南蛇井総本氣

南蛇井にとらわれた言語的表現の場

悔しい…

東三河地域には、ともすると名古屋地区よりも至るところにポッカサッポロの自販機があり、プリンシェイク的中率も相当高いだろうな。と思うと、製造終了となってしまった現実が物凄く残念でならない。なぜもっと早く積極的な探索を行わなかったのか、痛烈に悔やまれるところ。

今後ポッカサッポロ機を多数見かけるたびにこんなコメントをするのは辛いので最後にして、速やかにこのカテゴリを下位へ葬ろう。

渥美チャリン行 3

渥美チャリン行 2よりつづく)
昨日と同じくトーストなどの朝食サービスをいただき、出発。二晩とも申し分なく快適に過ごせました。チェックアウト前に土産購入を済ませておくほうが良かったか。豊橋駅周辺は駐輪場が皆無に等しく(市営駐輪場は地下にあるらしい)、路上駐輪も滅多に見かけない。やむなくタリーズコーヒー前にチョイ停め。昨日目星をつけておいたあさりせんべい(手土産用5種詰め合わせ)3点購入。軽量で嵩張らないお土産はチャリン行向き。あとは豊橋の街を名残惜しむように、駅前大通りから魚町などを徒然に走って吉田宿、そして旧東海道の帰途につく。今日は穏やかなとよばしを渡り、いざさらば。

東海道下り(吉田宿~宮宿)

往路の逆で赤坂宿まで緩やかに登坂。おととい二川・白須賀を優先して素通りした赤坂・御油の資料館を見学するため、開館時間の10時へ調節しながら進む。北勢チャリン行のときと違い、同じ道を帰るのにあまり往路のイメージが残ってない。御油手前で道なりに進んだつもりがいつの間にか路地に迷い込んでおり、音羽川を渡って気づいた。しかし本来の東海道筋はこの小道であり、新築家屋に混じって格子の旧家もチラホラ。一時だけ県道の喧騒も離れられて怪我の功名か。尚、音羽川沿いの御油の松並木資料館は早着すぎて又もパス。また、時間調整のため御油の松並木公園で一服と、まるで徒歩のごとくのんびり行く。

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御油の松並木

赤坂宿

東海道36番目の宿場、赤坂宿。そのなかで2015年まで営業した東海道53次最後の旅籠とされる、大橋屋(旧屋号鯉屋)を見学。

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旅籠大橋屋

大部分が吹き抜けとなった広々とした造りで、二階の座敷からは格子越しに東海道を見下ろすことができる。主屋裏にはかつてあった建物の間取りがブロック敷きで再現されている。ちょうどこの庭で地元の子供たちを集めたイベントが催されており、平面図は駆け回る子らで殆ど見えず主屋外観を眺める。よらまいかんで今一度休憩ののち、気を引き締めて昼までに峠を越す。

岡崎

街道風情はよろしいが徐々に息切れするような登りとなる。峠越えの目安としてきた新箱根入口交差点を過ぎると、安堵感から空腹が襲う。左側通行を原則とするため、山中など国道1号線より北側を通る東海道は往路と違ってスルーする。殆ど1号線を並走している錯覚に陥る。乙川のリアリティ案山子群と対面する頃にはだいぶへばっていた。なんとか踏ん張って、初日と同じかつや岡崎IC店で特カツ丼の昼飯。
R1と岡崎市街をバイパスしたくて、名鉄線に接近するようなルートをとったら竜美丘とかいう坂道で暑さとともに辟易した。初日の二川から豊橋までの失敗に似ている。また東岡崎駅前から矢作橋まで、乙川や国道248号、愛環に名鉄と複雑に交差するのを一々クリアするのも難儀だった。この辺りが一番日焼けに響いた。このとき八丁味噌蔵の小路をチラリと抜けた。矢作橋からも宇頭までの1号線北側の細かな旧道分離は無視し、安城市中心部だけ東海道を辿った。

池鯉鮒宿

赤坂から散々省いてきたのに、松並木途切れた御林交差点を渡って往路は通らなかった池鯉鮒宿の正しい旧道筋を入るも、まもなく山町で1号線に出てしまう。その非効率な行動の訳は、藤田屋本店で大あんまきを買うため。初日は昼飯前だったので断念したが、帰り道ではちょうどお八つ時になる。シンプルな小豆餡を1本買い求める。現代の茶店のような店舗では頂かず、律儀に山町まで戻り再び街道をゆく。休憩するなら知立神社のほうが落ち着く。拝殿と多宝塔を拝み、咲き始めた花しょうぶを愛でながら大あんまきを味わう。

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知立神社の花菖蒲と大あんまき

もっと大きなイメージのあった大あんまきだが、些かコンパクトに感じられた。生地は以前よりモチモチ感が増したよう。食べ終えると大判焼き以上の満腹感。
知立神社から帰ろうとすると、交差した細い路地に「東海道」と示されている。ここも御油と同じく県道から外れた小道が旧道なのだ。逢妻橋からこの知立神社近くを通り中町にいたるまでの区間は、全然気づかずに県道を走破していたことになる。道筋の流れだけによる思い込みはいけない。

大あんまきエネルギーを得ると足どり軽く、また名古屋に近づくにつれて終わりが見え、気が早まる。有松では下り坂の速度もさることながら、観光客の傍を擦り抜けるときノーマスクを気にした。初日に東海道インした赤坪町まで来ると一段落。笠寺、呼続と慣れ親しんだ町並みを爽快に走り抜け、堀田に出ると「大八車進入禁止」の標識が終着点を指し示してくれる(笑)。

宮の渡し

もう地元なので旧道にはこだわらず、方向感覚の思うままに渡し場へ。本日の東海道ゴールは宮の渡し公園(七里の渡し跡)。

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宮の渡し

ここから舟で桑名へ渡ると、北勢チャリン行 1の桑名宿から日永の追分までへと繋がる。たぶんやらないけど、自転車による東海道走破の一端を担うことになる。何にせよ、達成感はあるね。

熱田神宮

旅の締めくくりに熱田神宮を参拝。神宮東門の有料駐輪場(1時間内無料)へ停め、境内の杜へ。鳥居前の一礼や、拝殿での二礼二拍手一礼もいつしか定着したものだね。コロナ禍の影響下で参道も混みあわず、拝殿前でも各々適切な距離を保っている。

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熱田神宮拝殿

熱田さんといえば初詣の機会が多く、こうした比較的閑静なお参りは珍しい。参道脇の大楠が目に留まるのも初めて。

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熱田神宮の大楠

弘法大師のお手植えと伝えられ、樹齢は約千年。木漏れ日を活かした撮影に苦心。
このあと宮の湯へ寄るつもりだったが、真っ赤な日焼け肌が目立ち痛むので中止。神宮前駅北の踏切がなくなった今、陸橋やアンダーパスを使わずJR・名鉄線を東に越える箇所を探すのに右往左往。最後は観念し、旧東海道まで戻って回り込んだ。あとは名古屋高速下をまっすぐ一気に北上。高辻など信号交差点の間隔が長いところでは思いきり飛ばし、まだまだ脚力は余裕あり。渥美半島の危ない国道・県道よりもずっと慎重になる、名古屋の東新町。アパートが近づくにつれて感じ始める疲労を様子見ながら走り、帰宅。ちなみに初日も東海道インまでこの名古屋高速下を走ったほうがスムーズだったのでは、という説は、長距離を走るうえで坂道と交通危険の多い中心部を極力回避して体力温存したい、という意味で大いに否定したい。
ともかく、計画通りの行程を無事に走りぬいてこられたので、満足している。緩やかな勾配ではあるが岡崎~豊川間の難所を越えたことで、関ヶ原越えの野望にも一定の可能性を見いだせた。のちに日焼けは重傷と知るが、脚のほうは筋肉痛など全く発症せず3日間の距離配分が適切であったことを示している。これを弾みに、関ケ原に向けて鍛えていきたい。

5月4日実質走行距離:88.35㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)
三日間実質走行距離:264.86㎞(同上)

渥美チャリン行 2

渥美チャリン行 1よりつづく)
6時起床、朝食無料ということで7時過ぎ3階の食堂へ。運動量を考えるとコンビニのおにぎり等が望ましいけれど、この時勢に朝食サービスしていただけるならパン食でも有難く利用しよう。食パンを2枚セルフでオーブンあるいはトースターで焼き、一つずつ小鉢にラップのかかったサラダやゆで卵を取り、コーヒーを淹れてパーティションの設けられたテーブルへ。スタッフがスープはいかがですかと尋ねてくれるので、コーンポタージュを頂く。ソーシャルディスタンスを考慮すると7,8人が一度に食べられるだろうか。順次出入りしていくので密にはならないが、結構宿泊していることがわかる。ビジネスホテルということで、ビジネスマンや土建作業員と旅行者が半々くらい。駐車場にも県外ナンバーがチラホラ。
飲料と充電器だけの軽装で出発できるのも拠点の強み。渥美線の電車時刻に合わせて出陣。

渥美線サイクルトレイン

自転車旅で中日を鉄道利用するのは北勢もそうだし、実は北海道旅行でも苫小牧のYHに自車を預けてJRで札幌や富良野へ向かっている。自転車旅といいながら複合が恒例らしい。今回は自転車とともに鉄道移動してしまおうという初の試み。
サイクルトレイン渥美線全駅で利用でき、混雑が予想される新豊橋駅での自転車の取扱いを忌避して、一つ次の柳生橋を起点とする。かつては市内線新川駅から南に軌道線が同駅まで延びていたらしい。その軌道跡とは別の道を行く。1面1線の閑散とした駅で、豊橋行きの電車を見送ったあと自転車を伴い入場。積載料金はどう支払うのだろうと訝りながら、マナカ改札を済ます。列車内における自転車の乗降および持ち込みスペースは決まっており、田原方向の乗務員室最寄りドアおよび座席エリアとなっている。ホーム上に描かれた乗車位置で待機。手早く抱えて乗務員扉前へ乗り込むと、発車後に車掌が来て積載料金100円を徴収。席が空いているので座ってもらって大丈夫です、というので通路での安定を確保しながら着席。

サイクルトレインデビュー(積載券付き)

柳生橋~愛知大学までは橋渡ったり隧道くぐったりと勾配が激しい。あとは終始長閑に走る。全線単線だが15分間隔の運行を維持するため、交換駅での行き違いを頻繁に見る。所要30分余で三河田原到着。改札口で積載券は回収される。扇形をした真新しい駅舎のバス待合室で情報収集して、田原の町へ。

田原

田原市街に平地は少ない。普段の鉄旅なら苦にはならないが、サイクリングだと慣らしタイムが足りない。まずは原城

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原城桜門と巴江神社

1480年頃築城。田原湾が新田開発されるまでは満潮時に湾の海水が城の周囲を囲み、その姿が「巴文」に見えることから、巴江城とも呼ばれた。現在の風景からは想像つかないが、グーグルマップで見ると城の目前まで干拓地が迫っている。田原ってこんなに三河湾に近いんだ。もともと天守はなく建造物も少ないが、石垣や堀はよく残っている。二の丸跡の田原市博物館では、渥美電鉄(名鉄渥美線を経て現在豊橋鉄道渥美線)と田原の関わりが興味深かった。三河田原から伊良湖岬を目指した廃線および未成線区間三河田原駅周辺に街ができてゆく経緯など。田原藩家老で画家・蘭学者渡辺崋山についても学ぶ。
崋山の旧居が復元された池ノ原公園

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崋山像と旧居

田原藩校成章館の流れをくむ成章高校の脇を登ってゆくと、蔵王山がそびえる。田原町歩きなら登頂していくところ。新緑が美しい。

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蔵王山

三河湾

さて、ここからは豊鉄サイクルトレインのページに掲載されたサイクリングコースマップを参考に伊良湖岬を目指す。モデルコースとして推奨しているだけに一応路面表示はあるが、自転車道を整備しているわけではないので安全面は自己責任*1
蔵王山の山肌を削るセメント採掘場を横目に坂を下ってゆくと、眼前に海原が!

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三河湾だ!

白谷海浜公園で海面と対岸を一望する。ここの自販機で飲料購入を躊躇ったのはミス。

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三河湾一望

持参したウェルカムサービスのお茶以外に飲料を持たぬまま出発。軽いアップダウンの連続する県道で、歩道は狭く荒れ気味、ママチャリには酷。沿道に自販機は乏しく、最も近いコンビニまで9㎞とか表示されて急に危機感を覚える。バス会社駐車場の自販機で少し喉を潤すと、本気でコンビニ目指して走行。泉地区でいいかげん国道259号(県道から合流)に飽きて、川沿いの道へ逸れる。概ね方角さえ間違わなければ、閑静な集落の中は落ち着く。可能な限り幹線道を避けて走り、やっと田原街道へ合流すると間もなくファミマ。コンビニの貴重性を痛感し、飲料と軽食、非常食を購入。その軽食を摂りファミマを出た直後、飲食店が待ち構えているから敵わない。店頭の幟に「大あさり丼」とかあってそそられるも、昼飯には些か早いしアメリカンドッグ食べたばかり。
「よしッ、昼はどこかで大アサリ!」と腹に決めて持ち直すも、その先の国道には歩道がなく交通量も一層ヤバかったので海岸道路に回避。北勢チャリン行で帰りに走ったような岸壁道路で、静かな渥美湾の潮風と田畑に挟まれ癒し。入り江に注ぐ川から集落を抜けて道路に出るも、どうやらさっきの国道ではない。並行しているようなのでそのまま行くと、魚と貝のうまい店・玉川の前に行列が。ここは伊良湖岬に近い旅館としてマークしていたところだ。その近くにあるコミセン福江市民館は、旧渥美郡福江町役場(昭和5年)を建てられた当初の面影を残して改修したという。正面のヒマラヤスギも当時からあるらしい。

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福江市民館

また市民館対面の福江公園は、畠村陣屋跡大垣藩支藩の陣屋)とされている。
再び国道に戻ってからが過酷だった。福江から伊良湖岬までは一旦海岸線を離れる。路面は平らだが暑いのと、昼の空腹が迫る。ところが岬に近づくにつれ、大アサリを提供する食堂がみな大盛況なのだ。ファミマ近くで摂らなかったのが悔やまれる。野菜の一大産地である渥美半島らしく、田原街道沿いには集積場や保冷施設が点在し、軽トラック1台分もあろうかという箱にキャベツが詰められて安価直売されている倉庫もあった。青果加工業に従事していた時分を思うと、一つ買って地元で売りさばきたくも車がないと無理。また風力発電機とか、伊良湖神社とか遭遇して、いよいよ岬が間近だと知る。

伊良湖岬

芭蕉句碑を過ぎると魚貝食堂が集まっているが、既にいずれも満員御礼。とても食べられたものではないと落胆していると、伊良湖リゾートホテルのレストランだけ混んでいる気配がない。これ幸いと入店するも、全然客対応がなく着席している客も待ち時間長そう。この活気のなさに萎えて退散。ツーリングの一団が停まっているいちば食堂も一瞥すると、もう目立った店はない。ふと、道の駅クリスタルポルトならフードコートかレストランあるんじゃないか、とフェリーポートへ。

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伊良湖港と伊勢湾フェリー

かつては師崎とも結んでいたが、現在は鳥羽航路のみ。つまり知多半島渥美半島を繋いで三河湾一周みたいなチャリン行は組めず、伊勢志摩回りだと日数を要してしまい却下。幼いころ家族旅行で自家用車とともに乗船した記憶がある。
さて一縷の望みをかけたフェリーターミナル内レストランおよび売店は、コロナ禍の影響で営業停止中。この岬一体はコンビニもなく、駐車場の一角で非常食を頬張って腹を満たす。
気を取り直して岬を歩こう。これまた爆盛況の恋路ヶ浜駐車場最奥に停めて散策道へ。ちなみに渥美サイクリングロードは岬の先端まで整備されており、乗り入れ可能。ついにやってきたぞ、伊良湖岬灯台

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伊良湖岬灯台
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灯台伊良湖水道

神島ってこんなに近いんだ!志摩国三重県)なのに。画像で見ると遠そうだけど、実際はもっと手近に感じられる。この狭さだから海峡じゃなくて水道なのかな。斜面の階段を活用して、珍しく自撮りするのも興奮の証し。気づくと顔面がほんのり焼けている。走行方角的に直射日光はあまり受けていないはずだが?
他の行楽客につられて舗装道を登っていくと、伊勢湾海上交通センターすなわち現代の灯台。外観は立派だけど関係者以外立入禁止。

伊勢湾海上交通センター
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恋路ヶ浜

駐車場まで戻る道すがら、フィリピン人らしき家族連れに「この先何か面白いものある?」と聞かれたので、あの海上交通センターみてガッカリされても困るから「ないよ。下(海岸)のほうが良いよ」と答える。けれども、なんでいつも私は外国人に気安く尋ねられるのかな。
14時回ったのでいい加減人も捌けたろうと淡い期待で食堂群を覗くも、全然隙なしで弾かれる。

太平洋岸(遠州灘

恋路ヶ浜を見下ろす国道42号線*2へ入る。岬から太平洋岸は国道に並行して自転車専用道が概ね整備されており、左側通行の原則から路肩を走る私を尻目に、反対側の歩道をサイクリストが悠然と行き交っている。臆することはない、と自動車の往来に合わせてこれまでどおり走っていると、伊良湖ビューホテルを回り込むようにとんでもない勾配が襲ってきた。石門の上に位置する左カーブからの海原は絶景だったが、その先の下りはブレーキが大泣きするぐらい強烈だった。大人しく専用道入っとけばよかったよ。こうして伊良湖岬の景勝区域は脱した。
国道の随所に、「自転車道入口」の標示がある。頻繁に出入りできる仕組みのようだが、一度入ってみたところほんの数百メートルくらいで途切れて国道に戻ってしまい、全通しているわけじゃないらしい。三河湾岸ほどアップダウンが連続するわけでもなく、比較的走りやすい区間が多いので逐一自転車道にすがる必要もなかろう。ということで、そのまま国道を辿る。ファミリーマート田原小塩津店で岬を出て初めてのコンビニにたどり着き、ようやくネギ塩豚カルビ丼弁当の昼飯。

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ヤシ並木の国道42号

自転車道のメリットは、遠州灘を存分に眺められることだ。国道ではこのようにヤシ並木の背後は防風林となっており、海岸は完全に遮られる。浜辺より一段高い位置を走っており、林がなければちょうど見下ろせる恰好なのに。休憩後は一色海岸より専用道入りし、開放された太平洋を望む。この区間も短かった。

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一色海岸の遠州灘

堤防道路にサーファーの車がずらりと並ぶ、新日本ビーチ。幸いサイクリングロードにまで停める横着はいない。ちなみにロードのほとんどは県道497号線だそうだ。ここはまっすぐに赤羽根港、そして道の駅あかばねロコパークまで続いている。

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新日本ビーチ

道の駅では行楽客に混じって渥美半島の特産品を物色する。やはりメロンなどの農産品に惹かれてしまうけれども、田原銘菓のあさりせんべいが心を捉えた。ここでは買わず明日豊橋駅にて求める。道の駅から東に延びるロングビーチで、遠州灘ラストビューを堪能する。

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弥八島海岸

高松一色で国道42号に別れを告げ、田原の街へ戻る。途中の沿道にずらりと並ぶ温室を見て、そいえば旧赤羽根町って電照菊の産地だと小学校で習ったよな、もしかしてこれのことか。また、気づかぬうちに大久保から田原まで渥美線廃線区間の軌道跡を走っていたことを後に知る。

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帰りのサイクルトレイン

渥美線では運行する車両編成を10色に塗り分け、それぞれ渥美半島で咲き香る花々の名がつけられている。帰りの電車は菜の花。行きは、意識してないな...
カラフルトレイン|豊鉄渥美線【豊橋~田原】|豊橋鉄道株式会社
さっきは自転車の持込は終始私一人だったが、今度は途中駅から高校生が1台利用。わりと日常的に利用されてるんだな。
渥美線って全長、沿線風景、運行本数それぞれ名鉄瀬戸線小牧線に似ているな。

豊橋ナイト

今日も目的を無事遂げられて缶ビールで祝杯。疲労でほろ酔いのままダレてしまい、二晩カレーうどんでなくても良い、とファストフード。大アサリ丼は惜しかったので、すき家の牛丼にアサリ汁を添える。せっかくだから路面電車も乗りたい、とそのまま豊橋駅に出て駅前から豊橋公園前まで乗車。その意図は銭湯・石巻湯を訪れるためだったが、地元民で賑わう気配があったので、結局のんびり南へ歩いて人蔘湯アゲイン。気づかぬ間に大火傷を負っていた顔面と手の甲がビリビリ痛み、湯につかると絶叫もの。太陽に向かって走行した覚えはないものの、終日露出してて今日の日射じゃ仕方ないか。手首だけで二の腕まで捲ってしまわなかったのは幸い。
東田本線といえば井原電停での急カーブが有名だけれども、ここは新川交差点にて、夜の駅発着とカーブ走行をちょうど両方向往来するのを待って撮影してみた。
www.youtube.com
チャリン行でも乗り鉄撮り鉄は惜しみなく。

渥美チャリン行 3へつづく)

5月3日実質走行距離:66.65㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)

*1:太平洋岸は専用道あり

*2:三重県鳥羽市から航路を挟んでつづく国道

渥美チャリン行 1

一昨年北勢チャリン行を実施して俄然自信がつき、積年の夢だった関ヶ原越えを実現しようと企む。昨年はコロナ禍で直前に断念したが、今年こそはと計画を詰めていた。しかし変異株の猛威は今年のGWをも圧迫し始めた。いっぽうでチャリン行企画は関ヶ原越え以外にもいくつか並行で編んでおり、同じ2泊3日で佐久島を目指す「西三チャリン行」や休暇でない土日にも実施できる1泊の「東農チャリン行」などがあった。コロナの動向を鑑み、県境を(2度も)越える「関ヶ原」や、意図せずウイルスを離島へ持ち込む恐れのある「西三」を回避し、代替案に浮上していた本企画が実行に移された。
自転車旅であるからには、比較的平坦かつ公共交通の充実していない地域を選ぶべきである。そういう意味では廃線跡を行程に含む北勢*1、西三(名鉄三河線)、東農(東鉄駄知線)の各企画は趣旨に即している。今回のメインは、渥美半島だ。豊橋鉄道渥美線が半島の中ほどまで通っているが、その先伊良湖岬まではバス交通しかない。単純に渥美線乗り鉄しても伊良湖への往来は不便で、うまく一日で満たせないような気がしていた。そこで全行程を自転車で走破しようと企図したわけだ。もともとこの案は西三との複合で往路は東海道、復路は三河湾岸を走り蒲郡の温泉にも寄る4泊5日の長編だったのだが、さすがに不慣れなので解体。また、脚力に自信あるとはいえ、最近長距離乗ってないしママチャリで毎日100㎞走るのは厳しいと考え、ちょっとズルして渥美線サイクルトレインを利用することに。半島の半分弱、約20㎞を往復こがずに済むのは助かる。サイクルトレイン利用も人生初と思われ楽しみ。
豊橋までの往復は旧東海道を辿る。「北勢」では四日市過ぎまでを東海道関ヶ原越えでは中山道を中心に走る計画で、もともと歩くのが好きな旧街道筋は使える。豊橋まで行くのだからそのまま足延ばして二川宿、さらにせっかく静岡県境が目前という貴重な機会なのでもうひと踏ん張りして白須賀宿湖西市)を目指す。時勢を考えれば越境回避を心がけたいが、自転車で静岡入りという箔以外にも訳がある。旧東海道筋は名古屋から二川までJR東海道線名鉄名古屋本線に沿っているが、白須賀宿で初めて沿線をはずれる。つまり今後鉄道で訪れようと思っても最寄りの新所原駅からバスなどを使わないと行けないのだ。チャリン行が真価を発揮する場所といえる。名古屋~豊橋間に豊橋~白須賀の往復分を加えると初日から結構な距離だけれども、企画のテーマでもあるノリと根性で奮起したい。
東海道往復や豊橋での滞在を考え、北勢や西三の傾向でゆくと「東三(東三河)」がシリーズタイトルに相応しいようだけれど、あくまでも目的は渥美半島サイクリングと伊良湖なので「渥美」にした。未だに関ヶ原越えのシリーズタイトルは決め切れていない。走ってみないと分からない。
日程は天候を見極めて決めた。GWの週間予報が出るギリギリまで待ち、ちょうど5月2日からの3日間だけ好転すると判断した。万一雨天となっても豊橋泊なら天浜線などの乗り遊びで代替でき、ホテルはキャンセルの必要がない。初日は前日の雨を引きずり優れない空模様で、昼頃どこかで1時間ほど降られる見通し。

東海道上り(鳴海宿~白須賀宿

07:15出発。まずは東海道へ入るため笠寺観音裏の赤坪町交差点を目指す。名古屋高速下の国道41号線を南下するのが早道にも思われたが、長距離走るためには坂道を極力回避すべきで中心部の台地をいかに緩やかに登るかを優先した結果、東区内を抜けるもクネクネしてなかなか調子が出ない。環状線に並行する、走り慣れた塩付街道へ出てやっと気分が乗ってきた。結局赤坪町まで1時間半要した。古い建物がなくても街道筋を走るとなんとなく和む。散策者のチラホラみられる有松の町並みを登りきって小休止。中京競馬場の先は緩い下りだが、道幅が広いのは国道1号線がバイパスになる前の渋滞緩和に対する(気休め)拡幅の名残か。この有松で1号線と初めて接触するが、旧東海道筋は国道と絡み合うように続いているため先々頻繁に合流する。というか、「北勢」のとき以上に国道による寸断や重なりが激しく走りづらい。とくに知立~岡崎間は地図アプリで何度も道筋を探し、確認しながら進むので結構ストレス溜まる。車の轟音激しい1号線歩道を走るときは段差によるタイヤへの負担も気になる。「東海道」の表示も三重県よりずっと乏しく、整備されてない。岡崎までの道のりは細かなアップダウンが連続し体力も消耗する。おまけに池鯉鮒宿は全然町並みとか残ってなくて正直ガッカリ。まぁ優等生の有松を見慣れているからね、相応を期待してしまうのも事実。大あんまき目当てに頑張ったことがある知立だけれど、帰りは国道をひたすら走り旧道は全然意識してなかった。道筋と実態が掴めたのは収穫。

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富士松の松並木

ちょっと辟易した行程にもこんな風景があるとホッとするね。安城市熊野神社で小休止、順調に進んでいることを確認。

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蜂須賀小六豊臣秀吉)出合之像

岡崎市街の入口、矢作橋のたもとに立つ出合之像。野武士集団の頭だった蜂須賀正勝(小六)の無礼に怒り才覚を認めさせた若き秀吉の運命的出会いが語られている。

岡崎宿

目標時間よりやや早めの昼前に岡崎入城。岡崎市街の東海道は複雑に曲がりくねり、正確に辿るのは煩わしいので適当に中心部へ。驚いたのは岡崎城天守閣)が南に見えたこと。名鉄名古屋本線に並行してきたので、当然東岡崎駅と城の間に出るものと思い込んでいたのだ。あと、この辺りは名古屋みたく少し台地になっている。池鯉鮒宿同様宿場の面影は見当たらない。朝早かったので空腹が迫ってくる。子供向けイベント開催中の籠田公園で休憩ののち、ひと踏ん張りして1号線に再合流し、かつや岡崎IC店で昼飯。せっかく八丁味噌の岡崎来たんだから味噌カツ丼食いたいと思ったらメインメニューにない。別紙になかったら相当がっかりだったろうな。午後のスタミナ増強に珍しく(竹)を注文。満腹で眠くならないといいが。
かつやの近くに大平一里塚というのがある。今回の道中は随所に一里塚が現存している。ときには道の両側に塚が残っているのも。遭遇すると感動はするものの、つい素通りして一枚も撮らなかった。
乙川の堤防沿いには不気味なぐらいリアルな案山子が並んでドキッとする。そしてこの先、本日一番の難所へさしかかる。何峠というのか知らないが、岡崎市豊川市の境付近を頂とする勾配のある谷ともいえる。今までは軽い丘をいくつか越えてくる感じだったが、じわりじわりと平地が狭まり大きな山肌が迫ってくる。

藤川宿

峠の西端に位置する宿場。松並木に迎えられ、やっと有松以来の保存状態良好な町並みに会える。

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藤川の松並木と、歌川豊廣歌碑

また藤川の由来ともいえる藤色の麦、むらさき麦が沿道に再現栽培されている。ちょうど色づく季節で淡い紫色の穂が確認できる。

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むらさき麦

松尾芭蕉の句にも「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」と詠まれているそうな。

藤川から山中までは1号線回避に田んぼ道を使う。名電山中駅あたりの登りは本格的にきつかった。本宿を過ぎるとついに旧道筋は途絶え、国道に完全一致。しかも左側の歩道さえカットされ、やむなく右側通行。国道1号線名鉄名古屋本線、そして東名高速道路と、この峠を越えるすべての交通が狭隘に集約され並走する。新箱根入口交差点*2を境に下りはじめ、なんと豊橋市街に近づくまで延々と緩やかに下り続けることに。この地理には全く驚かされると同時に、これを登ってくることになる復路に不安を覚える。とりあえず今日は帰りのことは考えないようにする。

赤坂・御油

午前中は1号線との度重なる離合に辟易したが、峠を越した関川交差点で旧道に入ると豊橋までほとんど絶たれない。上述のとおり下り続けるので(後日の不安は募るものの)楽だし、ポツポツと街道らしい古民家などが点在して風情よし。ただ、西側に比して狭い道での往来は多く、車への注意は必要。ちょっと気をひく町並みに遭遇しても、不用意な停止・横断・転回、そして撮影は西側より難しい。

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赤坂宿よらまい館と、御油の松並木

あんなに有名な御油ノ松並木だけれど、この車ゼロの瞬間を得るのに暫し時間を要す。車同士の擦れ違いさえ難しく、歩行者は肩身が狭い。池鯉鮒、岡崎と素通りしてきたので、少し余裕が出たこの辺を見物していこうと思ったが、今日しか行けない二川・白須賀両宿への配分を考え通過。昔この辺りから登ったことのある宮路山の登山口を見つけて懐かしむ。ちなみに赤坂宿と御油宿は独立した宿場ながら2㎞と離れておらず、ほとんど連続しているように錯覚する。鳴海~岡崎には池鯉鮒1つしかないのに、岡崎~吉田(豊橋)には3つも宿場があるという偏り。
ここまで終始曇天に晴れ間がのぞくようなコンディションだったが、とうとう雨雲に追いつかれた。俄雨程度で数分待てばやむが、つかの間の軒を求むのに苦労。国府郵便局と豊橋魚市場ではうまく凌げたものの、小坂井の飯田線踏切では少し濡れ鼠。この小坂井では平坂街道というのが交差し、要衝らしい雰囲気がある。雨はしかし遅延にはつながらず、15時前、予定より一息早めの豊橋到達。

吉田宿

俄雨以上にヤバかったのが、感慨深いはずの豊橋中心部入りとなる豊川渡河、とよはしだ。橋上で物凄い強風に煽られ、前カゴに荷物を積んだ二輪車は怖くてしょうがない。身の危険を察し降りて通行した。さして川幅ないとはいえ、昔の東海道は命がけの渡船だったことを思えばまぁ頷ける。
岡崎と同じく豊橋の吉田宿も面影ない。区画整理された街路に「東海道」の標示が多少導いてくれるが、ふとすると見失う。宿泊候補に挙がったプラザインは沿道だったよな、と探しているうちにまた俄雨が襲い、アーケードのない街を右往左往する。長居は無用、と道を急ぐことに。
石巻湯近くで街道を見失い、さっさと国道1号線に合流。このあたりは地形の起伏が激しく車の往来と合わせて辟易。とにかく早く離脱したくて迂回路を調べ適当に外れる。岩屋緑地の北側を通るかたちで交通量は減ったが緩やかな坂道はかわらず。あとで道筋をチェックしたら東海道旧道だったんでビックリ、研ぎ澄まされてくると自然と正しい道を選ぶものなんだね。火打坂を下って二川。

二川宿

二川駅前で一雨過ごし、宿場町に入って漸く休憩。名古屋豊橋往復きっぷで訪れようと思いつつ後回しになってた二川宿。まさかチャリで来てしまうとはね。有松に匹敵するぐらいまとまった軒数の町屋が連ねている。交通規制はないのであまり落ち着かないが、町自体は見ごたえある。

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二川宿の町並み

宿場の中心に位置する、二川宿本陣資料館を見学。二川宿本陣は、東海道筋で2ヵ所しか現存しない本陣の一つ。ここで一つ勉強になったのは、宿場は本陣や旅籠の集まる宿駅と、旅籠をもたず商いなどで宿場の運営を援ける加宿で構成されるということだ。二川宿に隣接する大岩町は加宿にあたる。そう考えると、鳴海宿における有松は加宿に相当するのではないかと。有松絞の民芸品店が並び華やかな東町に対し、有松駅以西は旅籠らしい閑静な町並みがつづく。
jaike.hatenablog.jp

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二川宿本陣

白須賀宿

宿のはずれから再び1号線バイパスに戻り、追い風に煽られながら殺風景な道を突き進む。一里山で離脱すると遂に!静岡県湖西市入り! これで東海4県をマイチャリで走行したことに。県境に立ち止まらず進むと、白須賀宿加宿境宿の標示が出迎える。

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白須賀宿入口

ここから白須賀交番に近い問屋跡まで頑張ったものの、豊橋に帰る体力を考えて打ち切り。鉄道から離れ比較的保存状態がよい町ときいてきたが、期待ほどの雰囲気は味わえなかった。尤も資料館「おんやど白須賀」もあるという、この先は分からないけれど。ちなみに遠江の旅で歩いた新居宿はこの次なので、東海道として一駅分空きを残すのも勿体ない感じ。

慣れない行軍と午後の天候不順で消耗したらしく、空腹を覚えながらの折り返し。とくに1号線バイパスの向かい風がハンパなかった。防風林的な沿道の林が途切れたとたん強烈な横風でバランスを崩しそうになり、隙間のたびに緊迫する。早く二川に着いてくれと祈ったものだ。宿を抜け火打坂で進路変更、アップダウンのある1号線には戻りたくなく、鉄道線に沿っていけば勾配は少ないんじゃないかと考え東海道線・新幹線を伝う。発想は甘く、線路だけが平面あるいは高架に敷かれ、道路は勾配だらけでバテてしまう。幸公園で休憩をはさみ、豊橋市街に到達。明日の柳生橋駅付近を下見。路面電車のレールを踏むとハンドルを取られそうな不安定感がある。

豊橋

今旅の拠点をおく豊橋。在住県内に泊まるのって、遠出じゃないのに日帰りしないっていう不思議な感じがする。吉田城ぐらいは訪れたことあるが、基本的に乗継駅である豊橋は街歩きしないので良い機会だ。

豊橋ビジネスホテル

マップを参照せず勘を頼りに探したので広小路とかグルグルした。寺院に隣接し比較的閑静な場所にある。駐車場に駐輪スペースが設けられてないので、場内最奥のツーリングらしきオートバイに倣って施錠駐輪。ちなみにホテル界隈での食事などの行動は徒歩とする。
チェックインではウェルカムドリンクを頂け、アルコールも選べそうだったが今旅ではお茶ペットボトルのほうが重宝する。連泊では翌日帰館時にも頂けて有難い。部屋は、おそらく元々客室でなかったのを改造したと思われる、どこか不自然な造り。窓は東向きで自然な目覚めに好都合。ミニ冷蔵庫はコンセント差してもなかなか正常稼働せず心もとない。ウェルカムドリンクのお茶はこれで一晩冷やすし、外出中は缶ビールを保冷しときたい。

豊橋カレーうどん

豊橋で予てより食べたいと思ってたご当地グルメカレーうどんというと単純に若鯱家とかを思い浮かべてしまうが、豊橋カレーうどんには独特のこだわりがある。特長と食べ方を一応予習しておく。
由来・こだわり|豊橋カレーうどん|ええじゃないか豊橋|豊橋の観光とお土産ガイド
出発前にホテルから近い提供店をピックアップし、コロナ禍での営業時間短縮により20時または20時半となっていることを各店舗押さえておく。食後の予定も考慮し、選んだのは勢川新吉店。この勢川豊橋市内随所に展開する老舗のうどん屋さん。ホテルからは本店のほうが近いけど、営業時間が短め。新吉店は電車通りを東に越えて小さな商店の集まる地区の中にある。
ちょうど店内にほとんど客はおらず、静かに味わえてタイムリー。さっそくカレーうどん(770円)を所望すると、初めてでしたら一読ください、とホームページで見た食べ方指南書を提示される。

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豊橋カレーうどん

豊橋カレーうどんは二層構造になっていて、上は普通のカレーうどん、食べ進めていくと下からとろろご飯が現れる。うどんを粗方啜ったあと、カレーととろろご飯を混ぜ合わせて2度楽しめる。うどんがメインでご飯は思ったほど入ってない。あと万人向けのわりにカレーは辛めなほう。隣の静岡でも遠州駿河は山芋やとろろ飯のイメージがあるので、それを融合させてくる辺りが三河国らしい。とても美味しかった。

銭湯 人蔘湯

一日運動して汗かいた身体にホテルのシャワーは物足りず、湯船にどっぷり浸かって癒したい。有難いことに豊橋市内には銭湯が健在。その一つ、人蔘湯を食後に訪れる。人蔘湯は昨年一度閉店したが、有志の方々などにより今年4月復活を遂げたばかりだという。スーパー銭湯から老舗銭湯までこよなく愛する者として喜ばしく、応援の意も込めて利用する。地元名古屋の銭湯もいくつか訪れてるが、最も小さな浴場だと思う。湯船はともかく、ホントに背中が触れ合ってしまいそうな洗い場にビックリ。名古屋の銭湯では単一の蛇口ひねれば適温の湯が出て調節要らないのに慣れており、ここではそういうのが一個しかなくて戸惑った。3人も入ればいっぱいの湯船ではジャグジーが一番落ち着く。手狭なわりに入浴者がテンポよく入れ替わっていくので、あまり密に感じない。フロントスペースでは留まらずに外で涼む。

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人蔘湯

明日はリピートしようか、東海道沿いの石巻湯にしようか悩む。夜風と余韻に浸りながらコンビニで缶ビールを2本買い、部屋に帰る。1本飲んで就寝。

渥美チャリン行 2へつづく)

5月2日実質走行距離:109.86㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)

*1:中日で安濃鉄道廃線跡を走る予定だった

*2:箱根と称するあたりも東海道の難所と認識されてる証しだな

インドランチ

派遣会社の新設事務所什器搬入を手伝い、インド料理店でランチをご馳走になった。ひそかに恋しくなってたとこだったので、願ってもないチャンス。ほんと、本場のナンが無性に食べたくてたまらなかったんだ。

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孜然味が懐かしいタンドリーチキンもワクワク。1枚目のナンは、アレ?以前より小さくなったか?とサクサク食べられたが、ノリで頼んだ2枚目はちょっと堪えた。見た目薄皮のくせに腹に溜まるのと、しだいに顎が疲れるくらい意外と歯応えあるのに気づいた。

また、オーナーさんお薦めでラッシージュースというのを食後にいただく。まぁ、酸牛奶。

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異国の味、というかやっぱり中国が恋しくなる。一緒に食事したのは社長と別社員の、いずれもスリランカ人。目立った外人付き合いもしばらくご無沙汰だったんで、全然わからない外語が脳内に流れるひとときもありがたかった。