南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

マルクス・レーニン主義

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 本日、初のゼミナール形式講義が行われ、主題は「冷戦」であった。筆者にとっては比較的得意なる分野だが、最近は日本共産党発行の文献を読まないため、イデオロギー論には疎くなっていた。〔二極超大国の対立〕と〔イデオロギーの対極〕を主軸に構成されている、田中明彦/著『新しい中世』日本経済新聞社の第一章P.28-L.2に、こんな一節がある。《社会主義システムに移行すれば、国家は消滅する》。これはマルクスの考えであるが。この節をゼミ中にひとり考察し、プリントの端にメモしていた。それによると、マルクス、レーニン、そして「自由主義的民主」は以下のように対比されると思われる。すなわち、国家というのは、国民や領土を強制的に統括することで形成される。これは、〔公〕と呼ぶことができる。統率された社会では、人間各々が他人によって監視され、それによって社会における存在が確立する。一方で、経済活動や日常生活は、いわゆる〔私〕である。国家が消滅するということは、公と私がマーブルになって、見境が付かなくなることだ。したがって支配する側(統制する者)が消滅するわけだから、集団(国家ではない)に所属する全てが平等といえる。これがマルクスの考えである。次に、政治構造を専門としたレーニンは、公を突出させ、私を廃絶した。よって、マルクス・レーニン主義と総称されるものの、公私両方を綯い交ぜにする仕組みと、私のみを抹消する仕組みという全く異なった構造を唱えたため、レーニン政権時に国家は消滅しなかった。最後に、日本やアメリカのような自由主義民主制の国家だが、これは公と私を明確に分けて存在させることによって、政治活動と経済活動・私生活を自由と責任の下に解放している。勿論、公私の分割度には各国で差があるものの、国の集(衆)団化はあり得ない。
 因みに余談であるが、朝鮮戦争ベトナム戦争で、米国が自国軍を出兵させたのに対して、ソ連は武器支援のみに留まった事実について、ゼミでは「暗黙の了解」説(全面戦争回避)が醸されていた。が、上記のイデオロギー対極に則るならば、米国は公(国家)としての役割を前面に出した結果が出兵であり、原理共産主義マルクス系)による大国の権威を廃し、公私の無い平等戦士の半自給戦を展開した北越・朝鮮との対比が窺えないか。
結:公私活用イデオロギー対極説。【2005/04/21/PM】