(渥美チャリン行 1よりつづく)
6時起床、朝食無料ということで7時過ぎ3階の食堂へ。運動量を考えるとコンビニのおにぎり等が望ましいけれど、この時勢に朝食サービスしていただけるならパン食でも有難く利用しよう。食パンを2枚セルフでオーブンあるいはトースターで焼き、一つずつ小鉢にラップのかかったサラダやゆで卵を取り、コーヒーを淹れてパーティションの設けられたテーブルへ。スタッフがスープはいかがですかと尋ねてくれるので、コーンポタージュを頂く。ソーシャルディスタンスを考慮すると7,8人が一度に食べられるだろうか。順次出入りしていくので密にはならないが、結構宿泊していることがわかる。ビジネスホテルということで、ビジネスマンや土建作業員と旅行者が半々くらい。駐車場にも県外ナンバーがチラホラ。
飲料と充電器だけの軽装で出発できるのも拠点の強み。渥美線の電車時刻に合わせて出陣。
渥美線サイクルトレイン
自転車旅で中日を鉄道利用するのは北勢もそうだし、実は北海道旅行でも苫小牧のYHに自車を預けてJRで札幌や富良野へ向かっている。自転車旅といいながら複合が恒例らしい。今回は自転車とともに鉄道移動してしまおうという初の試み。
サイクルトレインは渥美線全駅で利用でき、混雑が予想される新豊橋駅での自転車の取扱いを忌避して、一つ次の柳生橋を起点とする。かつては市内線新川駅から南に軌道線が同駅まで延びていたらしい。その軌道跡とは別の道を行く。1面1線の閑散とした駅で、豊橋行きの電車を見送ったあと自転車を伴い入場。積載料金はどう支払うのだろうと訝りながら、マナカ改札を済ます。列車内における自転車の乗降および持ち込みスペースは決まっており、田原方向の乗務員室最寄りドアおよび座席エリアとなっている。ホーム上に描かれた乗車位置で待機。手早く抱えて乗務員扉前へ乗り込むと、発車後に車掌が来て積載料金100円を徴収。席が空いているので座ってもらって大丈夫です、というので通路での安定を確保しながら着席。
柳生橋~愛知大学までは橋渡ったり隧道くぐったりと勾配が激しい。あとは終始長閑に走る。全線単線だが15分間隔の運行を維持するため、交換駅での行き違いを頻繁に見る。所要30分余で三河田原到着。改札口で積載券は回収される。扇形をした真新しい駅舎のバス待合室で情報収集して、田原の町へ。
1480年頃築城。田原湾が新田開発されるまでは満潮時に湾の海水が城の周囲を囲み、その姿が「巴文」に見えることから、巴江城とも呼ばれた。現在の風景からは想像つかないが、グーグルマップで見ると城の目前まで干拓地が迫っている。田原ってこんなに三河湾に近いんだ。もともと天守はなく建造物も少ないが、石垣や堀はよく残っている。二の丸跡の田原市博物館では、渥美電鉄(名鉄渥美線を経て現在豊橋鉄道渥美線)と田原の関わりが興味深かった。三河田原から伊良湖岬を目指した廃線および未成線区間、三河田原駅周辺に街ができてゆく経緯など。田原藩家老で画家・蘭学者の渡辺崋山についても学ぶ。
崋山の旧居が復元された池ノ原公園。
田原藩校成章館の流れをくむ成章高校の脇を登ってゆくと、蔵王山がそびえる。田原町歩きなら登頂していくところ。新緑が美しい。
三河湾岸
さて、ここからは豊鉄サイクルトレインのページに掲載されたサイクリングコースマップを参考に伊良湖岬を目指す。モデルコースとして推奨しているだけに一応路面表示はあるが、自転車道を整備しているわけではないので安全面は自己責任*1。
蔵王山の山肌を削るセメント採掘場を横目に坂を下ってゆくと、眼前に海原が!
白谷海浜公園で海面と対岸を一望する。ここの自販機で飲料購入を躊躇ったのはミス。
持参したウェルカムサービスのお茶以外に飲料を持たぬまま出発。軽いアップダウンの連続する県道で、歩道は狭く荒れ気味、ママチャリには酷。沿道に自販機は乏しく、最も近いコンビニまで9㎞とか表示されて急に危機感を覚える。バス会社駐車場の自販機で少し喉を潤すと、本気でコンビニ目指して走行。泉地区でいいかげん国道259号(県道から合流)に飽きて、川沿いの道へ逸れる。概ね方角さえ間違わなければ、閑静な集落の中は落ち着く。可能な限り幹線道を避けて走り、やっと田原街道へ合流すると間もなくファミマ。コンビニの貴重性を痛感し、飲料と軽食、非常食を購入。その軽食を摂りファミマを出た直後、飲食店が待ち構えているから敵わない。店頭の幟に「大あさり丼」とかあってそそられるも、昼飯には些か早いしアメリカンドッグ食べたばかり。
「よしッ、昼はどこかで大アサリ!」と腹に決めて持ち直すも、その先の国道には歩道がなく交通量も一層ヤバかったので海岸道路に回避。北勢チャリン行で帰りに走ったような岸壁道路で、静かな渥美湾の潮風と田畑に挟まれ癒し。入り江に注ぐ川から集落を抜けて道路に出るも、どうやらさっきの国道ではない。並行しているようなのでそのまま行くと、魚と貝のうまい店・玉川の前に行列が。ここは伊良湖岬に近い旅館としてマークしていたところだ。その近くにあるコミセン福江市民館は、旧渥美郡福江町役場(昭和5年)を建てられた当初の面影を残して改修したという。正面のヒマラヤスギも当時からあるらしい。
また市民館対面の福江公園は、畠村陣屋跡(大垣藩支藩の陣屋)とされている。
再び国道に戻ってからが過酷だった。福江から伊良湖岬までは一旦海岸線を離れる。路面は平らだが暑いのと、昼の空腹が迫る。ところが岬に近づくにつれ、大アサリを提供する食堂がみな大盛況なのだ。ファミマ近くで摂らなかったのが悔やまれる。野菜の一大産地である渥美半島らしく、田原街道沿いには集積場や保冷施設が点在し、軽トラック1台分もあろうかという箱にキャベツが詰められて安価直売されている倉庫もあった。青果加工業に従事していた時分を思うと、一つ買って地元で売りさばきたくも車がないと無理。また風力発電機とか、伊良湖神社とか遭遇して、いよいよ岬が間近だと知る。
伊良湖岬
芭蕉句碑を過ぎると魚貝食堂が集まっているが、既にいずれも満員御礼。とても食べられたものではないと落胆していると、伊良湖リゾートホテルのレストランだけ混んでいる気配がない。これ幸いと入店するも、全然客対応がなく着席している客も待ち時間長そう。この活気のなさに萎えて退散。ツーリングの一団が停まっているいちば食堂も一瞥すると、もう目立った店はない。ふと、道の駅クリスタルポルトならフードコートかレストランあるんじゃないか、とフェリーポートへ。
かつては師崎とも結んでいたが、現在は鳥羽航路のみ。つまり知多半島と渥美半島を繋いで三河湾一周みたいなチャリン行は組めず、伊勢志摩回りだと日数を要してしまい却下。幼いころ家族旅行で自家用車とともに乗船した記憶がある。
さて一縷の望みをかけたフェリーターミナル内レストランおよび売店は、コロナ禍の影響で営業停止中。この岬一体はコンビニもなく、駐車場の一角で非常食を頬張って腹を満たす。
気を取り直して岬を歩こう。これまた爆盛況の恋路ヶ浜駐車場最奥に停めて散策道へ。ちなみに渥美サイクリングロードは岬の先端まで整備されており、乗り入れ可能。ついにやってきたぞ、伊良湖岬灯台!
神島ってこんなに近いんだ!志摩国(三重県)なのに。画像で見ると遠そうだけど、実際はもっと手近に感じられる。この狭さだから海峡じゃなくて水道なのかな。斜面の階段を活用して、珍しく自撮りするのも興奮の証し。気づくと顔面がほんのり焼けている。走行方角的に直射日光はあまり受けていないはずだが?
他の行楽客につられて舗装道を登っていくと、伊勢湾海上交通センターすなわち現代の灯台。外観は立派だけど関係者以外立入禁止。
駐車場まで戻る道すがら、フィリピン人らしき家族連れに「この先何か面白いものある?」と聞かれたので、あの海上交通センターみてガッカリされても困るから「ないよ。下(海岸)のほうが良いよ」と答える。けれども、なんでいつも私は外国人に気安く尋ねられるのかな。
14時回ったのでいい加減人も捌けたろうと淡い期待で食堂群を覗くも、全然隙なしで弾かれる。
太平洋岸(遠州灘)
恋路ヶ浜を見下ろす国道42号線*2へ入る。岬から太平洋岸は国道に並行して自転車専用道が概ね整備されており、左側通行の原則から路肩を走る私を尻目に、反対側の歩道をサイクリストが悠然と行き交っている。臆することはない、と自動車の往来に合わせてこれまでどおり走っていると、伊良湖ビューホテルを回り込むようにとんでもない勾配が襲ってきた。石門の上に位置する左カーブからの海原は絶景だったが、その先の下りはブレーキが大泣きするぐらい強烈だった。大人しく専用道入っとけばよかったよ。こうして伊良湖岬の景勝区域は脱した。
国道の随所に、「自転車道入口」の標示がある。頻繁に出入りできる仕組みのようだが、一度入ってみたところほんの数百メートルくらいで途切れて国道に戻ってしまい、全通しているわけじゃないらしい。三河湾岸ほどアップダウンが連続するわけでもなく、比較的走りやすい区間が多いので逐一自転車道にすがる必要もなかろう。ということで、そのまま国道を辿る。ファミリーマート田原小塩津店で岬を出て初めてのコンビニにたどり着き、ようやくネギ塩豚カルビ丼弁当の昼飯。
自転車道のメリットは、遠州灘を存分に眺められることだ。国道ではこのようにヤシ並木の背後は防風林となっており、海岸は完全に遮られる。浜辺より一段高い位置を走っており、林がなければちょうど見下ろせる恰好なのに。休憩後は一色海岸より専用道入りし、開放された太平洋を望む。この区間も短かった。
堤防道路にサーファーの車がずらりと並ぶ、新日本ビーチ。幸いサイクリングロードにまで停める横着はいない。ちなみにロードのほとんどは県道497号線だそうだ。ここはまっすぐに赤羽根港、そして道の駅あかばねロコパークまで続いている。
道の駅では行楽客に混じって渥美半島の特産品を物色する。やはりメロンなどの農産品に惹かれてしまうけれども、田原銘菓のあさりせんべいが心を捉えた。ここでは買わず明日豊橋駅にて求める。道の駅から東に延びるロングビーチで、遠州灘ラストビューを堪能する。
高松一色で国道42号に別れを告げ、田原の街へ戻る。途中の沿道にずらりと並ぶ温室を見て、そいえば旧赤羽根町って電照菊の産地だと小学校で習ったよな、もしかしてこれのことか。また、気づかぬうちに大久保から田原まで渥美線廃線区間の軌道跡を走っていたことを後に知る。
渥美線では運行する車両編成を10色に塗り分け、それぞれ渥美半島で咲き香る花々の名がつけられている。帰りの電車は菜の花。行きは、意識してないな...
カラフルトレイン|豊鉄渥美線【豊橋~田原】|豊橋鉄道株式会社
さっきは自転車の持込は終始私一人だったが、今度は途中駅から高校生が1台利用。わりと日常的に利用されてるんだな。
渥美線って全長、沿線風景、運行本数それぞれ名鉄瀬戸線や小牧線に似ているな。
豊橋ナイト
今日も目的を無事遂げられて缶ビールで祝杯。疲労でほろ酔いのままダレてしまい、二晩カレーうどんでなくても良い、とファストフード。大アサリ丼は惜しかったので、すき家の牛丼にアサリ汁を添える。せっかくだから路面電車も乗りたい、とそのまま豊橋駅に出て駅前から豊橋公園前まで乗車。その意図は銭湯・石巻湯を訪れるためだったが、地元民で賑わう気配があったので、結局のんびり南へ歩いて人蔘湯アゲイン。気づかぬ間に大火傷を負っていた顔面と手の甲がビリビリ痛み、湯につかると絶叫もの。太陽に向かって走行した覚えはないものの、終日露出してて今日の日射じゃ仕方ないか。手首だけで二の腕まで捲ってしまわなかったのは幸い。
東田本線といえば井原電停での急カーブが有名だけれども、ここは新川交差点にて、夜の駅発着とカーブ走行をちょうど両方向往来するのを待って撮影してみた。
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チャリン行でも乗り鉄、撮り鉄は惜しみなく。
(渥美チャリン行 3へつづく)
5月3日実質走行距離:66.65㎞(距離測定マップにてルートを正確に測定)