南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

平原編1:山东聊城(Liaocheng)阳谷(Yanggu)景阳岗

留学先に河南大学を選んだのは开封を『水滸伝』に登場する宋の都として知っていたからであり、中国で初めての宿泊旅行も入学からわずか1ヶ月の国慶節に訪ねた水泊梁山(梁山泊のテーマパーク)だ。だから今回の旅を阳谷から始めるのは一種の原点回帰といえる。阳谷の景阳岗は、水滸108将の一人である行者武松が酒に酔って虎を倒したエピソードで知られる。水泊梁山の旅以来ずっと一度行ってみたいと思っていた。また、阳谷县と河南省の北東端である濮阳市台前(Taiqian)县は非常に近い。濮阳からスタートする河南ウォークもなかなかレアなり。

聊城から阳谷へ

北京(Beijing)莲花池(初の北京入境による开封帰郷旅行オープニング)よりつづく)
元来車中泊は得意ではないうえ、4時間半という時間は熟睡には微妙だ。約1時間毎で途切れる仮眠を繰り返し、4時近くなって起きていようと思ったのに尚も眠りこけ、ハッと気がつけば聊城到着時刻を3分回っていた。駅が近づけば騒がしくなるし乗務員も大声で駅名を叫んでくれるから、まず乗り過ごすことはない筈だが焦った。背後で通話中の男性が言った「まだ聊城を過ぎてない」の一句でかなりホッとした。結局それから30分余朝靄の中を走って無事聊城に着いた。ちなみに、今回の旅での北京-河南間の行き来は往復とも京九铁路で、北京入境による河南訪問の軸として期待された京广铁路は一度も用いていない。上海ルートで利用している阜阳や亳州も京九铁路に属し、今度も京九铁路乗り鉄を進行させる結果に。
聊城火车站は改築したばかりなのか真新しくて味気ないので、すぐ後にした。駅前通りに出ると長途バスや三輪タクシーが集ってきたが、自分のペースに持ち込むため露店で馄饨の朝飯をとる。ところが、「阳谷に行くなら西站だ」と5元で承知して乗り込んだ輪タクは、1,2分も走らぬうちにバスターミナルへ着き、しかも振り返れば公交ターミナルを挟んで火车站が十分間近に見える。事前準備が甘く西站がどれだけ遠いのか全く知らぬ他所者で仕方ないが、これは3元でも頷けない距離だ。早々に騙されてしまった。
西站はまだ始業前で、開門を待つ人々をバスか乗合タクシーの連中が執拗に客引きに来る。それらに抗っていると6時過ぎに窓口が開き、阳谷への切符が買える。快客と普通があり、10元の普通を選ぶと公交型のバスが来た。他のターミナルから発しているらしく既に席は概ね埋まっていて立ち客となる。ちょうど通学時間帯で、学童がよく途中乗降した。私は睡眠不足で席を確保できる前から眠りこけ、のめりそうになるなど危ない思いを繰り返した。

景阳岗

「汽车站到了」らしき声で目覚め、寝ぼけ眼で転げ降りるとすぐ輪タクに乗り継ぎ、景阳岗へ向けて走り出した。片道20元といわれ些か高いなと直感するも、トントン拍子の流れを断ちたくなかった。途中環状道路と別れる辺りで、「帰りはここまでなら10元でも良い」と言われたが、どうせ地理も分からないのだからきっちり戻ってくれたほうが楽だ。しかし、そこからが長かった。半端なく遠かった。激走するモーターバイクに揺られながら、想定を遥かに超える距離に愕然。これは普通車のタクシーを拾うべきだった。そして、時折往来する张秋(Zhangqiu)镇行きの城乡公交を見て、ハッとした。景阳岗景区は张秋镇にあるのではなかったか。ならば、まずバスで张秋か、せめて十五里园(Shiwuliyuan)まで行き輪タクに乗り換えるべきだと思った。途中沿道に「蚩尤陵景区」*1と書かれた案内板があり、ワァ蚩尤門*2じゃん、と一人で興奮していた。
幹線道から離れ、平野にぽつんと浮かぶ緑地、景阳岗。八時半、一番乗りくらいの入園。30元。
森の小道を行くと早速迎えてくれるのが、「三碗不過崗(三碗不过岗)」の居酒屋。テレビドラマのシーンと似た角度からの現れ方に感動する。

三碗不過崗

郷里清河县に帰る途中の武松は、ここで「三杯以上飲めば(酔って)この先の丘を越えられない」と店主が止めるのも聞かず、豪快に十数杯も飲み干してしまう。その地酒は「出门倒」(店を出た途端ぶっ倒れる)といい、飲んでいるときは良いが後から利くのらしい。実際ドラマでも武松が丘を越える頃、酔いが回って暫し眠りこける。その矢先に虎と遭遇するのだ。武松は店を出る際、丘に虎が出没することを告げられ店主から再三制止されるも本気にしない。丘の上で役所の立て札を見て事実だと知るが、ここで戻ったら男じゃない、と覚悟を決めるのだ。
店内は薄暗いが、酒瓶が幾つか置いてある。一部は実際に飲食店として営業しているらしい。どぶろく飲ませてくれるのかな。

最初の小高い位置にある山神庙

一見武松とは関わりない様に思えるが、もともとこの地域に土地を荒らす魔物とそれを退治した英雄の物語が伝わっていて、それが水滸伝の武松打虎の故事にちょうど重なって有名になった、というような説明があった。

碑林の中に映える「景阳岗」

虎池や猴山で寂しく飼育中の虎や猿たちと戯れ、暫しのんびり過ごす。このほか射的場や乗馬コーナーもある。

白い巨石に美しく浮彫りされた武松打虎の絵図

チケット裏面の遊覧図には記載がないので見逃さないで欲しい。
標高的にも見所的にも最高峰と思われる武松庙。階段の両脇には虎の頭が並んでいる。

武松庙

関羽様でも岳飛様でもなく、武松様を拝むのは初めてで感無量。

武松像

左手に虎を打ちのめす図、右手に快活林で蒋门神を半殺しにする絵図がそれぞれ木目美しい内壁に描かれている。いずれも酔態での活躍だ。

内壁画

右側のエピソードは阳谷县で西门庆らを殺して流罪となった武松が、その流刑地で罪人を厚遇している施恩に請われ、施恩が営む自由市「快活林」を乗っ取る大男蒋门神を懲らしめる話だ。このときは殺さなかったが、のちに蒋门神は役人と手を組んで武松を陥れようとし結局惨殺される。
虎文化馆は付録。古代殷周から明清に至るまでの虎の描写の変遷は興味深かった。
多少輪タクを待たせてあるのを意識はしたが、概ね一時間程度で収まる程よい景区で好漢気分と森林の涼を満喫できた。

狮子楼と阳谷县城

蚩尤陵を薦められて断ると、今度は町の中にある獅子楼を挙げてきたので了承した。ところが、县城へ入ると女性客を拾い、観光客扱いだったはずの私は獅子楼で降ろされるや運賃を要求された。てっきり待たせておけるものだと勘違いした私は嫌な顔をされ、さらに汽车站まで戻ってもいないのに獅子楼までの手間賃として追徴10元、つごう50元を求められた。この事件が一つ、旅の流れを崩したように思う。降り立ったところには有料の景勝玉皇庙があり、少し戻ると獅子楼、そして斜向かいにも赴きある建築の天主堂が建っている。この辺りがちょうど县城の中心地らしく、古風な街が造られ賑やかだ。

獅子楼

ともかく獅子楼を外観だけ眺め、自力で汽车站に戻ろうと決めた。ここで活躍するのがGoogle Mapと自慢の方向感覚だ。獅子楼と面する通りの名から現在地と方角を確認。Mapに汽车站は載っていない。しかし、輪タクに乗った時どのくらいの距離で京九铁路を跨ぎ環状道路に出たか、また张秋方面へ左折するまでに環状路をどれだけ南進したか、その感覚から汽车站の位置を推測できる。そうして昼時の炎天下を冰红茶飲みながら、遠回りすることはなく探し当てた。寝ぼけた瞬間的乗換とはいえ、出入口の外観はおぼろげに記憶していた。

濮阳へ

20km程度の近距離のせいか、台前とピストンするバスはなく寿张(Shouzhang)行きの公交が台前を経由するらしい*3。そういうパターンには乗り慣れないので直接濮阳市へ向かうことにする。が、せっかく窓口で切符を買えると思ったのに、安阳行きのバスと交渉してくれと言われた(方角的に濮阳は経由地じゃないだろと思った)。モタつくのも嫌なので、一旦聊城へ戻って仕切り直し。非効率的だけど、考えてみれば省境を越える县县移動だものな。戻りは快客(14元)を買ったが、時間的には1時間強と変わらなかった。その理由は現在聊城市付近の省道が大規模工事中で、各所で渋滞が起きていたからだ。通過点と思っていた西站に戻り、13:30改めて濮阳へ出発。保険をつけるなら身分証を出せと言われパスポートを提示したが、47元の運賃以外は徴収されていない。昔は保険料として0.5-1.0元強制的に取られたものだがな。昼のカロリー補充に売店でアッサムミルクティーを買う。今回一つ驚いたのは、山东省の長距離バスでは発車時にシートベルト着用を要求されたことだ。別に確認されるわけではないが、運転手が一言促すと皆従っていたのは意外だった。河南では全くその動きはなかった。

平原編2:濮阳再訪へつづく)

(map:阳谷景阳岗)

*1:中華始祖の一人で、苗族の祖先である九黎族を率いて阳谷一帯で農耕社会を築いた蚩尤の墓と、苗族文化のテーマパークらしい

*2:Youtubeで動画を楽しんでいるゲーム「シェンムー」の悪役藍帝一味の名

*3:実は阳谷と台前の間に寿张があり、台前汽车站が終点なのらしい