南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

武豊線ぷらり旅

非電化時代に乗りつぶして以来、とんッとご無沙汰してた武豊線。2006年以降の乗車記録刻むため、久々の週休二日に足運んでみた。
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乗り鉄記録に残るかぎりこれが最初で最後。武豊線全線のみならず、途中駅へすらも乗り入れてない。まるっと19年経ってる。このときは一応終点武豊まで行った後、おもに半田市中を見物しながらも醸造関係の施設は見学できぬ羽目になった模様。全然記憶ない。あと、一応18きっぷを使用しているため途中下車で2300円稼ぐ意図か、大高で夕刻に降りている。
”再”乗りつぶし以外は19年前と異なるスポットをピックアップしていく。昼前に出発し、大府で武豊ゆき普通に乗り換える。休日でも東海道線直通の区間快速は運行しているが、日中帯は大府折り返しのみ。金山駅東海道線ホームにホームドアが設置されてて驚く。中央線と名鉄線は未設置。

JR武豊線

前回は武豊線自体に対する見解がほとんど見られない。今回改めて乗ってみて、その特徴が結構わかった。去年夏に高校野球観戦のため行った阿久比の、名鉄河和線との並行区間もあるので沿線風景が重なって見える。武豊に向かって右手は丘陵地、左手は田園から臨港地帯へと移ろう。石浜で行き違い待ち。東浦を発すると暫く徐行するので何かと思えば、衣浦臨海鉄道碧南線(貨物線)の分岐がある。一番驚いたのは、亀崎の前後でかなり急勾配を登り、駅が丘の上に掘割状に造られていることだ。また年季の入った木造駅舎が目を引く*1。比較的平坦な路線にあってここが一番高低差ある。ちなみに乗降人数も亀崎がピークだった。

半田駅前のC11

半田駅北口の半田市鉄道資料館脇に静態保存されている蒸気機関車。車窓より直前から狙っていたものの、駅入場時の走行状態でタイミング合わせづらく、撮った瞬間失敗だと思った。ギリ全貌収まってて細部拡大したもの。ちなみに半田駅には現存最古の跨線橋もあったのだが、高架化事業のため撤去された。同駅以南は東側が広く確保されており、高架化工事が進行中。にしても武豊線は貨物線の引き込み線が非常に多く、たとえレールがなくとも緩やかに離れていく幾筋ものカーブは廃線跡だろうなと。

武豊

終点武豊駅。停車地点の真ん前でぷっつりと線路が途切れてるイメージだったが、まるで駅位置が大府方面へ後退したかとさえ思うほど駅以南に余地があった。今回はその延長線を辿っていく。中山道ルートによる東京~京都間の鉄道建設に際し、資材の陸揚げと運搬のために造られた岐阜~武豊間の鉄道が、現在の武豊線の前身だ。当初は現:武豊駅から臨港まで線路があった(1965年廃止)。半世紀以上も経つのに線路用地はかなり長く延びて残されている。廃線跡は思ったより狭い道路で左に大きく曲がる。そして、亀崎のように丘を一つ越える。初期の蒸気機関車は難儀だったろうな。その終着点に遺されているのが、武豊港駅(旧:武豊駅)転車台だ。

武豊港駅転車台跡
転車台ポケットパーク

回転台に貨車を載せ90度回転させて離脱させるまでを人力でやっていたというから、大変なものだ。現:武豊駅から約1km、往復と束の間見学でギリ40分に収まると踏んできた。幸い近くにコンビニがあり、昼食って引き返す。

武豊線廃線跡

ちなみにこの沿道はみそ蔵の小道と呼ばれる醸造業者の密集地で、坂の上から蔵元の看板が目につく。右画像の後田ポケットパークは桜並木だそうで、もう少し後に来たら良かったな。

緒川

今回の武豊線途中下車は、緒川駅(そしてもう武豊線には戻らない)。閑静な高架駅の周りはしかし、踏切跡や駅前商店街の名残がある。国道に並行する、行き違いも困難な古い生活道路に街道の趣きが強く感じられる。師崎街道というようだ。西側の切り立った斜面に沿うように通っている。街道に面した、入海(いりみ)神社

入海神社

その境内にあるのが、国指定史跡の入海貝塚だ。

入海貝塚

約7000年前の縄文時代早期の貝塚で、ハイガイなどが多く出土している。また、ここで出土した土器は縄文土器の基準とされ、入海式土器と命名される。説明板の足元に貝殻の破片が散らばっており、自然に地表へ現れるはずもなく発掘調査の残骸と思われる。地元で貝塚といえば、清洲JCTの貝殻山貝塚(朝日遺跡)を思い浮かべるが、これは縄文末から弥生期の貝塚らしい。
もう一つ、地図アプリで近くに表示される天白遺跡ひろば。民家の私道を抜けるようにして、少し小高いところに。ただの避難場所かと思ったが、着いて納得。

天白遺跡ひろば

縄文時代のムラがあった遺跡だ。貝塚があれば当然、居住区もあるよな。丘の上に広がる住居跡群をニュータウン造成前に発掘調査し、北西端にあたる一角を小公園に整備して竪穴住居の柱穴や溝の跡をカラフルに再現している。画像はちょうど集落全体を見渡す方向(貝塚は背後)で撮った。急斜面のため往時の見晴らしも残る。

あいち健康の森

県道に出て、東浦町運行バス「う・ら・ら」長寿線に乗る。運賃100円のコミュニティバスだけど、中型バスが来た。委託にありがちの横柄な運転手じゃなくて好感。森岡を過ぎるともの凄い急坂をのぼっていき、これは高齢住民には必須の交通だと思った。あいち健康の森は大府市だが、近隣自治体のバスも乗り入れている。「う・ら・ら」長寿線は、あいち健康の森に隣接するJAあぐりタウンげんきの郷へ先行する。ところがコロナ解禁ムードの週末は大盛況、駐車場付近が渋滞しバスは思うように停留所へ進めない。時間ロスにヤキモキした。じつはげんきの郷にも天然温泉めぐみの湯はあるのだが、入浴料が高騰して950円になっている。いっぽう、健康の森プラザホテルの日帰り入浴もりの湯は620円。コロナ対策を堅持し同時30人までと制約かけているものの、良心的な価格にこだわりたい。
www.aichi-kenko-plaza.com
健康の森プラザを選んだのは正解で、げんきの郷とは別世界なほど空いていた。常連の高齢者がゆったり浸かり、トレーニング施設でひと汗かいたような人が混じっている。お湯は、独特のぬめりがある滑らかな泉質で気持ちいい。滝もジャグジーもなく広い湯池一つのみの飾らない浴場。しかし丘の上の4階からの眺めは、名古屋市を南から一望できる絶景だ。日帰り入浴施設で、これほど確かな天然温泉と浴場からの眺望を合わせて味わえるのは初めてじゃないかと思った。おまけに空いててリラックスできる。相当気に入った。
寛げる休憩コーナーは乏しく、自販機さえホテルロビーに入らざるを得ず残念。まぁホテルとトレーニング施設の合間を借りるわけだしね。
帰りは同じプラザ前を発着する、大府市ふれあいバス西コースで共和駅へ。乗車して100円投じようとすると、運転手に「要らない」と言われる。昨今の物価高騰による市民生活への負担増を踏まえ、3月末まで運賃無料とする旨を車内掲示より知る。小回りの利く小型バスだけに、市内の施設や大型SCを小まめに経由していく。あんまりくねくねと走るものだから方向感覚を失う。ウドと柊山の地名が脳に残る。終点を共和駅西というから駅との距離を考慮したが、普通に駅前へ着いた。駅西じゃなくて駅西口とするべき。

そんなわけで、鉄道史跡や天然温泉など前回とは少し違った武豊線沿線を楽しんできた。共和駅大府駅から行けるもりの湯は時々リピートしたいなぁと思う。

*1:日本最古の現役駅舎といわれるそうだ。一度降りてみるべきだった