先日ちょっと开封の黄河游览区について検索していたところ、林则徐纪念馆なるものを見つけた。林則徐って高校世界史とかで聞き覚えあるな、と思い調べてみると、清代の官僚でイギリスによるアヘン密輸を取り締まった人である(結果アヘン戦争へ)。しかし、この人物に河南开封となんの関わりがあるのだろうか。Wikipedia日本語版に言及はなく、「1832年~1837年在任の東河河道総督」という箇所に着目。東河河道を現在の河南ぽい地域名と判断したのだが、河道総督というのは河道の管理と治水の専門官らしい。林則徐は治水問題に関する見識も広かったようである。それでとりあえず中文版を開いてみると、こんな文面を発見した。
嘉慶二十五年(1820年)二月,林則徐任江南道監察御史,河南南岸河堤缺口,河南巡撫琦善辦事不力,引發大水災,林則徐不惧琦善滿洲貴族的背景,向嘉慶帝直奏琦善的無能。
江南道の監察官に任じられたとき、黄河南岸の堤防が壊れているにもかかわらず河南総督の琦善が適切な処置を行わず大水害を招くとみて、ときの皇帝嘉慶帝に琦善の無能を直奏した。のちに琦善は免職されている。
なるほど! だから黄河のほとりに紀念館があるわけか。开封とゆかりの人物やエピソード、まだまだ知らないもの多いなぁ。