月一目標の日帰り鉄道旅5月編、というよりは梅雨入りを控え好天の休日に乏しそうな6月分を前倒し。今月はGWに関西の私鉄を攻めているので十分。丸一日の予定だったのが急きょ用事ができて、夕方にずれ込んだ。
身もフタもなくいえば、名鉄尾西線の弥富~日比野間を埋めて完乗することが目的。それでは乗りつぶしが露骨すぎるので、弥富駅でのJRと名鉄の乗継がてら、JR関西本線と近鉄名古屋線の沿線に遺る近鉄線旧線跡を見に行く。これは近鉄が軌間拡幅(改軌)する1959年まで使用していた、木曽三川架橋付近の旧ルートのこと。今回は弥富駅から木曽川橋梁までの区間に点在する遺構、とくに国鉄関西本線を跨いでいた高架橋が一番の目当て。
近鉄名古屋線旧線(弥富−桑名) 〜 木曽・長良・揖斐の三川を飛び越える銀河鉄道 〜
弥富駅から関西線伝いに歩いていくと、左から近鉄線が迫ってくる。すっかり両線に挟まれたところが、まさに近鉄旧線の遺る場所。
車1台やっと通れるガードの、現行線にピタリとつく単線分の橋台。このガードは南進一通なのだが、見学中他県ナンバーの横着者が逆走し、JR側で押し返されていた。この橋台からさらにグーッと高度を上げていくと、
こいつを一番見たかったんだ。ちょうどいいタイミングで関西線上り電車が映り込んでくれた。近鉄車窓からも見えるというが、一度も気に留めたことはない。近鉄とJRの現行線の間に断片だけ残された、一見奇怪な構造物。道路を跨ぐ部分だけ白く塗られているのは、見た目というよりは朽ちた物質の剥離と落下を防ぐためじゃないかと思う。
ほかに遺構はないかなぁ、と木曽川堤防まで散策。帰宅するまで重大な誤認をしていて、さっきの高架橋が関西線を跨ぐものだと知らずにいたため、現行の近鉄とJRの間で遺構を探していた。県道の高架脇にも橋台痕らしき土盛りがあった。そして、木曽川堤防目前の筏川中洲にひっそりと鎮座する橋脚を発見。しかし、これは?
近鉄線旧線ならJR現行線より北側に位置しないといけない。ルートの位置関係については、前掲のサイトの航空写真(1975年)を参照のこと。まぁ勘違いではあったけど、関西線も付け替えが行われたことを認識できたし、橋脚ごしの夕陽もよかった。
共同使用駅の弥富ではJR改札機で入場したのち、名鉄線ホームで改めてIC乗換改札機に通す。須ケ口までの尾西線・津島線直通普通電車で夕闇を激走する。高架駅ホームが放置されたままの弥富口駅跡、小学校のクラス名みたいな五ノ三、眼にご利益があるという星大明社へ最寄りの佐屋駅。津島線ってもっとローカル情緒あったのに、急行でもないのに相当飛ばすので驚く。17:21にJR枇杷島駅を発してから、ちょうど2時間の19:21名鉄二ツ杁駅へ帰着。超ショートトリップでございました。
今日埋めた区間はわずかに6㎞ほどだが、
JR各社や大手私鉄など、多数の路線をもつ鉄道会社では初めてのシルバーバッジ獲得。今日の功績はデカい。
終