刈谷球場での高校野球観戦のついでに、球場のある亀城公園とその周辺をミニ観光。
09:00の試合開始に間に合うため、行きはJRを枇杷島から逢妻まで乗る。市バスの名駅12系統だと時間がかかるうえ、大ターミナル駅での乗り換えが煩わしい。また、名鉄を上小田井から三河線の刈谷市駅まで乗ると高い。自転車を約30分とばして普通電車乗換なしが一番楽と考えた。枇杷島駅近くで駅発見が遅れ、07:56発に乗り損ない08:07発に甘んじる。逢妻駅から刈谷球場までは徒歩約15分。試合開始ギリギリかと思いきや、グランド不良のため開場と開始が遅れていた。9時半よりチケット発売、10時半試合開始と予告されている。この合間に朝飯と散策をしようと。
スーパーかコンビニを求めて、城町交差点から刈谷市駅方向へ見当つけて歩く。この道すがら郷土資料館を発見。逢妻から球場までの間にも博物館があったが、ちょっとした寄り道観光には資料館ぐらいが適当だ。この辺りは屋敷の名残のような格式ある造りの住宅が多く、とても閑静だ。それだけに食料品店と思しき「八百市」は閉まっておりコンビニも見当たらず、余所者には難儀なところ。
逢妻川
ファミマで軽食を買って、逢妻川のほとりを食べながら歩く。並行する境川は名の通り、尾張と三河の境だ。しかし逢妻川だけでも随分川幅がある。川辺からほとんど高さのないところに刈谷城(亀城)が建つのは不思議だ。堤防下には市原稲荷神社があり参ろうとも思ったが、食べながらでは無礼なので回避している。
亀城公園
チケット販売が始まったばかりの球場前は長蛇の列なので、散策を済ませてから入場しよう。
刈谷城(刈屋城とも)は1533年、水野忠政により築城。もともと天守はなく櫓などがあったとされるが、現在城内に櫓や門などの建造物はなく、堀と土塁を中心とした起伏のある庭園になっている。「亀城」というのは西尾の「鶴城」との対だろうな。
本丸跡
豊田佐吉胸像
郷土資料館
刈谷藩校文礼館の流れを汲む、亀城尋常高等小学校の旧本館。昭和3年に建てられ、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造りの学校建築として国の有形登録文化財に指定されている。
モダンな外観に対し、内装は白壁と黒光りする木調の美しい和洋折衷な造り。見学無料の展示室には、亀城小学校の成り立ち、生活道具・家電製品の変遷、豊田佐吉が自動化に携わった機織り機、昭和の暮らしなどが貴重な資料やコレクションで再現されている。現在建物などで見えにくくなった、刈谷城の地形や堀と小学校との位置関係は確かめたかった点だ。20分ほどで覗いていくにはちょうど良かった。
刈谷球場
試合15分前の空いたころを見計らって入場。改修前、サッカー場を兼ねて外野が四角く広がっていた名残は身受けられなかった。
かりまる
帰りは、刈谷市コミュニティバス等で名鉄名古屋本線駅に繋げないか検討したところ、刈谷市公共施設連絡バス(愛称「かりまる」)一ツ木線が名鉄刈谷市駅と一ツ木駅*1を結んでいるのを発見。しかも無料なところは、さすがトヨタ企業が集中し財政豊かな証し。名鉄で刈谷市から西枇杷島までは600円だが、一ツ木からだと500円。大抵どこの自治体のコミュニティバスでも運賃100円はするところを、無料で移動できてしまう。車両も真新しい感じ。しかしタダなりに難点もあり、停留所こそ細かくないが運行ルートは複雑に曲がり時間がかかる。乗車した刈谷市駅から市役所や刈谷駅はさほど離れていないが、バスだと20分くらいかかる。それでも名の通り市内各施設を丁寧に辿ってくれるので、高齢者や子供連れには重宝しているようだ。結局、一ツ木駅南口まで小一時間ほど要した。
一ツ木駅は上下線別改札(跨線橋なし)でホームが大きくカーブしており、瀬戸線瓢箪山駅に似ている。名古屋方面では乗車口とのステップ差が激しく、豊橋方面では通過電車が待ち客側に傾いできて危ないだろう。豊明で、直後に来る急行ではなく、当駅始発の準急佐屋行きに乗り継ぎ。神宮前までの通過駅区間を楽しむ。本星崎駅が案外平地なのに改めて気づいた。
西枇杷島駅
島式ホームが非常に狭く、特急などの通過電車も多いので「常時ホームに利用客がいない駅」として最近話題になっている。普通電車が入線するまで駅舎に待機し、駅員の踏切操作で乗降させる仕組みだ。なるほど、と狭さを実感している間に、いつしかホームは全く人気がなくなった(笑)
しーん
ジリジリ日焼けを気にしながらJR枇杷島駅まで歩き、缶ビール飲んで帰宅。
終
*1:ひとつぎ。「ひとつき」と言ったところ、バス運転士にさりげなく直された