南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

ロシア、ウクライナ侵攻に思うこと

开封生活最初のルームメイト*1は、ウクライナ人でした。
私より1つ年上で、会ったときから兄貴のようだと思った。たしかオデッサ出身と聞いたな。中国人老師の中にはたまに白俄罗斯人という方もいたが、白俄罗斯は白ロシアつまり現在の隣国ベラルーシにあたるので間違い。ウクライナは中国語で乌克兰。普段はひょうきんで明るいが、自分の決めた信念は固く譲らない側面もあった。中国語はほぼゼロからのスタートで初級班にいたが、イケメンのプレイボーイなキャラから中国人の彼女(ロシア語科の学生かな?)をつくるや会話力をめきめきと上達させていった。河南大学外国語学部にはロシア語科があり、ロシア語ネイティブ教員ふくめロシア人および旧ソ連圏各国の人が多く住んでおり、普段から親しく交流していた。彼がルームメイトだったこともあり、私も英語圏よりはロシア系のほうが親しかった。純ロシア人の中には旧ソ連圏の周辺国人を蔑視する風潮もあり、たまに彼もその軋轢に悩んでいた風があった。彼が携帯電話で友人と話すロシア語を聞きながら、いくつか覚えた言葉もある。卒業後につながったFacebookで、北京で仕事をしていると知る。先日そのFacebookを見ると、読めないロシア文字で改名されており、憎みようのない明るい笑顔が戦士のような知らない肖像画にすり替わっていた。もしかすると彼も祖国のために戦士になってしまったのかもしれない。
人生はじめて一定期間おなじ空間で生活した外国人。特段目立った喧嘩や争いごともなく、疎ましく思ったこともない。きれい好きな日本人からすると欧米人の体臭は気になったりするものらしいが、一切苦には感じなかった。彼なりに慣れないアジア・中国へ溶け込もうとする努力がひしひしと感じられて、いろいろと感心したものだ。河南で培った中国生活を糧にビジネスで活躍できることを願ったが、ロシアとの戦争に人生を左右されていくようなら全く残念でならない。
日本からするとロシアのウクライナ侵攻は対岸の火事のようにも捉えられる。しかし、一人のウクライナ人と身近に過ごした経験を持つと、他人事どころか彼の安否を、そして翻弄される人生をも懸念せずにはいられない。一昨日こそ素振りには見せなかったが、看過できない出来事に動揺しているのが正直なところだ。

*1:河南大学の留学生寮は最下級の来賓用ホテルを1日30元、1か月900元で賃貸契約する。一人住まいは60元/日(月1800元)、最初に相部屋契約すると相方が途中で退居してもずっと30元/日で住み続けられる。寮にキッチンはなく家財も持ち込めないが、当時の市内の賃貸相場では月400~500元程度で部屋を借りられたので、事情が分かると退居・引越していく外国人が多かった。彼もその一人で、半年ほどで私一人になった。