南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

あの夏が帰ってきた

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 昨日、毎日新聞を検索していた際、あの「佐世保の事件」から6月1日でちょうど一年を迎えたことを知った。痛ましいと同時に、インターネットや掲示板の児童に与える影響が鋭く問われた事件でもあった。
【佐世保事件1年
 佐世保市の大久保小で起きた小6同級生殺害事件から丸1年を迎えた1日、市内には亡くなった御手洗(みたらい)怜美(さとみ)さんを追悼する歌声が響いた。各小・中学校では全校集会が開かれ、児童や生徒は集会や授業で命の尊さについて考えた。大人たちは悲しい事件を二度と繰り返さないよう、子どもたちを見守っていくことを改めて誓った。(朝日新聞)】
当ページでも何度か記事を書き、かなり真剣に取り組んだ内容でもあった。が、それと同時に、新しい出会いが生まれた時期でもあった。とても懐かしい。感慨にふけっている場合ではない。わずか一年前は、真剣に自らより若き者たちの、心の見えない環境における本当の心を探ろうとしていた。去年の夏は、それだけで暮れていったと言っても過言ではない。
 常に相手が見えない環境で、対話をする状況において、互いが寂しさを以って接し、そのために互いが傷つきあう。元々インターネットにはそんな不幸は設定されていない。筆者のように、新参者としてインターネットを利用し始めた者が、外部から現実的な悩みや苦しみや不快や攻撃性を自然に持ち込んでいっているだけなのであって、注目すべきなのは情報規制ではなく社会を動かす現実の空気とそれに適応せざるを得ない若き刺激の多い世代なのだ。
 映画『電車男』が近日公開されようとしている。様々な現実的メッセージ性を含み、筆者の昨年の夏を象徴するかのように、適時打を放とうとしている。筆者はといえば、PCの不調も回復し、新しい出会いの中に埋没し、新大陸開拓と夏の勢いをほぼ失った無力感に苛まれている。もう一度、人の心に対して真剣に取り組んでみたい。尤も、自身の心理は極めて複雑で、そのために現在は昨年の反動で、引きこもり状態を起こしているので、その回復を待つよりほかはない。自己を回復させるのは自身でしかなく、他人の力を借りて回復しようものなら、他人の傷つけるのみであることは上記に述べたとおりであるから。
結:やはり現時点では、孤独体制が適当かと。【2005/06/02/PM】