南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

北方領土の日と日本の後退

今日は、北方領土の日である。北方領土とは、択捉、色丹、国後、歯舞諸島の4領土のことで、1951年のサンフランシスコ講和条約で正式に日本領土から切り離されたことになっている。しかし、この4領土は古来から日本の領土であることを主張する者が多く、政府も公式にこれらの奪還を目指してロシアと交渉を行っている。この政策は、漁業資源の確保によるところが大きく、近年はロシアの国境警備隊によって日本の漁船が拿捕される事件が相次いでおり、こうした中で北方領土の日は一層重要な意味を持たされることになると思われる。
北方領土に限らず、日本が領有権を主張し続ける島嶼は多々ある。これらは、1945年の太平洋戦争敗北と、それに伴う連合国の冷戦を踏まえた思惑による領土分割処理が起因となっている。アメリカなどの連合国が、明治以来の日本の領土に関する歴史を性格に踏まえて処理したのかどうか、現在に至るまで疑いが晴れないのであろう。但し、この領土問題を争う相手国が、現在は嘗ての連合国でないことが多い。そのためか、交渉の中では明治以前の歴史を持ち出して争うことが多いように思われる。しかしながら、近代的な領土保有の考え方では、そのような古い論拠が通用するのだろうか。近現代の主権国家として国際的に認められるために、明治期の日本は、明確な国境を定め、法治国家として歩み始めた。規律と秩序を基に軍備増強と工業発展を促進した。その結果、欧米式との批判はあるけれど、他のアジア諸地域の模範となるべき近代的国家となったのだ。だからこそ、資源確保と領土拡大の非難豪語のなかにあっても、植民地解放とアジア近代化を広めるために共に戦うことが受け入れられたのだ。
現在の日本は、自らの誇れる部分や相手に供与できるものを模索しようとはせず、只々資源確保と領土拡大のみを以て、いわば先代が築いてきた近代化の遺産すらもかなぐり捨てて、必死で爪先ほどの領土の奪還を目指している。それはある意味で欧米式からの脱却かもしれないが、戦前・戦中期までに営まれた日本国史の否定でもある。近代的手法によって確保された領土を、それ以前の歴史によって甦らせるということは、明治期の先人の血と汗を無駄にするに等しい。それが保守的といわれる人々の為すことなのか。筆者には信じがたいことである。
領土問題のみならず、現代日本の社会風潮は、只々隣国の政策や世論、文化をひたすら非難、危険視するのみで、その改善に自らを投じようとする気迫を全く感じさせない傾向にある。戦後、自由主義、民主主義を享受してきた日本国民は平和ボケを超過し、表面的自尊人間を多数形成してしまった。嘗ての植民地政策で為されてきた事や現在の国際援助は、途上国に対するオリエンタリズムであるとの批判があるが、日本社会の今はそれ以下ではないか。為すべき事、求められていることを為さずして、自己利益のみを享受する欲望が支配する右傾化は、いつの時代よりも低級であると言わねばならない。自虐史観に対抗した全面評価史観が広まりつつあるが、この極端な歴史評価は、何を評価し何を破棄すべきかの取捨選択的戦後処理をしてこなかった戦後日本の責任である。日本はもう一度近代に立ち返り、その功罪を分析しなおさねばならない。と同時に、マスコミや単純で過激な言論に惑わされ愛国心を取り戻したかのような錯覚に陥る、低級な表面的自尊人間を一掃すべく、社会的な歪みを除去していかねばならない。