南蛇井総本気

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

大阪ぐるめぐりの旅2:大仙古墳群、阪堺電軌、新世界・通天閣、生國魂神社

新世界

長居で長居しません?

 若干寝坊した。サッカークラブの少年たちも同じように起きて朝食をとりに来たが、管理人さんは我々が遅起きだと間接的に言った。420円の朝食とはどんなものか、と思っていたが、トーストとミルク食べ放題、コンソメスープと玉子焼き、軽いサラダのオカズ。コーヒーか紅茶を食後にどうぞ、となかなか420円にしてはしっかりしたメニューだった。朝のパン食は体が慣れていない私だが、1枚半で済ませておく。モダンすぎて人との触れ合いがないYHだったので、この安くても質の高い朝食だけが、妙に印象に残る。公営となると、安いのが売りで、何かとサービスを省きがちだけど、大阪はさすがに都会なので、素泊まりっぽくても仕方ないとも思う。少年らが去ってからコーヒーを楽しみ、さほど準備も無いので10数分後にはチェックアウトした。

大仙(仁徳天皇陵)古墳群

 阪和線は、出勤モード?も終盤の時間帯だった。大阪から遠ざかるので、余計にラッシュを感じない。三国ヶ丘までは、そんなに長くない。席も暖まらぬうちに下車。
 ここからは、大阪に来たら一度は寄りたいと思っていた、大仙古墳を中心に周辺の古墳を2,3巡り歩いてみる企画。日本一の規模を誇る大仙古墳(仁徳天皇陵)だけでも、一周するのに時間を要すると思われたが、三国ヶ丘に戻らず、二つ先の上野芝から乗ることにすれば他の古墳巡りの調整もつくだろうと考えた。この散策については、このHPからコース地図を印刷していったので、ほとんど迷っていない。
 まず、大仙古墳を、北側から逆時計周りに歩く。100mか毎に標識があって、散策道が整備されている。西側に回り込むと、喧騒な国道から離れ、左に古墳の堀、右に静かな住宅地、の風景が続く。時折、日課の散歩やマラソンを楽しむ中高年の方々とすれ違う。冬真っ只中の時期だけど、歩いているうちに結構暖かくなる。名古屋周辺で見る古墳とは桁違いに広大で、また皇室の陵墓だけに、堀の向こうには手付かずとも言える自然が残っている。さぞ、大阪近郊とは思えぬような動物たちが暮らしているのだろう、と思ってみたりする。野鳥は、こちらからでも時々見られた。まず間違いなく狩られる事はないし、天敵もこの堀を容易く越えてくることはないだろう。たった一人の人間のために造られた極楽は、いま都会の只中にある野鳥たちの楽園だ。
 南側に回ると、古墳の正面になる。実は、古墳一周散策道の基点はここだ。年末で、観光客は一人もいない。近くの博物館も年末休館に入っている。警備小屋には、一応人がいた。散歩のおじさん以外に参拝者もいないところで、多少気恥ずかしかった。広い玉砂利の先に、大きな鳥居が見える。一見陵墓とつながっているかのような錯覚に陥る。神社と同様に参ってから、こういう場でカメラを向けるのは御神体を汚すかもしれないと躊躇ったものの、古墳を写真に収めるのは容易でないのでこの正面を頂くことにした。
 古墳正面の向かいに、大仙公園という歴史と触れ合う公園がある。この中にある施設は、先ほども述べたように年末休館期間に入っている。ところで、大仙古墳は、どこから見ても際立って大きなものだが、この周囲には無数とも言えるほどの小さな古墳が存在している。いわゆる典型的な前方後円墳ではなく、円墳ばかりなのだが、見落としてしまわないよう、ほぼ全ての墳墓に説明書きがある。公園の中にも、5,6ほどの円墳が散在している。こういったものは、大きな古墳と違って水をたたえた堀がないので、言わば丘のようになっていて誰でも登れてしまう。この地域の子供たちは、意外と何も知らずに登っているのではないかな? 大仙古墳南東部にある小さな古墳は、その脇に私道ができてしまったので、路面のブロックを古墳の円形の部分だけ色を変えて、いつまでもその形を残す試みをしている。面白かった。
 百舌鳥駅の踏切を渡って、中規模の古墳めぐりを目指す。御廟山古墳は、大仙古墳と比べると、約3分の1程度で一周できる大きさだ。住宅街の中にあって、大仙より小さいだけに、より奇妙な佇まいを感じる。古墳を堀が取り巻く、というより、池の中にこんもりとした山がある、という方が適当だ。こちらも水鳥たちの楽園であった。
 この後コース地図は、狭い袋小路のような住宅地に入る。大雑把に書いてある割に、実際は変な道なので、何気に迷った。が、何とか次のさらに小さな古墳(いたすけ古墳)にたどり着いた。前方後円の、円をくるりと回ったところに、墳墓とこちら側を繋いでいたらしいコンクリート製の壊れた橋があった。その墳側のたもとに、タヌキが10匹ほど集結していた。自ら(または彼らの先祖が)泳いで渡ったものか、古墳を守る主として人間が送り込んだものか、定かではない。橋が壊れているので、彼らが泳げなければ、こちらに来ることはできない。近くで保育園児たちが騒ぐと、タヌキたちは壊れた橋の先端まで来て、何か食い物をねだっている様だった。しかし園児たちは、一頻り騒ぐと帰ってしまい、私がタヌキとにらめっこする番になった。試しにデジカメを向けてやったが、望遠を最大にしてもタヌキは点にしかならない。限界を知った感じだった。結局タヌキは餌をもらえないと知って、茂みの奥に立ち去った。
 再び踏み切りを渡って、大仙公園の南側を歩く。ここにも円墳が数個並んでおり、乾いた堀の中に置かれた飛び石を渡ったりして、遊んでみた。
 最後に、大仙古墳の3分の2ほどの規模の古墳(ミサンザイ古墳、履中天皇陵)を、また逆時計回りに歩いてみる。そんなに距離があったわけではないが、何となくここへ来て軽い空腹を感じ始めた。これまでの古墳群の中で、最も真っ直ぐな周囲散策道を進む。大仙と同じように古墳の正面に出る頃には、もう自然に心が国道沿いのコンビニを求めていた。それでも、コンビニは見つからず、正面できちんと参拝して、予定通り2時間半で上野芝にたどり着いた。このプランは上出来。

羽衣線阪堺電軌

 どんな旅行企画でも、鉄道遊びは欠かせない。JRに乗っていて常に憧れるのは、行き止まりの支線終着駅。昨日は、なんば駅を体験したけれど、そこには車止めはなかった。今日は、阪堺電軌に乗るためでの過程でもあるけれど、阪和線の一区間支線を試してみようと思う。この線は、鳳からたった一駅、東羽衣で終点だ。東羽衣から徒歩10分で、阪堺電軌の南端、浜寺駅前駅に乗り換えることができる。阪堺をたっぷり楽しむための手段でもあり、またJRの行き止り駅を一つ体験できるのだから一石二鳥である。もちろん本数があるわけではないので、鳳での接続を組むのは、結構難しい。それでも2両編成の電車には、最低限の客が乗っていた。形が名鉄築港線を思わせるが、毎時4本あり、それなりに乗車率も高そうなので、妙な線でも廃止にはなるまい。一駅なので座ることもなく、先頭で眺めていると、かなりの高所を行く。意外と見晴らしがいい。その高い位置のまま終点。やはり、ぷっつりと線路が途切れ、車止めが設置してあった。これが見たかったのさ。しかし、面白い線があるものだなぁ。
 浜寺駅前駅というのは、妙な命名である。電軌、つまり軌道線だから停留所と考えればありうるわけだが、では浜寺駅はどこかというと、南海電鉄浜寺公園駅である。南海と駅名が連動しているのは、現在は南海電鉄の子会社であるからだ。喫煙所なのか、駅舎なのか、それとも待合室なのか、判別の難しい木造の古びた建物がある。その脇に、道路と挟まれるようにして電車が停まっていた。ここも、突然ぷつりとレールが途切れ、趣がある。駅舎と電車を撮れる優れたポイントだったが、時間があるなら行っておきたい所が別にあった。それは、先に述べた浜寺公園駅。この駅舎、木造の割にモダンな造りで古く、歴史的に大変価値のある建物なのだ。阪堺発車前に、眺めに行く。左右にバランスの取れた、美しい形で、赤い屋根がまたそそられる。後で、車や赤いコーンが写りこんだことを詰られたが、私としては現代と共存しつつ残っている証として、殺風景な駅舎のみよりいい絵になったと思う。
 これまで何度か路面電車に乗ってきたが、あまり座席に座った経験がない。なぜか混雑時が多いのだ。今回は、お年寄りと主婦数人で始発駅を出たので、狭い車内もすっきりしている。せっかくなのですれ違う電車の写真を撮ったり、軌道線風景を楽しもうと、運転席脇の席を取った。阪堺電軌には、いろんな型の車両がある。今回乗ったのは、かなり現代の型だが、昔名古屋にも走っていたような丸っこいタイプのもある。絵にするなら、こういうタイプが良かった。
 初めは浜寺公園に沿って専用軌道を行く。バラストがないせいか、特有の振動が心地よい。しばらくして、普段の電車と同じように、住宅街の中を敷かれた線路に入る。そして、堺市内。片側2,3車線の幅広い道路に、しっかりと複線分の軌道線スペースがとられている。十分優遇されているな、と感じた。その中ほどにある宿院駅。交差点をはさんで両側に、上りと下りの停留所がある。上り線で我々の電車が停まったとき、対抗線に紫の電車が見えた。しかし交差点が大きいので、タヌキのときと同様、望遠に限界があった。そこで賭けをした。交差点が青になると、上下両者が同時に発車する。そのすれ違う接近した瞬間を狙ったのだ。どちらも動いているからタイミングが難しい。やはり失敗した。焦ったのでまだ遠かったのだ。電車撮影初めてにして、動態撮影を狙ったのは愚かであった。(結局家でトリミング加工して保存している)
 堺市街を出て川を渡るとき、また対向車が来た。クリーム色と水色のツートンで、旧車型だ。このとき、私がさっき電車を撮ったのに気づいていた運転士さんが、若干速度を落としてくれた。が、愚かな私はさっきの失敗を引きずっていたので見送ってしまった。親切水の泡。すいませんでした。というか、惜しかったな。
 住吉大社の鳥居を横目に過ぎて、上町線との分岐に出る。阪堺は運賃後払いで、堺市内または大阪市内の乗車なら200円、またがる場合は290円。その境目が大体この分岐駅になる。ありえないけど、ここで降りてしまえば、200円で済む。一種の後戻りできない決断みたいなものを感じた(笑)。
 住吉を出てしばらくすると、阪堺最後の路面区間に出る。堺市内と違って、道は狭く、また大阪市内とは思えないほど昭和期のような風景が続いている。自動車の型や人間の服装などを変えれば、そのまま当時にタイムスリップできるだろう。これは是非、絵に残したいと思った。そのとき、線路の先が右の住宅地に消えていくのが見えた。まずい、路面区間が終わる!東玉出駅で停車したとき、赤と白のツートン旧車が現れた。躊躇っている場合ではない。間隔を調整する間もなくシャッターを切った。さっきよりは多少近く撮れた。(プロフィール画像
 後はゆっくり電車を愉しむ。阪堺線の終点は、通天閣に最も近い恵美須町駅だが、通天閣の前に行くところがある私は、南霞町で下車。お世話になった電車を見送る。

づぼらや

 お昼。阪堺に乗る前に、ローソンで空腹を多少抑えたが、やはりパン食には弱い。ご飯をバリバリ食べたかった。新世界といえば、ふぐ料理の「づぼらや」が有名だ。ちなみに、大阪でふぐというと、すぐに『道頓堀川』の金兵衛を思い出す。ふぐの白子焼を食ってみたかったが、さすがにそれは高価そうだ。貧乏学生には手が届かないし、酒のつまみかも知れないから今は口に合わない。
 大抵の人は、「づぼらや」に入ると、ふぐ鍋を注文する。これはもう準備がしてあるらしく、注文と同時にセットが運ばれてくる。私のような単品は、逆にやや遅い。隣のテーブルの夫婦が心配して声を掛けてくれたほどだ。別にただ食いするわけでもないし、デザートだけ頼んでいるわけでもないのだから、私としてはそんなにビクビクするものでもない。ということで、多少待ったのが、ふぐ天丼。白子焼でも鍋でもないけれど、手ごろな値段で、ふぐを食ったという自慢になる逸品だ。魚のようだけど、どこかフワフワとした食感が印象に残っている。鰻ほども重みがない。この食感は新鮮だった。「づぼらや」って、もっと初めての人が来るのかと思ったが、馴染みの客が意外に多かった。まぁ新世界内でも「づぼらや」が3軒あり、その中でも割と古びた感じの店だったから、外観によっても入る人のタイプが違うのだろう。ともかく旨かったし、魚の吸い物も付いてご馳走だった。満足。

通天閣

 一度南に100mほど戻って、通天閣と「づぼらや」のふぐの看板をデジカメ収めた(上の画像)。なんば等に比べると、やや寂れた感じのする新世界。嘗ては(今もだろ)大阪の名物だった通天閣とその界隈。にしては、あんまり賑やかさを感じないのは気のせいかな?年末だから?
 もちろん次は通天閣に昇る。昨日は大阪城に昇って通天閣を望んだが、今度は通天閣から大阪城を眺めることになる。通天閣の足元は、車も人も通る交差点風広場になっている。昔に造られた塔としては、なかなか面白い。2階?で入場料を払って、展望階へ上がる。さすが、いい眺めだ。天王寺動物園四天王寺が間近に見える。通天閣の名物、ビリケン人形の周りにはいつも写真をとる人がいる。私も記念に撮ろうと思ったが、ビリケンさんだけじゃ面白くないので、外の風景なんかも入れようとして苦戦して結局諦めた。欲張るのは駄目だ。そのかわり、東にそびえる生駒山地を撮ってみた。ガラスを通しているので写りが悪いかと思いきや、さすがデジカメだった。ちなみにビリケンさんと言われると、私は日本史で習った「寺内ビリケン内閣」を思い出す。当時流行っていたビリケンさんと、非立憲の言葉を掛けたものだとか言っていた。階下では通天閣ビリケンさんにまつわるお土産やお菓子が売られていたが、入場券を買った際に、小さな通天閣の模型を組み立てられるパンフレットをもらっていたので、土産はこれでよかった。

日本橋―宗右衛門町筋を探して

 通天閣の足元からバスに乗って、大阪の秋葉原日本橋電気街を縦断したところで下車。
 家を出る前に調べたときは、宗右衛門町筋は、この真北くらいにあった。バスを降りて、道頓堀川を目指す。昼間にみると、寂しげな汚いドブ川だった。小説にも、やはりこんな件がある。

大阪市の中心を南北に流れる東横堀川は、西へほぼ直角に曲がりきって、そこで道頓堀川となり、歓楽街をつらぬきながら尻無川と名を変えて大阪湾に落ちていく。あぶくこそ湧くことはないが、殆ど流れのない、粘りつくような光沢を放つ腐った運河なのであった。

いま、ちょうどこの文面の位置に立っている。直角に曲がるとはどんなもんかと思ったが、なるほど奇妙にもぼっきりと川が折れている。この辺になると、歓楽街というよりは工場や住宅の裏のほうが正しい。都市高速も川に沿って折れているので、余計に周辺が暗く感じる。やはり川はネオンに頼って光っているのだと思った。
この川の北を、宗右衛門町筋ははしっている。小説の舞台である喫茶店リバーは戎橋なので、ここよりは昨夜歩いた辺りのほうが近かった。

生国魂神社

 近鉄に乗るほども距離がないので、鶴橋まで歩く。その途中に、「いくたまさん」がある。かなり新年の準備が進んでいた。こういうパターンは、岡山の吉備津神社以来だ。境内の清掃とかが行われているなかを参拝するのは、結構勇気がいる。年末に大きなお宮に行くと、このような状態は避けられないのだが、名に惹かれた。
 通りから、激しく急な坂を上りきると、神社の裏手だった。小さな祠を丁寧に廻って、初めて広い境内と本殿に気づいた。神主さんと巫女さんが準備をしている中で、精一杯堂々と参拝した。しかしな、午前の陵墓といい、今の「いくたまさん」といい、どうも裏から正面へ廻って、正面から去るパターンは引っかかりが残る気がせぬでもない。

再び鶴橋

 丸一日ぶりに鶴橋へ戻ってきました、南蛇井です。またまた市場に入ります。でも今度は目当てのお土産候補を買うためであって、あまりゆっくりできません。と言いつつ、昨日も食べようか食べまいか思案した、トック汁を売る店の前で暫し迷っていた。旨くなかったら家でも不評を買うだけだし、でもこれ以外に持ち帰りやすそうなモノがない。何気なく近寄って、他の客に混じって切れ端を摘まんでみる。油ッ気が強いが、普通の餅だ。よし、買う。黄な粉や餡子をかけてあるのもある。大丈夫、こうやって食えばいい。普通は汁に入れて食べるんだそうだ。
 お婆さんは、気前よくパックにジャンジャン入れてくれた。さて、代金は500円である。このとき事件があった。家では、騙されたのだと徹底的に糾弾されたが、いい土産になっている。それは、私が1000円札を払った際、お釣りに500円玉でなく、100円玉5個が返ってきた。ところが、そのうち一つの100円玉がおかしい。日本の硬貨でないのだ。同じ銀色で重みもそんなに変わらないのだが、柄模様を見れば一目瞭然。「これ、何ですか?」とお婆さんに問いかけたが、完全にスルーされた。たぶん韓国の硬貨だろう。韓国人も多く利用するこの市場では、母国の通貨を使うことも可能になっているに違いない。それで、小銭ケースに双方の硬貨が混じっていたのだろう。悪いものを貰ったわけでもないので、それ以上問わないことにした。
 硬貨には50と書かれているので、単純に50ウォンと考えると、日本円にして5-6円となり、確かにぼったくりなんだけど、まぁいいじゃないか。
 最後に、昨日買えなかった店でたこ焼きを買って、鶴橋駅のホームで食べた。大阪の旅、まもなく終焉というところで、やっとのたこ焼きである。

北新地から帰路

 実はこの後、尼崎の鉄道事故現場を通って、冥福をお祈りしてくる企画があったのだけど、もはやそんな時間は無かった。それでも、北新地だけは行ってみたいと思い、急遽鶴橋駅で時刻表を調べ、大阪駅から北新地駅まで歩いて乗り換えるプランを組んだ。これもできなければ、勿論京橋から即片町線入りということになる。それはさすがに虚しい。
 大阪駅から北新地までの地下街は、結構長かった。途中のお土産店で、最後の一品、たこ焼き型饅頭「タコヤン」を買う。意外と存分にたこ焼きを食えなかったので、せめてもの慰めである。鶴橋でのは美味しかったけど、ノーマル。もっとソースと青海苔の効いた、大阪らしいのが食べたかった。(これはグルメの反省?)
 そして、最後の鉄道の楽しみは、片町線制覇。北新地から南北線を経由して入る、この片町線も前々から乗りたくて仕方なかった。例の尼崎事故で潰れた電車は、この線の同志社前駅を目指していた。私の乗る快速も、直通で木津まで走る。
 片町線には、関西圏らしい面白い読みの駅名が多い。鴫野(しぎの)、放出(はなてん)、住道(すみのどう)、四条畷(しじょうなわて)、祝園(ほうその)などである。一つ一つ駅名を辿るのは興味深いものだが、日が暮れかかっており駅の外を望むのは困難だったのが残念。
 木津および加茂で1分乗換を余儀なくされ慌しかったが、ひとたび関西線の気動車に乗ってしまうと、亀山までがやけに長く疲れる。集落も町もほとんどなく、真っ暗な車窓をもてあましながら、ひたすら名古屋を目指す。

おわりに

 たこ焼きは微妙だったけど、私なりに大阪で食いたいものを取捨択一して食い歩いたので、十分満足。それと、ミナミを中心に大阪を満喫し、小説の舞台を辿ることにもおおむね成功した。大阪の交通博物館阪堺電軌も楽しめたので、初めての大都会旅行としては出来が良いと思うよ。