南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

六四

天安門事件から今年で三十年になる。日本のメディアでは、事件の真相と中国民主化を祈念する記事が多く見受けられる。世界中で忌まわしい記憶として刻まれた六四は、中国国内の後世にはほとんど伝えられていない。

かつては私も本件に関しては比較的明確な西側思想支持者であったが、中国留学以降はある程度中共に忖度するような意見も持つようになっている。そのほうが奇想さも際立つしね。今回もちょうど一筆書き上げようとしていた矢先、まるで私のアイデアを見透かすようなニュースが流れてきた。

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民主化運動を武力鎮圧したのは、学生主体の運動が制御できなくなるのを恐れたからだ。それは、はじめ毛沢東の親衛隊でありながら、運動がエスカレートして派閥に分かれ過激な批判闘争を繰り広げ、あげくは毛沢東共産党さえもコントロールできないほど混乱した、文化大革命における紅衛兵の先例に学んでいるからだ。学生が結束して行動したら、最終的にどうなるか。全国的な展開に至る前に、中央で見せしめ的に一網打尽にしておかねばならない。文革以来の社会秩序の崩壊に比べたら、天安門広場での犠牲者は些細なものだ。民主化運動を武力鎮圧することが正しいかどうか、ではなくて、党や政府としては学生運動の暴走という文革の惨禍を踏まえ筋の通った処置であろう。

そして、党や政府は文革と六四で、学生を幼少期から制御することの重要性を強く認識した。右傾にも左傾にも妄動させず、ひたすら勉学にのみ闘争させるよう熾烈な競争社会を作った。暗記詰込み重視の教育は、余計な思考を省き学業以外に活動する余地を与えない最適な手法だ。それは専門分野を自由に学べるべき大学においても踏襲され、私が留学先で実際にあった大学生の多くは、必須の政治科目や外国語のテキストなどを唱えるように暗記していた。改革開放により導入された資本主義経済と職業選択の自由な世界で身を立て豊かになることを目指させ、学生を勉強に縛り付けることで団結運動を封じ込めてきた。これは報道統制や民主活動家の監視・拘束とならぶ、非常に効果的な運動抑圧政策である。

近年はアラブ諸国で民主政権が誕生したり香港でも中共支配に対するデモが発生しているが、中国大陸では目立った運動は見受けられない。しかし現代の学生も決してバカになったわけではない。私と交流した大学生も政治の話を厭わず、外国人の意見を積極的に聴こうとする。天安門事件について語らったことはないが、欧米諸国が非難するような他の諸問題についても耳を傾ける。これまで受けてきた愛国教育から党政府を擁護するように論破してくるけれど、傾聴姿勢そのものが彼らなりの抵抗運動と捉えられなくもない。経済が開放され外資企業への就職も当たり前になれば、厳重管理された学生時代は知りえなかった見識にも触れる機会が増える。民主化に対する正しい知識は教えられなくても、急速に普及したインターネットを含め接する機会はふんだんにある。たとえ当局の目に留まるような大規模運動を起こさずとも、良識ある中国人一人一人の心の中に潜在的民主化への理解が宿されてゆけば、何かの拍子で一気に結実するときが訪れるかもしれない。一時的な高潮と鎮圧に終わらないために、今は小さく積み重ねてゆくほかない。