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南沙諸島紛争の原点と信託統治―春学期末レポート2章2節

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 しかし、ミクロネシアは一般統治領でなく、戦略地区に指定されていた。これは、軍事利用を禁止していた国際連盟委任統治制度には無かったもので、アメリカの手によって作成された。《戦略統治は、他の信託統治と異なり、施政国はこれにより「安全保障上の理由」で戦略統治地区のどこでも閉鎖したり、軍事的に利用したりすることが許される。信託統治協定は施政国の合意なしには変更したり、終結させたりすることはできない。さらに、戦略地区はアメリカが拒否権を持つ安全保障理事会の責務下にあった。》
 先に述べたように、日本が太平洋戦争時、軍事基地として利用したことから、戦略的重要性が認識されていた。戦後、アジア地域の安全保障問題において、軍事拠点となりうるミクロネシアの取得では、合法的な国際社会における承認を得る手段としての戦略的統治がなされた。
《1947 年2月、アメリカは国連安保理に旧日本委任統治領の戦略統治地区処理を含む、信託統治案を提出したが、全会一致で受理された。》当然、イギリスやソ連からの反発を受け、全会一致などは困難なはずだが、《それでも両国が基本合意に達したのは、大国間の利害関係によるものである。たとえばイギリスがアメリカ案を拒否すれば、世界各地に同国が持つ植民地が他国の干渉にさらされる危険が高まる。ソ連も同様である。戦勝国同士の損益に関する交換条件として、ミクロネシアの戦略統治が承認された。》
本章の結びでは、《南沙諸島問題と同様、大国間の駆け引きが見て取れる。冷戦構造を意識した反共対策の一環ではないにせよ、アジアにおける戦後の地域安全保障イニシアチブを想定した戦略が前面に出ている。》としている。しかしながら、大国間の駆け引きや戦略性への関心度は、南沙諸島の比ではない。また、大戦中、日本軍が領有を宣言したのみならず、軍事目的で整備したという点が南沙諸島と相違する。
あと一点加えると、文面では南沙諸島問題がサンフランシスコ講和条約のアメリカが作成した草案や関係文書の列記と記述の変化に重点を置いているのに対し、ミクロネシアでは、(戦略的)信託統治の承認のみに言及している。これは、単純には比較といいがたいものではないだろうか。南沙諸島の内容にも、信託統治の可能性が指摘されていたが、原文の構成には今ひとつ噛み合わない部分があるように感じられる。【2005/11/21/AM】