これらの人質事件で政府はどういった対応をとるべきだったのか。また事前にどうしておくべきだったか。それをここで書いておきたい。
テロや暴力に屈さないために強硬に自衛隊撤退を拒み、御家族の要請と支援を受けて救出工作に走った政府。それを見守った国民が、帰国した5人に浴びせたのは自己責任追及の罵声であった。誰一人として正しいことはしていない。そして誰もが、テロではなく、別のものによって傷つき傷つけあった。これが一つの国であると思うと嘆かわしい。
自己責任の話は、以前に2,3稿で述べているはずなので、不備があればまた別の機会に出すこととする。現在日本国内に在住する日本人のうち、どれだけのものが自衛隊の活動より、NGO団体の方が効率が良いことを知っているだろうか。国が直轄で運営する自衛隊の活動より、民間が限られた資金で人々の生活を支援するほうが有効なのだ。そんな彼らが武装グループによって拘束される。政府が救出工作をする。無事解放される。別に工作しなくたって、解放されるんです。されないとすれば、それは「A国の国民はみんなAという考えしかない」という固定観念だからだ。軍は国から出ているもの、NGOは民間が活動しているもの、しっかり区別をつけるべきなのだ。
首相は近年、よく言うではないか。「民間にできることは、民間に」。できるんですよ。それを認めればいい。そして、いわば公私の別を明確につけて、自衛隊はこういう趣旨で派遣・活動するけれども、民間団体はまた別にその責任で活動できる、という政令でも出せばいい。危険だから行ってはいけない、というのは自衛隊の活動まで揺らぐことになる。それよりは開放してしまう方が国のためにもなるだろう。
この方が、国は国としての信条を貫くことができる。直接的な世論によって政府の対応が動くことは大変危険だ。それは今回の事件が、最もよく示している。不満が多かろうが明瞭に申し上げる。政府が救出工作を行ったことは過ちだ。自国を愛することを前提として、身がどこにあっても骨を埋める覚悟で海外に出た日本国民なのだ。それを恩着せがましく政府が助けてやったような顔をするのは傲慢だ。むしろ国は国、民間は民間という区切りをつけて、情報収集のみに徹する程度でよかった。結:私は疑う。拉致事件は、イラク問題を暈すための政府の工作ではないか。【2004/05/03/AM】