南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

甲斐路の旅 2:中央線東西

猿橋

心温まるYHの原点に別れを

部屋の中央には、主人さんが記したらしい、温かいYHの案内が書かれている。一日の旅の疲れ、あるいは日常の疲れを癒してくれるような雰囲気を、たった一枚の紙から醸し出している。ご飯も美味しかったし、温泉も快適だったし、大変オヤスミできました。確かにYHの原点に還ったような気持ちになった。

温泉町・石和

朝食が7時半から、と遅めなので、予定していた甲府散策は厳しい。ので、ゆっくりして、石和の町を歩いていくことにした。
足元すらもハッキリしない暗闇で到着したので、昼間の明るい時間で石和の町を眺めると、またかなり違って見える。水路のような細い川の両端には、風情よく桜が咲いている。南の方角には、小高い山々の先に雪を残した峰が見えた。まだ、これを富士であると断定してはいなかったが、何となくそんな気がした。石和は、ブドウ畑から湧き出した温泉の町ではあるけれど、古い旧市街などはほとんど見られない。石和温泉駅周辺は、まだ再開発が中途で工事が目立つ。石和町は今回の平成大合併で周辺市町村とともに笛吹市となり、その中心(市役所)がこの石和町に置かれた。昨夜プリンシェイクを見つけた自販機のあるお土産店で、桔梗屋信玄餅(どんなものか全く分からなかったけど)を買った。

紙吹雪の女

中央線と紙吹雪の女といえば、『砂の器』だ。小説から映画になり、近年はドラマ化されて放映された。警視庁刑事の今西は、某大学教授の書いた随筆にヒントを得て、中央線の窓から女によってばら撒かれた紙切れ(シャツの布片)を求めて中央線沿線をひたすら歩く。その布片は被害者の血痕が付着しており、犯人の着衣隠蔽方法が割れるのだ。彼の歩いた駅間は、塩山〜勝沼、初鹿野〜笹子、初狩〜大月、猿橋〜鳥沢などとある。このうち勝沼勝沼ぶどう郷、初鹿野は甲斐大和と駅名を改称しているが、そのルートは小説当事とほぼ変わっていないだろう。この辺りの駅間はほとんどトンネルの連続で、確かに吹雪が舞っても、トンネルの入口で吹き溜まりとなる様が推測できる。こういう小説の一シーンを思い出して電車に乗るのも面白い。

猿橋

小説の駅間にも含まれている猿橋駅。ここから鳥沢方面に20分ほど歩くと、日本三大奇橋といわれる名勝猿橋がある。本日最初の途中下車。
甲州街道(というのかな)、即ち国道20号をひたすら東へ。街道だからか、兎に角狭い道なのに交通量が多い。猿橋駅からかなり離れて、猿橋の市街(宿場町でもあるのだろうか)に着き、また目立ちにくい場所に、名勝はあった。
何故猿橋が奇橋なのかというと、それは橋脚がないからである。アーチ型をした小さな橋だが、それを支える柱は無く、眼下かなり遠い位置に桂川がみえる。有名そうでありながら、誰一人観光者は見当たらず、また観光地っぽさもほとんど感じられなかった。駅から片道が20分と時間がかかるので、早めに切り上げて元来た道を戻る。この度も時間が結構詰まって弱冠危ない目に遭った。
デジカメで撮ってきた写真を拡大してみると、猿橋の奥にトンネルの入口が写っている。あまり期待していなかったが、成功だと思った。実は、嘗て昭和40年頃まで中央線猿橋〜鳥沢間は現在の猿橋トンネルルートではなく、桂川に沿ってやや北側をいくつものトンネルを潜りながら走っていた。『廃線跡を歩く』の書には、《(鳥沢側から数えて)最後のトンネルを抜けると間近に奇橋「猿橋」が見えた》とある。前述の『砂の器』でも、沿線から猿橋を間近に見る、との記述がある。これは現在のルートでは不可能だ。写真には、上手い具合に廃線跡のトンネルが写ったのだった。また、猿橋の見えるトンネルから、現在の中央線ルートに戻る区間も、甲州街道から一歩外れた住宅地の裏道に、その姿を垣間見ることが出来た。

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猿橋

高麗川の鴨汁うどん

この企画は、中央線沿線を愉しむ上では明らかに脱線である。八王子から八高線に乗換え、片道1時間弱もかかる。それでも、敢えて昼飯をここに限定したのは、「鴨汁うどん」だからだ。コレのお陰で、午後の行動が相当制限されてくる。まず、国立駅へ行けなくなる。八王子辺りで昼をとれば、不可能ではない。国立駅では、駅周辺再開発の為、名物駅舎が取り壊しの危機に瀕している。これを見に行きたかった。それから、東海道線で帰るにしろ、中央線で帰るにしろ、昼食後のスケジュールが非常に限られる。東京に出たり八王子に戻ったりするのに時間を要し、途中下車が楽しめない。このような問題を踏まえてでも、鴨汁うどんが食べたかったのである。
さて、話は中央線へ。猿橋駅の電光掲示板に「高崎線の沿線火災で、湘南新宿ライン運転見合わせ」などと出ている。川越線についても何か出ていたが、高麗川までならたぶん影響はないだろう。ただ、接続調整とかで少しずつ遅れが出てきたりするのは勘弁して欲しい。
乗継上、八王子駅でお時間があるので、改札を出てみる。「八」をイメージしたらしいカラフルなモニュメントに、「八」は名古屋だろ、と思った。ここでちょっと馬鹿なこと思ったんだけど、甲府方面から来る電車はほとんど、高尾で快速や各停電車に乗り換えさせられ、八高線や相模線などの合流する八王子まで2駅ほど乗らされる。直通もあるんだけど、なんだか高尾で一旦切替。何となく不便な感じしませんか。これは多分、八王子が田舎(または田舎の入口)であると見せたくない為の、工作なんではないかと思う。士工商農の下にエタ・ヒニンがいるみたいな。高尾は田舎で、八王子はターミナル都会駅。そんな見せ掛けに惑わされてはいけない。
で、八高線。電車は綺麗だが、行き違い待ちが長い。1時間弱もかかるのが異常だと思っていたら、やはりこういう仕掛けがあった。途中で渡った入間川の桜が見事。アジア系の外国人が7,8名話していたが、台湾ぽい気がした。
12時過ぎの高麗川駅。駅前には開発らしい開発が全く無い寂しい駅。HPで見た地図のイメージを頼りに歩いていくと、やや中道に入ったところにその店はあった。
手打ちうどんの「はら」。店とすら分からない佇まい。「いらっしゃいませ?」と語尾が上がって、クエスチョンになっているのが違和感。屋内は神棚のような飾り付けの中に鴨汁うどんの紹介と日高市観光案内が満載。迷うことなく、鴨汁うどんランチセット(数量限定)を注文。コレのために来たのだ。11時半開店だから、幾ら数量限定でも12時に切れることは有り得ない。まだお昼になったばかりで、私の他は、数分後に現れた老夫婦のみだ。
鴨汁うどんというのは、水を切った冷たいうどんを鴨肉の入った温かい漬け汁につけて戴く料理だ。高麗川名物だそうだが、駅前にはそんな文句は無かった。面体は普通のうどんで、“ほうとう”というほど太くもない。手打ちだから多少マチマチの感もあるが、それはそれで風味が出る。麺は歯ごたえがあって、さすが手打ち自慢だけある。そして、初めて口にする鴨肉。漬け汁に浸っているだけだから、それほど量は多くない。だから自然、よく味わうことになる。鶏肉というよりは豚肉で、やや硬い感がある。猿橋を散策して、さらに八王子から1時間かけて、時間を調整してやってきた甲斐があったし、大変美味しく戴くことが出来た。
日高市の観光地はJR高麗川駅よりも、西武の高麗駅が近く、観光として高麗川駅に降り立つのはあまり有効ではない。けれども、駅からさほど遠くないところに、美味しい店があるのだということを皆さんに知ってもらえたらなぁ、と思う。今回は食べる為だけに八高線に乗って高麗川へ行った訳だけど、今度は高崎方面に向かう機会があれば、また立ち寄りたい。

甲府

上りの八王子行きは、拝島での青梅線接続電車が遅れたため1分少々くるった。1分程度なら、というのが甘いもので、八王子駅では高尾行き普通への乗換え時間が2分しかない。これに乗れないと、高尾で14:15の甲府行きに乗れない。先に八王子駅構内を軽く散策しておいたお陰で、駆け込み乗車ながら乗り遅れは避けられた。相模湖に寄って腹ごなしをしようと思ったが、ちょうど甲府行きだったので(行き先までは事前に確認してなかった)、甲府をちゃんと下車してお土産探しをしようと変更した。石和温泉の手前、春日居町は駅前に足湯があった。石和温泉に近づくにつれて、車窓から富士山が見えてきた。方角的に正しいことから、やっと断定できた。
甲府駅前には、甲府城跡でもある舞鶴城公園がある。ここの天守跡に昇って富士を眺めた。甲府市中にある鉄塔が富士の景色を妨げたが、晴れた甲府から見る富士ということで、多少いい絵になった。

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舞鶴城公園から望む富士

鴨汁うどんは美味しかったが、甲府で“ほうとう”を食べられなかったので、“ほうとう”6,7人前セットをお土産第二号にした。

韮崎の平和観音と再悲劇

最後の途中下車(の予定だった)は、韮崎。制限時間11分。観音様はホームからも見える。徒歩5分もかかるまい、と思ったのが、10分近くかかった。それは、遠回りだったからだ。そして、近づくにつれて観音像が見えなくなるのも理由の一つだ。やっと案内板に従い、階段を登って、窟観音を見たらもぅ2分前。駆け戻って改札を通ってホームに上がって、よっしゃまだ電車停まってる、と思ったら目の前で扉が閉まった。思い切り気が抜けた。この時点では、頭の中、野宿決定。動転したまま上り電車に乗って甲府の手前の竜王に戻る。甲府に戻っても身延線東海道線に出るには時間がかかるし、とにかく塩尻に向かうことにした。一本後の普通列車では、塩尻に着くのが18:46。しかし、塩尻発中津川行き普通は18:43、と3分前に出てしまう。だから、逃した電車で18:16に塩尻に着いておいて夕飯を探すスタンスだった。18切符でどこまで行けるか、賭け勝負となった。
再び、韮崎駅。車窓から平和観音をデジカメに収める。
小淵沢駅では、南方に甲斐駒ケ岳が見えた。ここで甲斐の国は終わり。小海線以外のJRには全線乗ったことになる。

塩尻から特急で追い越し戦法

この方法を最初に思いついたのは、茅野駅。特急あずさの追い越し待ちをしているとき、今この普通電車を降りて改札を出、あずさの茅野〜塩尻間の乗車券と特急券を買えば、43分発の中津川行きに間に合う、と気付いたのだ。残念ながら手続き時間が短く、乗り継ぎに失敗すると両方を逃す恐れがあったので止めた。
塩尻駅到着前の車内アナウンスでは、中央線下りは特急しなの24号名古屋行き19:00しか言わない。それだけ普通列車が遠い先にしかないのだ。下車直ぐに改札前の時刻表をめくり、その「しなの」が43分に出た普通電車にいつ追いつくか調べた。わずか17分しか空けずに特急が出るのだから、追いつかないはずがない。次の停車駅木曽福島の時点で、「しなの」の着発が19:26、普通は19:38。この段階で、追越が成立している。因みに、この後の中津川方面普通は20:02に上松止まりと、中津川行きは21:32しかない。到底24時までに帰り着くのは不可能。所持金は2千円しかなかったが、この際ギリギリまで使うしかなかった。1400円ほどかけて、乗車券と特急券を買って「しなの」に乗り込む。
自由席だからどの車両も混んでいる。空いていると思ったら、喫煙席だった。仕方ないので、一駅だからと割り切って乗降口に立つ。塩尻で夕飯を買うはずだったのに、こうしたハプニングで何もない。木曽福島なら何かある、と空腹をこらえる。特急の癖によく揺れ、乗り心地悪し。
木曽福島は、一応駅員がいるだけで、周辺は真っ暗。コンビニ一つ無い。寒さと空腹に耐えながら、鈍行を待つのみ。

帰宅

漸く耐え抜いた空腹も、中津川駅のキオスクで桜弁当を買って落ち着く。接続の名古屋行き普通は、セントラルライナーの車両を使うので、何だか多治見以降は310円を取られそうで不思議な感じがする。
という感じで、2日間とも乗り継ぎや途中下車で、時間に余裕のない行動を迫られた。体力が低下したのか、綿密なダイヤ遊びをしすぎたのか、理由は分からない。でも、接続は兎も角として、それぞれの車内や観光ポイントでは比較的充実した時間を過ごせたんではないか。温泉にも入ったし、旨い物も食べたし、決して疲れる旅ではなかったと思う。
【完】