も多いらしい。ちょっと考えておこう。

仙台市営地下鉄は料金が高いことを知って、富沢より一つ北の長町南まで歩く。五橋まで行けば、瑞鳳殿行きのバスがあるだろう、と踏んでいたが、なぜか長町南に比較的しっかりしたバス乗場があったので、そこから瑞鳳殿方面のバスがないか、探した。すると、地元人らしい年配の男性が東北弁で、「○○病院へ行くバスは、どこで乗ればいいだろうか」と聞いてくる。俺は仙台自体初めてだからさっぱり分からない。旅行者だと分かると、一旦去って行ったが、再び俺のところに来て「あなたはどこへ行かれるのか」と聞いてくる。「瑞鳳殿方面のバスがないかと...」と答えると、「ここからは出ないと思う」と教えてくれた。傍に居た若い女性にも確認しながら、「一旦地下鉄で仙台駅まで出たほうがわかりやすい」とのアドバイスをくれた。東北の方は親切です(パート1)。にしても、東北弁の使用度ってかなり高いほうなんだろうか。関西弁は、ガキでも使うほど共通語レベルで、家庭内だけでなく外社会で使っても違和感がないけれども、名古屋弁は外で使うと違和感を感じたり、若い人の間では使われないことが多い。東北弁は、40代くらいまでは日常(外を含む)で、見知らぬ人に話しかけるときも使用度が高い。名古屋と関西の中間レベルなんだろうか。

仙台駅まで地下鉄に乗り、「急ぐ人は左側を行く」という関東ルールに驚かされ、慌てて右側へ身体を寄せてエスカレーターを昇った。晩翠草堂は月曜休館であることを知って、そのまま瑞鳳殿まで歩くことに。伊達政宗とその親族の墓である瑞鳳殿は、極彩色に彩られていた。青葉城もだけど、この瑞鳳殿も仙台空襲で一度焼失してしまったので、この極彩色は現代技術のものだろうけど、一銭を投じ合掌した。最後に仙台市を一通り概観して置こうと、るーぷる仙台に乗車。途中から、どぅもあおば通から予定の仙石線列車に間に合わないことが分かり、ここは慌てず仙台市街を楽しんで塩釜神社を削ることにした。繁華街中心部のアーケードを散策し、大都市を体感した。中央分離帯に植えられたケヤキ並木と遊歩道が、優れた都市設計を表していると思う。それでも、勾当台公園フルキャストスタジアム宮城などに行けなかったのは少々残念。

仙石線松島海岸駅に、正午過ぎに到着。松島の昼食は、絶対牡蠣を食すと心に決めてあった。牡蠣は今が旬だ。もはやどれほど高かろうとも逃すわけには行かぬ。松島を楽しむためにも、店探しに時間を懸けて居れない。駅前の食堂で、卵丼と牡蠣酢を注文。小鉢に8個ばかり入った生酢牡蠣の旨いこと。丼も大盛りで、吸い物付。たしか1300円だったので、全旅行上最も高額の食事でございました。この酢牡蠣の幸福を味わった後に、予想だにせぬ全行程上もっとも恐ろしい事件が起こった。芭蕉が訪れた松島五大堂(観光ツアーの案内人の説明が面白くて、しばし聞き入る)や瑞巌寺を見て周り、YH会員特典で割引が利くみちのく伊達政宗にわずか100円引の900円で入場した。ここは、仙台市博物館政宗知識のおさらいみたいな物だ。入場料の高さは、おそらくあの模型を作る費用だろう。ここまでは、よし。実は仙石線松島海岸駅で、松島観光用の絵地図を入手していたのだが、これは距離が不正確であった。さらに俺は松島海岸駅ではなく、東北本線松島駅へ向かうことにしていた。当然、元来た道を戻るより、知らない道を行くほうが不安で、進む速度も遅くなる。そこに、絵地図の距離の見誤りが重なって、ぎりぎりまで政宗館を出なかったため、電車の発車時刻との競争であった。慣れない革靴で、知らない道を猛スピードで走り、とにかく間に合うことだけを考えた。この列車を逃せば、全ての乗継が狂い、花巻の宿到着に猛烈な支障が出る。万一の場合は、次の乗り継ぎ駅までタクシーで追いかけることも考えたほどだ。松島駅構内に駆け込んだとき、すでに時計は予定発車時刻を1分過ぎていた。もぅ行っちゃったか、と肩を落としたそのとき、下り列車がホームに滑り込むのが見えた。慌てて跨線橋を渡り、列車に駆け込む。3分遅れが救い主となって、俺は列車に間に合った。ふぅぅぅ

小牛田、一ノ関、北上と乗り継いで、花巻駅、我が旅の北端の地に到着する。一ノ関を過ぎた辺りから、田んぼにまだしっかりと雪の残る風景が車窓より見られる。まさに雪原、であった。明日利用するレンタサイクルの貸出場所をチェックし、お土産店を冷かしながら岩手県交通のバスを待つ。料金がグングン値上がりし、そのたびに小銭を握り直す恐怖は、地方バスならではの体験。結局350円。バス停からYHまでは、ペアレントの息子さんが車で迎えに来てくださる。花巻ならの里YHに無事到着。とにかく雪原の一本道をアップダウンし一部は雪を掻き分けながら進むほどの山奥。最初は今年の雪はどうかなんて話しかけてみたけども、YHに近づくとハンドルを誤ってもらっては困るので、静かにしていた。玄関先には氷柱がまさに家の柱役を受け持っている。しかし、中は暖かな雰囲気に包まれて、アットホームなホステル空間を醸していた。夕飯後に温泉に連れて行ってくれるとのことで、400円を支払う。まさか花巻温泉郷じゃないかと、高額な入湯料金を想定していたが、そちらではないそうだ。夕食は全て自家製素材の、比較的油分多目の食事でありました。寒い地方で身体を温めるには、油分多目がいいのかもよ。ただお風呂の前に油脂多目の食事は、気分が悪くなるのでは?と心配でした。食後はお茶を飲みながら、宿泊予約のときに電話に出てくれたおばちゃんと色々話す。俺が政策学を専攻しているところから、将来は代議士かと。たしかに自分も考えていたことだし、励まされてなかなかいい気分であった。ここ数年で新しく出来たと思われる温泉施設で、松島疾走の疲れを落とす。俺のほかにこの日は、埼玉から来たという俺と同じ大学生くらいの女性が泊まっていた。YH到着時は、このYHに住んでいるのかと錯覚したが、温泉に一緒に出かけたときに、もぅ10日ほど宿泊しているんだと聞いた。YHから温泉の往復の車内で、お互いの生活や趣味について話した。この旅行での4回のYH宿泊を、交流という観点で評価すると、この花巻が一番よかったな、と思う。温泉から帰ると、親に電話を入れ、松島疾走事件を隠して、「今のところ順調」と伝える。

第二日目はこれにてオヤスミなさい、となる。いかにも家庭的な毛布や布団が心地よかった。

つづく