泣きそう… とうとう、こんな日が来るんだぁ…、絶句。もう帰るところねえわ…
以前阳光湖沿岸の延寿寺东街について近々撤去される見込みだと書いた際、明伦街裏通りの安宿群も巻き込まれることを危惧した。
それがまさか、明伦街一帯まるごとなんて…
現地で目の当たりにもしたくないけど、日本に居ても知りたくない現実だわ。放心状態で文章にならず冷静に解説できないので、お察しいただけたら幸い。ホント諸行無常とはいえ残酷。
なんとか気を取り直して、拆除直前の風景を。
一ッ番懐かしくて悔しいところを撮影してくれよったな。0:22あたりからの、取り壊しの通告が貼られた脇道のシーン。明伦三街といったのか、脳裏に焼きつけとこう。あぁ、学友旅社。0:41で映る階段を登ると、毎日のように通ったネットカフェ翔宇网吧だよ。四川大地震もネット中に遭遇した。その階下、通りに面して兰州拉面、天府快餐、沙县小吃が日々の飯どころ。もうシャッター下りてしまってるけど、この角の店は开封特产の花生糕とか売ってた。その店先には白吉馍屋と、耳と口の不自由な自転車修理屋さんがいた。そして、真向かいは河大文具店(お世話になった阿姨は後年転居してしまい、経営者も店名も変わった)。ただ、その阿姨の兄弟さん2人が同じ明伦街で便利店と烟酒店を営んでおり、この度いずこへ転居されたのか気にかかる。もちろん顔馴染みの屋台、信阳鸡蛋灌饼店もあの場所(南門口)では営業できないだろうから、次回は市中を探し回らねば。願わくば、西門にいて欲しい。
話を明伦三街(動画)に戻す。この裏通りには、文具店の阿姨に仲介してもらった旅社(吉祥旅社)がある。ちょうど0:54の路地を右に入ってすぐ。っていうか、この0:53ですれ違う女性、旅社の阿姨じゃないかな。見覚えある。そいえば、いつか泊まったとき夕飯をご馳走してくれながら、いずれここを立ち退かなければならない話がある、と言ってたな。終にそのときが来てしまったね。0:58の右手は公衆便所。普通の日本人には到底耐えられない汚さだけど、切迫したときは裏路地ん中の一つでも知ってると頼れる。
这一些都是难忘的回忆。
悲しさ増幅して眠れないから、回想はここまで。上に列挙した店や人それぞれについての詳しいエピソードは、开封帰郷旅行一覧の各回帰郷詳報の記事などを参照いただきたい。そのうちメモリアルギャラリーでも作ろうかな。