南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

南沙諸島紛争の原点と信託統治―ゼミ報告の総括

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 レポート要約も2章までで、結びの章を終えていない。実際このレポート、問題提起は明快であったが、文献を調査しレポートを作成する上でかなり問題が不明瞭になり、結びは一見主題と一貫性が感じられないものになっていた。従って、この点を考慮し、レジュメ作成の際には、「大国間の駆け引きが両場合に見られる」とのレポート原文における見解に加え、「戦略的重要度の違い」という両者の相違点を述べておいた。何故、先学期末のレポート作成時に、問題提起と結論の一貫性を鑑みなかったのかについては、ただ締め切りに焦って文面の体裁を整えるのみに終わったものと原文から推察される。さらに、文献考察の際に、当初予想していた構成、即ち比較対象としてのミクロネシア信託統治システムを純粋に施行された地域であると仮定していたのだが、これが戦略地区という、アメリカによって歪められた制度の下にあった、という作成過程でのハプニングが明確な結論を引き出しにくくさせたものと思われる。発表はもとよりレポート作成時点から、この点には悩んでいたが、初期調査である故に、発想を重んじ事実を知ることのみに専念すべしと切り替えたものだろう。
 序文の際に記した通り、紛争自体の解説にやや時間を割き、最重要文献が当日にしか入手できなかったため講和条約の部分は流しとなったが、やはり報告終了時に教授から指摘されたのは、上記の件であった。自身でも気づいていたこととして、比較の件は兎も角、序論に記した「領有問題を再考する」との文面に結論が即していない。勿論筆者としては読者を初段階で惹きつける策でもあったが、竜頭蛇尾では策もない。つまり、筆者としては問題提起をかなり狭めたつもりでいたが、実のところ領有紛争の解決を考察するのか、それとも南沙諸島帰属先処理を歴史的に考察する(信託統治の可能性と回避された原因を探ることを含めて)のみなのか、視点がどこに置かれるのか定まっていない。「領有問題の再考」という文言が、問題提起を広範にすることでその言及が求められ、作成者にとって仇とも化すということを実感させられた。このテーマを卒論の段階まで採用するかは定かではないが、歴史的考察はそれのみに終始し、それを用いた新たな領有問題再考は別研究に委ねるべきである。
結:主題縮小の可能性の存在と比較対象の再考。【2005/12/05/PM】